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7 復讐への覚悟

 ノクティアがソルヴィに救い出されて三日。体調は少し良くなってきた。

 怪我の状態を心配した診療所の医者とその妻まで家を訪ねてくれて、ノクティアがしっかり起きているのを確認すると、心底安心した顔をしていた。


「お洋服ありがとう」


 素直にノクティアが礼を言うと、医師の妻は首を振り「無事で良かったわ」と微笑むだけだった。しかし、その目は憂いを帯びており、こんな見ず知らずの他人にここまで心配をかけてしまった事に恥ずかしさと同じくらい申し訳なさを覚えた。


 片やソルヴィはというと、口数は多くないものの、甲斐甲斐しくノクティアの世話を焼いてくれた。


 しかし何より驚かされたのは、この男は実際にはとんでもなく図体が大きかった事だった。寝て見るのと立って見るとでは全然違う。自分との身長差は頭二つ分以上あるだろう。それも肩から上腕周辺は非常にガッチリしている。


 ……ヒグマという生き物は絵や彫刻、毛皮でしか見た事がないが、恐らくこんなではないかと思ってしまう。


 いったい何で生計を立てればこんな立派な体躯になるのか……。

 そんな風に思ったが、家の入り口に随分と大きく、立派な斧が置かれているので、木こりだろうとすぐに想像できた。

 それに彼の言う通り、この家には医者以外誰も訪ねて来なかった。本当に良い人に拾われた。既に一度死んでいるが、もはやここで一生分の運を使い果たしてしまったような心地さえした。


 そうして四日が経った晩、夕飯の席でノクティアは明日ここを出る事をソルヴィに伝えた。 


「本当に大丈夫なのか? 身体は痛まないのか?」


 正面の席でソルヴィは大きな手でパンをちぎりつつ、心配そうに訊く。ノクティアは頷いた。

 乗馬鞭で撲たれた痕はまだくっきりと身体中に残っているが、ヒリヒリとした痛みはもう無い。熱も下がったので既に立っているのも歩くのも苦ではなかった。


「色々とありがとう。あまり長く世話になるのも悪いし、こんなんでも私、少し済ませないといけない用事があってね」


 さすがに、これから義妹を殺そうと考えているだの言えたものではない。

 しかし彼はノクティアの言葉を追求せず「そうか」と言って頷くだけだった。


「それと毎日ご馳走様。ソルヴィってきっと力仕事をしている労働者かなって思うけど……コックさんにもなれちゃうかも。スープやトナカイのお肉の焼いたものとか美味しかったよ」


 ここに来てソルヴィに食べさせて貰った料理はどれも絶品だった。ノクティアが礼を言うと、彼はほんのりと頬を赤らめて頬を掻く。


「口に合って何よりだ。こんな料理でよければいつだって食わせてやるさ」


 そんな風に言ってソルヴィはわずかに口元を綻ばせていた。

 本当に優しくて良い人だ。そんな彼が眩しくて仕方ない。健気に働き、金銭を得て、見ず知らずの他人に優しくできる。こんな後ろ暗い感情を持つ自分とは正反対に思ってしまう。ほんの少しだけ、ノクティアは彼が羨ましく思ってしまった。


 そうして明朝。陽が昇ってから、ノクティアはソルヴィの家を出発した。

 その時、初めて外に出たが、彼の家は穏やかなフィヨルドの海を間近に望む丘の上にぽつんと立った木の家だった。本当に簡素な造りで、外から見ただけでは農具など入れる納屋か狩猟小屋のように見える。周辺に民家もほとんどなく、随分辺鄙な場所に住んでいるのだなと思った。


 別れ際、ソルヴィは王都まで馬車に乗れるほどの金と、木で拵えた小さな笛をくれた。金に関してはさすがに申し訳がないので断ったが、それでも万が一に持っていろと彼は随分と強引だった。笛の方に関しては──


「存知だろうがこの周辺の森は肉食の野生動物がいるからな。この辺りのヒグマは人慣れしていない良い奴が多い。音を鳴らしておくと、あちらから逃げてくれる。まぁ、できる事なら馬車を捕まえて移動した方が良いが、一人で森の近くを歩く時はこれを使え」

 ……との事だった。


 笛は革紐で括られており、銀の装飾も施されている。それをノクティアはネックレスのようにして首から提げていた。誰かからこんなふうに送りものをされたのは初めてで、ノクティアは何だかとても嬉しい気持ちになった。


