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24 予想外の勧誘

 乱闘直後。ソルヴィはノクティアを見つけるなり駆け寄り『騒ぎになって悪かった』と謝った。


 確かにこんなにも大騒ぎになると思わなかった。しかし一方的に絡んだのはジグルドだろうと分かっている。


「別にソルヴィのせいじゃないって分かるよ。それより……ねぇジグルド」


 ノクティアはジグルドを睨み据えた。

 ジグルドは後ろ髪を掻き、不機嫌そうな顔をしながらもノクティアのもとにやってくる。


「あんたが私の事を心配してくれたのは分かる。その気持ちは素直に嬉しかった。だけどだよ? わざわざ突っかかるのはどうかと思う」

「おまえに分かるかよ。横から突然かっ攫われた気分はよ」

「そんなの知る訳ない。言われてないから分かる訳ないでしょ。それに結婚はしているけど私は……」


 ──誰も愛す気は無い。と口走る手前で、背後からソルヴィに抱き締められ、手でやんわりと口を塞がれた。


「ノッティ、それ以上はやめておいた方がいい」

 いいな。と窘めるように言われて、ノクティアはハッとした。


 考えればそうだ。わざわざ言ってしまうと、新たな火種になりかねない。ノクティアが頷くと、ソルヴィはすぐに口に当てていた手を離してくれた。


「私も不満とか沢山あったし、今も上手く言葉にできないけど、親たちの決めた事で仕方なかったし、生まれた家の爵位の関係もあるせいで、ソルヴィでもどうにもできなかった」


 ──お互いに悪い奴とは思わなかった。だから気楽に仲良くやっていこうって、結婚する流れは受け入れた。

 感情を含まない経緯を淡々と語ると、ジグルドが少し納得したのか、大きなため息をつきつつも頷いた。


「そうかよ。おまえが幸せなら、それでいい。こんだけクソ強い旦那じゃ、おまえの事しっかり守ってくれるだろうとは思うしな」


 幸せにな。なんて付け添えてすぐ。ジグルドはそっぽ向き、その場を去ろうとした瞬間だった。


「なぁジグルド。殴り合ったよしみで聞きたい事がある」


 ソルヴィの問いかけにジグルドは舌打ちを入れて振り返った。


「あんだよ……俺はてめぇはいけ好かねぇんだが」

「ああ、それは構わん。ところでおまえ、騎士に興味無いか。もっと強くなりたいとは思わないか?」


 その問いかけにジグルドは片方の眉を持ち上げて不機嫌そのものの顔をした。


「あ? ざけんなクソが。どういった風の吹き回しだよ。貧困街のゴロツキが騎士様なんぞなれる訳ねぇだろ。貧乏人おちょくって楽しいか?」


「後ろ盾があればなれるさ。何よりおまえは、こんな場所で腐らせるのは惜しすぎる才能があるんだよ」


「は?」


 ソルヴィの言葉にジグルドは目を瞠ってたじろぐ。


「ジグルド、おまえ歳はいくつだ?」

「今年で十九になったが……」

「こんなに瞬発力があって反射神経の良い逸材は放っておくのは勿体ない。おまえは磨けば光る、その年齢なら今以上に必ず強くなる」


 そう言ってソルヴィが詰め寄ると、ジグルドは徐々に顔が赤くなる。こうも褒められた事が無いからだろう。ジグルドは明らかに戸惑った様子で唇をワナワナと震わせていた。


「いいか? おまえは本気で勿体ない。絶対に強くなるだ。俺はおまえを騎士にする後ろ盾にもなってやれる。叶う事なら、俺の側近に迎えたくて仕方ないくらいだ」


 ──どうだ? と、真剣そのものでソルヴィが言うので、ジグルドは顔を真っ赤にして首を横に振る。


「ざけんなよ! 好き勝手に言いやがって!」


 口調が怒声だが、その表情は怒りに混じって照れも含まれていた。ジグルドは一つ鼻を鳴らすと、つかつかとその場を去って行った。

 そんな様子に、イングリッドは噴き出すように腹を抱えて笑い出した。


「はは面白っ。だけど旦那さん、若造をおちょくるのは良くないよ」

「いいや、おちょくっていないさ。事実で本気だ」


 ソルヴィは、ジグルドの後ろ姿を目で追っていた。


「事実ジグルドからすれば、俺は横恋慕したような奴だ。だが気に入った。あいつは根が真っ直ぐだろう。初回はダメだろうが、定期的に通って口説き落とすのも悪くないな。ノッティがロストベインに里帰りしたいって言ったお陰で、あんな逸材を見つけるとは、俺にとっても良い収穫になった」


 そんな風に言ってソルヴィはノクティアに礼を言って髪を撫でる。


「はは、見せつけるね新婚さん。あと、今更だけどノクティア、あんた旦那さんに良い愛称を付けられたね」


 イングリッドが腕を組んでニヤニヤと見るので、恥ずかしくなってきた。というのか、こういった仕草を平然と自分が受け入れられている事に戸惑いが隠せない。ノクティアは真っ赤になって首を振り、ソルヴィの手を振り放す。


