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22 待望の再会

 本格的な冬が始まった十一月の中頃、ノクティアはソルヴィとともに馬車に揺られていた。外は湿気の無い粉雪がちらちらと舞っている。


 結婚して二ヶ月以上が経過した。

 ソルヴィの執務の引き継ぎも落ちつき始め、今日、ノクティアは王都の貧困街ロストベインに向かっている。いわゆる、一時帰省だ。


 結婚のためにヘイズヴィーク領に連れ去られたあの日は、随分と壮絶な別れとなったので、イングリッドとジグルドの事がずっと気がかりで仕方なかった。

 伯母はあの二人と一応面識がある。だが、結婚式の席だった事とエリセに腹が立ったあまりに何も聞けなかった。


 何度帰りたいと思った事か。ヒグマに襲われたあの日、ソルヴィの言ってくれた〝やりたい事や希望〟として即刻お願いしたのは、王都への帰省だった。


 しかし今や一応は、侯爵の妻という身分だ。それもならず者の巣窟に出向くなど、そう簡単に叶わないだろうと、内心期待していなかったが、執務が落ちついてすぐにソルヴィは動いてくれた。


 今回の外出は、二人きり。行く場所が場所だけにソフィアには少しの暇を与えて、実家で休息を取らせている。

 馬車も侯爵家のものや御者に頼まず、辻馬車を乗り継いで向かっていた。その理由は、やはり引き継ぎが終わり代替わりしたとしても、前侯爵夫人のフィルラの常に目を光らせている部分もあった。謂わば、少し口煩い姑に似た雰囲気らしい。


『そもそも、奥様は俺ともノッティとも血の繋がりが無い。数年、当主様の代わりに執務を行っていた。だから不安視している部分もあるのも無理は無い』

 ソルヴィはそんな風に昨日語っていた。


 貧困街に一時帰省できるのは願ったり叶ったりだったが、そんな内情を聞くと、少し気が引けるもので──


『そうなんだ。でも、本当に良いの? あの街は汚いし臭いよ……あとね。私はともかく、あんた羽振り良さそうな恰好していたら、良いカモにされるよ』


『臭いだ汚いだのは噂では聞いてる。まぁ軽装で行こう。でもノッティの顔が通っている時点であまり心配していない。そもそもだが、俺を力でねじ伏せられる奴は、そうそういない。ゴロツキが束になっても程度が知れている』


『ヒグマが逃げる程に強いもんね……でもまだ本調子じゃないでしょ』


 ノクティアは昨晩のやりとりを思い出してしまう。

 目の前に座したソルヴィを一瞥するとすぐに目が合った。


 図体が大きいので、あと少しで馬車の天井に頭が当たってしまいそうだ。ほんの少し窮屈そうに見えるのが、少しおかしい。ノクティアが笑ってしまいそうになると、彼も唇の端を緩めた。


「ノッティ嬉しそうだな」

「うん、嬉しいよ。ただ、あの……傷はもう大丈夫なの?」


 ヒグマの爪を受けた傷が気がかりだった。

 あの時、すぐに止血できたが、抉れた傷が塞がらなかったので医者に掛かって縫合してもらっていた。それもなかなかに深い傷なので、抜糸がまだ済んでいない。


「日常生活に何ら支障が無いから大丈夫だ。それにノッティの力ですぐに止血も済んでいたからな。大事には至っていない」


 肉が抉れた時点で大事だと思うが……。ノクティアが渋い顔をすると、彼は優しく笑んだ。

 こういう顔をする時は、安心させようとしているのだ。もうなんとなくそれは分かる。


「あれはね、たまたまだったと思うよ。私は人を呪う力はあっても、癒やす力は本来無いはずだもの」


 あの時、ノクティアは森の木々に宿る精霊と繋がり、癒やしの力を借りる事ができたのだと、後日スキルから教わった。


 ノクティアはその名から夜……闇や夜の属性を持ち、冷たい土や氷、雪などこの地の人間の忌むものとの相性が良いはずだが、なぜに昼の者とされる木々の精霊と繋がり力を貸してくれたかは一切不明と言う。


『忌むべきものではあれど死は再生へと繋がる。土に還った命の恵みで植物が育つ。引き寄せられる接点は、そこだけ。単なる気まぐれかも知れませんね』


 スキルの言葉をノクティアは思い返しながら窓の外に再び視線を移した矢先だった。


「いいや、癒やされてはいる。寝顔は可愛いし、起きていて喋っている時は更に可愛い。頑固な町長やねっとりした雰囲気のフィルラ様やエリセお嬢様と話した後に、顔を見るだけで最高に癒やされる。楽園かと思う」


 その言葉にノクティアは真っ赤になって半眼でソルヴィを睨む。


「馬鹿じゃないの……」


 あのヒグマ騒動から、ソルヴィはノクティアに「可愛い」というよく言うようになった。

 ノクティアとしては、何だか背中がムズムズするもので、恥ずかしくて堪らない。それもソルヴィときたら真顔で言ってくるので擽ったくて仕方ないのだ。


 黙り込むと「黙っていても可愛い」なんて彼が言うので、ノクティアは堪らず、プイとそっぽを向いた。


 ---


 そうして馬車を二つ乗り継いで、半日程。ノクティアとソルヴィは王都までやってきた。懐かしい場所はうっすらと雪化粧している。ノクティアは何の迷いもなく、王都の大通りの外れに入った矢先だった。