 けれど、そんなのほほんとした気持ちは、ヘイズヴィークに近付くにつれて翳ってくるものだった。

 スキルとヴァルディとはソルヴィが寝たであろう夜半に何度も打ち合わせをしたが、本当に自分は成し遂げられるのかという不安があった。


 ──作戦は義妹を洗脳し、切り立った崖の上に連れ出して突き落とす。自分と同じ死を辿らせるというものだった。


 二羽のカラスたちから聞いたが、魔女の力というのは大まかに分けて三つある。

 ……洗脳、魅了、そして精霊や妖精などの自然霊と繋がり力を借りる事。


 二羽のカラスのまともな方、スキルが言うには〝ノクティア〟の名前は夜の女神を由来するだろうとの事だった。

 この土地に古くから根付く、二つの死後世界や戦を司る神々や怪物の名前が数匹程度しか知らないので、夜の女神の存在というのは知らない。


 確かにルーンヴァルトの言葉でノクトは夜を示すが……。


 なにやら、付けられた名前というのは力を宿しているもので、その存在を引き寄せて扱いやすいらしい。


 そもそも精霊というのは昼と夜。あるいは芽吹き・生育の春夏と衰退・枯死の秋冬の二種に分けられているそうだ。

 水、風、火、木、光などは昼の者。そして、この国の者たちが最も嫌う氷や雪、冷たい土、極夜の闇……。こういったものが夜の者と象徴させる。


 つまり……ノクティアは授かった名から、眠りや死を司る夜の者とされる闇や冬の精霊と繋がりやすいらしい。


『そう。だからねぇ暗殺には面白いほど相性が良いんだよねぇ。あとあれ、女神様の加護も授かってるんだから激強』


 ──多分一国滅ぼせる。おう、きっと楽勝。なんて、適当にヴァルディも言っていた。この言い方からして、嘘か本当かは分からないが……。


 そんなヴァルディの力はまだよく分からないが、スキルの持つ力はとてつもなく便利なものだった。なにせ、視覚を共有できるのだ。


 それもスキルの目を使って洗脳が行える。試しに近くの森の中で見つけたリスを眠らせたが思いの他、簡単にできた。なので、恐らく人間相手にも怪しまれる事も無くできるに違いない。立てた作戦はきっと簡単に成功する。この力をもってすれば、簡単に人の命を奪えてしまう。どことなくそれが理解できてしまった。


 本当に正真正銘の魔女になってしまったのだ……。


 ノクティアは緩い波が立つ海を見て立ち止まり、そんな事を考えていれば二羽のカラスが現れる。


『もしかして、怖くなってきたのです?』


 スキルに訊かれてノクティアは曖昧に首を振った。


「そうするって決めたから。あんな事をされて、どうしても私は許せなかったから、やり遂げる予定だよ」


『肩が震えてぞ~地震みたい~』


 ヴァルディに言われて、ノクティアは目を細めた。


「怖いとか緊張って感覚くらいあって普通でしょ……」


 人なんて殺した事は無い。ここまでの恨みや復讐心なんて持った事無い。ノクティアはそんな言葉を溢すと、ヴァルディはやれやれといったそぶりで首を振る。


『ま~さ、なるようになるんじゃね? 補佐はするからよぉ。気楽に殺りに行きゃいいじゃん。おう、気楽に』


 悪びれた調子もなく、稚い声でしれっと物騒な事を言うので脱力してしまう。

 とはいえ、このカラスたちにはこの四日でいい加減に慣れてきた。


『とりあえず、屋敷の様子を探りつつ、夕刻くらいには実行ですよね? 実行場所の下見と、身を潜められそうな場所に行きましょう』


 スキルのそう促されて、ノクティアは再び歩み始めた。


 ---


 そうして、歩んで暫くするとヘイズヴィークの街に辿り着いた。

 屋敷の目と鼻の先だ。だが、スキルの情報によると、今はノクティアを捜索している者はいないとの事。なので、ノクティアはパン屋でサンドイッチとチーズの入った白いパンを買って、まず腹ごしらえする事にした。

 本当なら盗んでもいいと思ったが、ソルヴィからお金を貰ったのだ。逃亡資金は、スリをすればなんとかなるだろうし、今は洗脳も使えるようになったので、ほんの少しだけ、気持ちに余裕があった。


 しかし人気の多い場所は目が回った。数日、寝たきりだったし、体力も無くなっているのだろう。パンを買ったノクティアは湾を囲むフィヨルドの丘陵に向かい、そこで食事を取った。


 スキルとヴァルディは飯を食べなくても生きていけるそうだが、どうにもノクティアがパンを食べていると、ジッとした視線を感じるので、サンドイッチの端切れを与えてみた。するとみるみる目を輝かせたのである。

 どうやら相当美味しかったらしい。あまりにも美味しそうに食べて喜ぶので二羽に半分ほど与えてしまった。しかし無邪気に喜ばれるのは、何だか嬉しい気持ちになる。


「色々と終わったら、また食べようね」


 ノクティアがそんな風に二羽に呼びかけると、スキルとヴァルディは嬉しそうに何度も頷いていた。


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