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1 身代わりの花嫁

 短い夏が終わり、冷たい空気が漂い始めた秋口だった。

 ノクティアは薄暗いボロ屋の中で革製のバッグや靴、ナイフケース、どこか異国情緒を感じる小物入れなど……ガラクタの山に手を伸ばし、一つずつ検品していた。

 これらは全部仲間たちが外国人からくすねた盗品だ。

 王都は港に面しており、夏季は交易が栄えて外国から商人が多くやって来る。この時の落とし物や、スリで盗んだものをこうして品物にして市場で売る……いわゆる泥棒市は秋の大事な収入源であった。


「ノクティアどう? 今年の収穫は」


 入り口にかけられたボロボロのタペストリーを捲って入ってきたのは、目が覚めるほどに赤々とした髪色の女だった。

 その長い髪は器用に編み込まれて銀の装飾品で飾られている。裾の破れたウールのチュニックに革製の下衣。毛皮のショール羽織ったその姿は、勇敢な女戦士を彷彿する勇ましさを感じられる。 


 彼女は検品をするノクティアの隣にしゃがむとニッと笑み、自信に満ちた灰色の瞳を向ける。


「まぁまぁじゃないの。売れるかどうかが問題だけど……」


「そこは、あんたの腕の見せ所。ロストベインの一輪花なんだから。あんたこの街じゃ一番可愛いんだから愛想良くしてれば大丈夫だって」


「イングリッド……私、こんな臭い街の花とか嫌なんだけど」


 ノクティアは赤髪の女──イングリッドに半眼になってため息をつく。


 伯母のもとから家出して七年。十一歳だったノクティアは十八歳になった。


 ──腰までつくほどの長い白金髪に、どこかあどけない顔立ちを彩るヒースを思わせる薄紫の瞳。色褪せたウールのワンピースに毛皮のショールを合わせたみすぼらしい装いであるが、ノクティアは貧しいながらに可憐な娘に育っていた。


「あんた腕っ節悪いし、スリ以外はまともにできないんだから、少しくらいは愛敬振りまいたって別にいいじゃない」


 こんにちは旦那様。なんてイングリッドがわざとらしく鼻につく甘い声を出すので、ノクティアはますます目を細める。


「イングリッドの方が上手でしょ……」


「馬鹿言わないでちょうだい。こういうのはタトゥーの入っていない可憐な乙女がやるから良いのよ」


 自分が可憐かどうかはさておき、確かにイングリッドの言うのも一理あるとノクティアは思った。

 イングリッドの首筋や手の甲には幾何学模様や戦を司る女神の名を記したタトゥーが入っており、見るからに柄が悪い。


 ルーンヴァルトでは昔からタトゥーは身を守る〝まじない〟のために入れられるので一般的だが、近年は〝ならず者の象徴〟といった風潮となりつつある。窃盗や強盗などで警邏の騎士に捕まった時に入れられる事もあるからだ。


 出会ったばかりの頃のイングリッドはここまで派手に入っていなかったが……。


 ノクティアは彼女と出会ったばかりの頃を懐古する。貧困街にやって来て間もなく、イングリッドに声をかけられた。自分より二つ年上で、当時十三歳の少女にして既に罪人のタトゥーが手首に刻まれていた。それを隠すように上からタトゥーを彫って、首まで増え……気が付けばこの有様だ。


「イングリッドは綺麗なのに、何だか勿体ない気がするよ」


 ぽつりと言えば『馬鹿言うんじゃないよ』なんて吐き捨てつつ、イングリッドは溌剌とした笑い声を上げる。


「さてと。もうひと仕事したら来るわ。昼飯何か調達してくるね」


 そう言って、手を振ると彼女はタペストリーをくぐり抜けて出て行ってしまった。 


 イングリッドに出会った事で仲間が増えた。彼女の弟……自分より一つ年上のジグルドにもよく世話になっている。

 ならず者たちも存外気が良い連中ばかりで、この街に来たノクティアに優しくしてくれた。見た目こそ怖いが意外にも貧困者の女、子どもや年寄りに優しく、食べ物を分け与える場面は多く見かける。また、真冬に路上で凍死した浮浪者を簡単な葬儀とばかりに、祈りを捧げ、王都からほど近い森に埋葬を行っている場面だって何度か見た事はある。

 飢える事は度々あるが、それでも決して不幸ではなかった。

 仲間がいる事だけは心強い。こうして一生このままこの街で過ごしていくのだろうとノクティアは思ったが、その日の正午予想もしない来客があった。


 やって来たのは伯母だった。


 伯母は年に何度かこの街に来て、ノクティアを連れ戻そうと説得に来る。貧困街の人間もノクティアの身内と分かっており、取り囲むような真似はしなかった。

 そもそも伯母も貧困者だ。ここの人間ほどみすぼらしくないが、装いに大差はない。


 あの日の事を〝カッっとなって言い過ぎてしまった、本心ではない、心配だ〟と何度も謝られた。けれど今現在、窃盗を働く事もあるので、伯母の言ったように〝泥棒〟に違いない。