が前方からぶつかってきたのだ。


「あいたたた……腰を挫いてしまったかもしれんわ」

 声の主は老婆だった。彼女は地面に尻餅をついている。


「ああ痛い痛い……痛いわぁ」

「ああご婦人、大丈夫でしたか?」


 ソルヴィはすぐさま、彼女に近付き紳士的に手を差し出すがノクティアはすぐに彼を遮った。


「お婆さん久しぶり。相変わらずそれやってるんだね」


 そう言ってノクティアが彼女の腕を引っ張ると、老婆はびっくりした顔でノクティアを見上げた。


「あらあらぁ……。誰かと思ったら、ノクティアちゃんじゃないの」


 老婆はつぶらな瞳を丸く開いて、今までの痛がるそぶりが無かったかのように、スッと立ち上がった。そう、つまり嘘である。


「で、どう儲かってるの? それ」

「ふふ。まぁまぁよ。でももうこの季節じゃ外人さんも居ないから、あまり儲からないねぇ」


 ソルヴィはそんなやりとりを何が何だかといった顔で眺めていた。


「ソルヴィ、これがロストベインの入り口付近の名物〝ぶつかり婆さん〟だよ。ぶつかった相手から治療費だの言って金銭要求する悪質なお婆さんだ」


 そんな風に説明しつつ、ノクティアがケープのポケットに入れていたキャンディーを渡すと老婆は嬉しそうに微笑んだ。


「そうか、単純な物乞い以上の知恵だ」

 ──合理的だ。なんて彼は感心して言うが、侯爵が納得する事ではない。ノクティアは苦笑いする。


「で、ノクティアちゃん。そのクマさんみたいお兄さんがあんたの旦那さんかい? 私は現場にいなかったけど噂になっていたよ。イングリッドちゃんとジグルド君もカンカンに怒っていたし、心配してたよ」


 ──でもその様子じゃ、このお兄さんに悲しい思いはさせられていなさそうだね。なんて、老婆は笑むので、ノクティアは目の縁を少し赤くして頷いた。


「どうしても結婚しなきゃいけない事情があったみたいでね。了承はしたの。今は、一時的な帰省なの。で、お婆さん今日はイングリッドを見てない?」


「イングリッドちゃんは、今日は見てないよ。あんたたちの家に居るんじゃないのかな?」


「分かった。ありがとう、行ってみるよ」


 そう言って、ノクティアはソルヴィを連れて歩み始めた。少し振り返ると、老婆がまだ見守っていたので、ノクティアが手を振ると、彼女は手を振り返し大通りの方へと向かって行った。


 今にも崩れそうな建物のひしめき合う街の至るところで焚き火をしている。そこで暖を取る柄の悪い男たちは異物を見るような目でノクティアとソルヴィを見るが、ノクティアだと気付くと、気さくな顔で近付いてくる。


「悪いね、一番はイングリッドとジグルドに会いに来たの。あまり足止めされたたら日が暮れちゃうや」

 そんな風に言うと彼らは行った行ったと手を振った。


 路面の新雪にはいくつか足跡があり、活気は窺える。そうして、暫く歩いていれば、ボロボロのタペストリーの吊された今にも崩れそうな家屋が見えてくる。


 その家のドアを叩扉して間もなくだった。姿を現したのは真っ赤な髪のタトゥーだらけの女──イングリッドだった。


 彼女はノクティアを見るなりに顔をくしゃくしゃにして笑む。そうして閉じ込めるようにノクティアを強く抱き締めた。


「ノクティア……よかった。あんたの伯母さんから色々と話は聞いていたけど、私はもう、あんたに二度と会えないかと思った」

「私もだよ、イングリッド会いたかった」


 ノクティアは更にイングリッドを強く抱き締める。暫しして、イングリッドはソルヴィを見て「よぅ、あんたが旦那さんか」と悪戯げに語りかけた。


「ノクティアの伯母さんから話は聞いたよ。旦那さんはいい奴そうな上、逞しいから頼りがいありそうだって。それを知ってまだ安心できたんだ」


 そんな風に言ってイングリッドが笑う。


「俺もノッティから話は聞いていた。姉みたいに大事な人がいるって」


 そんな風にソルヴィが言うと「血は繋がらないが自慢の可愛い妹だ」と、イングリッドはノクティアの肩を抱いて誇らしげに言う。


 何だかその言葉が擽ったいが、幸せで堪らなかった。そうして、イングリッドは家の中にノクティアとソルヴィを招き入れようとしたが、ソルヴィは首を振る。


「募る話もあるだろ? 二人でゆっくり話すといい。俺は宿の手配だけしにいく。終わったらまたゆっくりと戻ってくる」

 そう言って、ソルヴィはイングリッドに礼をすると、踵を返した。

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