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3 義妹の毒牙

 女の使用人は手際よく二人分のお茶を入れ、丁寧な所作でテーブルにカップを置く。エリセはそれを優雅な所作で取り、ぽってりとした唇をカップに付けた。

 飲んで良いのだろう。ノクティアもカップを手に取り一口飲む。

 不味くは無いが、普段は水か湯しか飲まないので何だか不思議な味わいがする。しかしどうにも視線がいちいち鬱陶しい。お茶を飲んでいるだけなのに、エリセが睨むのでノクティアは直ぐにカップを置き彼女に向き合った。


「あのさ。あんたが婚約を嫌がったから、私は攫われるみたいにここに連れて来られたの。あんたは随分とお育ちが良いのに、人に何かを頼む時の言い方や態度を親に教わらなかったの?」


「貧困街の小汚いネズミみたいな女に何を畏まらなきゃいけないのよ?」


 吐き捨てるように言うと、エリセはやれやれと首を振り、更に続けた。


「だって、別に貴女にとって悪い話じゃないでしょう? なにやら、お父様はビョンダル伯爵に先の戦で大きな借りがあって、うちは男児に恵まれないだろうって伯爵の息子に婿入りを約束したらしいのよ。それでこの領地を譲るんですって。その相手というのが、ビョンダルの猛獣騎士だの言われている野蛮な巨漢」


 うげぇ。なんて舌を出してエリセは言う。つまり、その猛獣騎士だの言われる巨漢と結婚したくなくて押しつけたのだろう。


「それで私を? 随分身勝手ね……」


「そもそも私は自分の家より爵位が低い夫なんて嫌なのよ。それも婿にですって。いくら大好きなお父様のお願いでも嫌。私に相応しい夫は公爵位の殿方か王子くらいだもの。いいじゃない? それで、穢らわしい貴女は、表に立たなくても、子を拵えるだけでご飯が食べられて、良い服が着られるのだもの」


 そう言ってエリセはせせら笑う。腸が煮えそうだった。ノクティアは一つ舌打ちを入れてエリセを睨み据える。


「誰がなるか。私が貧困街のネズミなら、あんたは裕福なブタだ」


 ノクティアが冷淡に告げた途端だった。エリセはノクティアに向かって飲みかけのお茶をかける。


「──熱っ!」


 湯気が立ち上る程の温度だ。顔にはかからなかったが、首筋に鋭い痛みが走る。

 それだけでノクティアの怒りを煽るに充分だった。ノクティアは立ち上がるなり、エリセの胸ぐらに掴みかかる──その途端だった。


「いあぁああ! やめてお義姉様ぁ! 撲たないで!」


 エリセは金切り声を上げて叫ぶ。するとたちまち、いくつもの足音が響き男の使用人たちが部屋に踏み込んできた。

 そうして、この状況を見るなり、ノクティアを乱暴にエリセから引き離して羽交い締めにした。

 片やエリセはというと、若い男の使用人に抱き留められ、その胸で嗚咽を溢して泣いている。


「ひどいのよ。お義姉様がひどいの……私はただお喋りしたかっただけなのに」


 突然の豹変に何が何だかよく分からない。しかし、この女に欺かれたのだと分かる。


「……あんたたち、この女が何をしたのか見ていたでしょ?」


 困惑気味にノクティアがその場に居合わせた女使用人たちに訊くと、彼女らは「はて」と言わんばかりの顔でノクティアを見る。


「エリセお嬢様はノクティア様と友好的にお喋りをしようとしていただけじゃないですか? それなのに、ノクティアが掴みかかって……」


「熱湯をぶっかけかられて、ここまで罵られて友好的?」


 ──目も脳味噌も腐ってるんじゃないの!

 ノクティアが怒声を上げると、エリセは「ひどい言いがかりだわ」と鼻をすする。


 使用人たちの視線は冷たい。しかしただ一人だけ、違ったものがいる。ノクティアの髪の手入れをしてくれたおどおどとした使用人だ。彼女は怯えた瞳でその場で凍り付いていた。