「人前でやるの嫌、すごく嫌」

「ノッティは照れ屋で可愛いな。じゃあ宿屋や馬車の中でなら良いんだな?」


 さらりとソルヴィが言い返すが、家族同様のイングリッドの前で可愛いだの言って、こんなやりとりをするのは恥ずかしくて仕方ない。


 いたたまれない気持ちに追いやられてノクティアがイングリッドの後ろに隠れると、彼女は「おっと」と驚いた声を上げつつも、庇うようにして腕を回す。


「ノクティアがこうも照れ症だって私、初めて知ったよ。比較的淡々として落ちついているし、私たちより冷静でさ。ジグルドがうざいくらいに絡むと目を細くして睨むような子だよ。旦那さん存外、ノクティアはまんざらでもないかもしれないよ?」


「そうだと良いけどな」


 イングリッドの言葉にソルヴィは笑いつつも、ふと何か思い出したようで、彼女にすぐに話しかけた。 


「そうだ、イングリッド。少し聞きたいが、イングリッドもジグルドまでとは言わずとも、腕っ節は良い方か?」


 その問いかけに、イングリッドはニタリと笑む。


「こんなに〝か弱そうな〟乙女に? 旦那さんはどんな冗談を」

「で、ノッティどうなんだ?」

「見ての通りか弱いなんて大嘘だよ。イングリッドは強いよ。鬱陶しい酔っ払いの男をゴミの山に平然と投げるもの。ジグルドより力持ちかも」


 そう答えると、ソルヴィは頷きイングリッドに真面目に向き合った。


「イングリッド。おまえは見る限り、髪の毛の編み込みが上手い事から手先の器用さも窺える。ノッティの侍女にならないか? 三食ついて、温かな寝床と風呂もある」


 あまりに突飛も無い提案だ。

 ノクティアは目を瞠って二人を交互に見上げた。


「ふぅん。ただどうして私が必要か、もう少し細やかな部分を聞かせてちょうだいよ」


 眉を寄せてイングリッドは呆れ笑い。ソルヴィは真剣な面で頷いた。


「名目上はノッティの侍女だが、ノッティともう一人の侍女の護衛だ。俺も四六時中この子を悪意から守れる訳ではない。屋敷でノッティの立場はかなり弱い。もう一人の侍女も同じで悪意に晒される事がある。主従にはなるが、関係性を改めろと言わないし、そのままで良い。俺の目が届かない時は、ノッティたちを守ってあげて欲しい。それだけだ」


 ソルヴィの説明に、イングリッドは間髪入れずに「乗った!」と声を上げた。

 しかし、こうも簡単に快諾するとは思わなかったし、ソルヴィもこんな提案を持ちかけるなんて思いもしなかった。ノクティアは呆然としてしまう。けれど、内心では心強く、嬉しく感じるものだった。だが、ほんの少し不安はある。


「ソルヴィ、大丈夫なの?」


 貧困街出身者という時点で自分は散々な目に遭ったが、イングリッドも例外で無い。それに、引き継ぎ後もフィルラが目を光らせているという時点で、きっと手厳しい指摘をされてもおかしくない。それを言うと、ソルヴィはすぐに首を振った。


「フィルラ様の事は俺がどうにかする。そもそも今は俺が当主だ。妻のために使用人を雇う権力と財力はある。ノッティが心配する事は一つも無い」


 ソルヴィはそう言い切って、今度はイングリッドに視線を向けた。


「それにだな。ここまで格好良い女性に、いかにも貧弱で陰険な使用人が噛みつくと思うか? 少し睨んで舌打ちでも入れただけで効果てきめんだと思うぞ。それを見通しての勧誘だ」


 そんな言葉に、イングリッドは豪快に笑ってソルヴィの背を叩く。


「はは。旦那さんにこうも褒められるとはね。あんたは、なかなかの人たらしだよ。面白いじゃない。いいよ、ノクティアのために私を好きに使えばいい」

 大切な妹分……家族の近くに居られるなら本望さ。そんな風にイングリッドは笑う。


 ──好き好んでこの生活をしていた訳ではない。馬鹿だから生きる知恵以外無かった。道が無かった。まともな仕事にありつけるなら、それは嬉しい話さ。


 そんな風にイングリッドは語っていた。ただ姉としてはジグルドを残すのは心配だと。「あいつにも道を与えてくれ。全力で口説いてくれ」と、別れ際イングリッドはソルヴィに頭を下げていた。


 ---


 それから一週間後。

 大雪の日にヘイズヴィーク侯爵家の離れに新たな侍女が迎え入れられた。


 首まで入ったタトゥーはハイネックブラウスのお仕着せで隠されており、手の甲や手首に入ったタトゥーも革製の手套に包まれて今は見えない。しかし、派手に編み込まれた赤髪は相変わらずで、彼女らしさは滲み出ていた。


「ノクティア……ああ〝奥様〟から聞いているよな? 新しい侍女のイングリッドだ。で。あんたがソフィアだっけ? 色々と指導を頼むよ先輩」


 そう言って、強気に笑むイングリッドにソフィアはほんの少し萎縮するものの、彼女が差し出した手をすぐに取った。

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