 人としての道を踏み外してしまったのだ。自ら語る言葉は無く、たとえ伯母が訪ねてきたとしても、ノクティアはまともに取り合った事が無い。


 しかし今日は妙だった。

 いつもはたった一人でこのボロ屋まで尋ねて来るのに、今回一緒に男が三人。この街に浮く程、小綺麗な装いをした男たちを伴っていた。

 それも近くに上等な黒塗りの馬車を留めている。

 一人は五十代も半ばと細い体躯の男だが、二人はイノシシのように太くガッチリとした体格のもっさりした髭面の男が二人。この男二人に関しては間違いなく護衛だろう。腰には刀剣を携えている。その物々しさに街の人たちは不審な目を向けていた。


「ノクティア様でいらっしゃいますね?」


 小綺麗な中年の男はノクティアに丁寧な一礼をする。


「何の用。まさか伯母さんに雇われたの?」


 自分を連れ戻すためにそこまでするか? そんな金も無い癖に。と、ノクティアは半眼になるが、男は首を横に振る。


「いえ。ノクティア様の住んでいる場所まで案内して貰っただけです。貴女に大事なご用件がありまして」


 こんな上等な身なりの奴が貧困者に何の用だ。ノクティアは半眼のまま男を射貫く。


「……ヘイズヴィーク侯爵のご命令で参りました。ノクティア様。貴女には結婚していただきます。ビョンダル伯爵の次男がヘイズヴィークに婿入りし領を継いで下さります。貴女には彼の妻になって貰います」


 その言葉にノクティアの思考は止まった。

 ヘイズヴィーク侯爵──母を捨てたいまいましい貴族、自分の父親と。それを理解した途端にノクティアは目を吊り上げて、青筋を立てる。


「ふざけないで……どうして私が」


「全ては貴女のお父様、イングルフ様からのご命令です。代替わりです。分かりますね。貴女のお父様は先が長くないのです」


「勝手にくたばればいい! 私に父親はいない!」


 妊娠が分かった母に手切れ金を渡して放り出した。病気になった母を見殺しにした。それなのに母は何度も父の名を呼んでいた。イングルフ、愛している。早く会いに来て……会いたい。母の懇願を思い出したノクティアは男を恐ろしい形相で睨み据える。

 だが、男は怯む様子もなく淡々と話を続ける。


「本来であれば、貴女の義妹のエリセお嬢様に向けての縁談でした。しかし、エリセ様は婚礼を嫌がりました。奥様もエリセ様に婿を取らせるのは猛反対で……」


 つまりは身代わりだ。

 本妻と本妻の子が嫌がったので、外に放り出した使用人が生んだ庶子を割り当てるというのか。あまりの身勝手な思考にノクティアは怒りに震える。


「ノクティア、悪い話ではないと思うわ。確かに思う事はあるでしょう。許せない気持ちも分かる。だけど、あんたが生活や飢えに苦しむ事もなくて、教育だって受けられる。人として真っ当な人生を歩めるのよ」


 伯母の言葉にノクティアは即座に首を振る。


「伯母さんはこの男や、ヘイズヴィーク侯爵に金でも貰ったの?」


「貰ってないわ」


 即答だった。向けられる瞳があまりに真摯なので、とても嘘を言っているようには思わない。


「あんたが真っ当に生きて、飢えずに生きてくれるならそれでいいと思った。私があなたを飢えさせなければ、こうはならなかったはずだもの……」


 ただそれだけだと。伯母はノクティアに視線を合わせると、両肩を強く掴む。久しぶりにまじまじと伯母の顔を見たが、老けたと思った。

 灰金色の髪は白髪が多く交ざり、肌に刻まれた皺も濃くなった。けれど、母と同じアイスブルーの瞳の力強さはそのままだ。案じている事は分かる。このままではいけないと言いたい事も伝わる。


「だけど叔母さん悪いけど私は……」


 やんわりと拒絶しようとした矢先だった。


「さて。悠長に話している時間もありません。さぁノクティア様、参りましょう」


 合間を割って中年の男は言うや否や、ノクティアの腕を掴み歩み始めた。


「やめて! 何をするの!」


 ノクティアは声を張り上げ、その手を振り解こうとするが、男は力強く引き摺った。

 この騒動を尋常でないと感じたのだろう。それまで静かに睨むように傍観していたイングリッドは合間に入ってきた。


「ちょっとおっさん、嫌がっているじゃないの」


「穏やかじゃねぇな。黙って聞いていればノクティアの意思は関係無いんだな?」

 ──おまえ、ノクティアの事を人間と思っていないだろ。怒気をあわらにしたジグルドも突っかかってきた。


 姉と弟なだけあって似ている。ジグルドはイングリッドと同じ真っ赤な髪を編み込んで、側頭部を刈り上げた風貌の厳つい強面だ。そんな彼が凄む様は恐ろしいものだった。

 しかし、すぐさま護衛の二人が前に出る。途端に乱闘が始まった。その隙と言わんばかりに腕を引く中年の男に馬車に押し込まれて、すぐさま馬車は走り出す。


「下ろして! 下ろしてよ!」


 暴れるノクティアを、押さえつけて中年の男が苦笑いを浮かべるだけだった。

 窓から見える伯母の顔は物憂げではあるが、どこか安堵したようなものだった。馬車から見える貧困街が離れるほど、イングリッドとジグルドの怒鳴り声は遠のいていった。


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