「ねぇ、あんただって、今までの一部始終を見ていたでしょ?」


 ノクティアが訊くと、彼女は震えながら頷いた。


「今のは……どう考えても」


 彼女が震えながら声を出そうとした矢先だった。女使用人まとめ役と思しい貫禄ある女は低い声で「ソフィア」と窘めるように切り出した。


「ソフィア。貴女は何をみたというの?」


「私は……その……」


 ソフィアと呼ばれた妙齢の使用人は今にも泣きそうな顔をした。


「ノクティア様が掴みかかったのが最初。自分でお茶を溢したくせに、それをお前のせいだとエリセお嬢様に言いがかりをつけていましたよね? 違いますか?」


「そんな事はしていない! そっちの方が言いがかりでしょ! ねぇあんた、全部見ていたでしょ!」


 ノクティアは叫んで藻掻くが、ガッチリとした男の使用人に押さえつけられているので、びくとも動かない。「ふざけるな!」と叫ぶが……直ぐさま、口を手で塞がれた。


「感情的になってはお話が進みませんよ。どうかお静かにお願いします」


 一人の男の使用人はノクティアに穏やかに言う。しかしその表情は明らかな蔑視が含まれていた。


「そうですよね? ソフィア?」


 圧をかけるように貫禄ある女使用人が訊く。ソフィアは目を瞠ったまま、震えて頷いた。

 ノクティアは睨むようにソフィアを見るが、溺れるように瞳を潤わせて彼女は俯いてしまった。俯いた彼女からが、目元からはたはたと雫が落ちている。


 最悪だ。何もかもが最悪だ。なんて場所に来てしまったのだろう。初めから信用していなかったが、〝必ず助けになる〟だとか言っておきながら、エイリクという父の従者はなぜ来ない。

 否、あのエイリクという男が使用人頭だ。〝こういう風にしろ〟という根回しを最初からしていたのだろうか。ノクティアは呆れさえ覚えた。


 やがて、エリセは男の使用人に促されて退席する。その際、ノクティアを見た彼女の顔はまるで『ざまぁみろ』とでも言いたげに顔を歪めており、不快極まりないものだった。


 初めから分かっていたが、あれは嘘泣きだったのだろう。本当にどうしようも無い性悪女だ。同じ血が半分流れていると思うと余計にゾッとする。

 そうして使用人たちも続々と退席し、ソフィアという使用人も引き摺られるように連れて行かれた。

 部屋に残ったのは、自分を押さえつける男使用人と、貫禄のある女使用人だけ。ノクティアはそこでようやく、口元を覆われていた手を離された。


「ノクティア様……貴女は癇癪持ちの、どうしようもない嘘吐きな娘ですね」


 女使用人に冷淡に言われてノクティアは唇を拉げた。


「……本当にあんたたち全員、目も脳味噌も腐ってるんじゃない? それか頭にボウフラでも湧いてるの? 心底気色悪い」


「いいえ、貴女がおかしいのです。育ちが悪く、教養も無い。言葉使いも悪ければ、所作も汚らしい。旦那様、奥様、エリセ様の言葉は絶対です。貴女が旦那様の子だとしても庶子は庶子……表立つような存在ではないですよ」


「そう。だったら元の場所に返して。エイリクとかいうあのおじさん呼んできてよ」


 ──今すぐにでも帰る。こんな頭のおかしい連中ばかりの屋敷に居たくもない。ノクティアがハッキリとそう告げるが、女使用人は首を横に振る。


「いいえ、エイリク様も忙しいのです。そうはなりません。そもそも、貴女を代理と指定したのはご当主ですから。貴女は表に立たずとも侯爵夫人になるのは決められているのです。とりあえず、今の貴女に必要なのは躾でしょう」


 女使用は淡々と言うと、押さえつけている男使用人に「ではお願いします」と言って、部屋を出て行ってしまった。


 そうして、ノクティアが男の使用人に引き摺られて連れて行かれた場所は、屋敷の離れ──寂れた場所にある納屋だった。


 そこに待っていたのは複数人の男使用人と、観客とばかりに先程見た女使用人もいる。ノクティアはたちまち衣類を脱がされ、肌着のシュミーズだけになると、後ろ手で拘束された。

 乱暴でもされるのかと思ったが、たちまち乾いた音と同時に、背後から身を裂く程の痛みが突き抜ける。

 何をされたのか……怖々と振り返れば、男使用人は乗馬用の鞭を振り翳していた。

 ノクティアの甲高い悲鳴が劈いた。それと同時に嘲笑はドッっと響く。


 ────小汚い貧困街の女。母親はここの使用人だったらしいけど、きっと若かった頃の当主を誘惑して既成事実を作ったとんでもない性悪女。


 きっと売女に成り下がった女の娘だ。身体が貧相でも顔は別に悪くないからきっと、母親と一緒に股を開いて、それで飯を食ってきたのだろう。


 そんな事は無い。そんな事はしていない。叫びたいが、繰り返し襲い来る鮮烈な痛みにノクティアは暴れ藻掻く。

 そして、意識を手放した瞬間に水をかけられた。あまりの寒さにノクティアは震え歯を鳴らす。


 殺されてしまう。ここに居たら……きっと殺されてしまう。

 危険な街に住んでいたというものの、ここまでの命の危機は今までに一度も感じた事はない。

 涙か水かも分からない水が顔面に垂れ落ちる。目頭が熱い。寒いのに、撲たれた場所が焼けるように熱い。


 ノクティアはその晩、絶望の淵に立たされた。


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