もうすぐ、ロクロウと共にすごした七獄の年が終わる。
いつまでもここに捕らわれていては、きっと新しい年に行けない。
思い出はもう、ここに置いていかなければ。
「…………っ」
涙を袖で拭って立ち上がる。
結局、守られてばかりだった自分は、彼のために何かしてやれただろうか。
涙につられて鼻水も出てくる。それを思いっきり吸い上げて、もう一度袖で涙を拭ってから、蓮夜はリュックを持って踵を返した。
「……行けたみたいだぞ」
――背後に声が湧き出たのは、その時だった。
その声は、とても懐かしく、もう聞くことのできなくなったはずたったもの。
反射的に振り向く。
地蔵の上に、見覚えのある姿がしゃがみ込んでいた。
それは、まるで出逢った時と同じように――。
「ロク、ロウ……?」
「……よう、元気にしてたか?」
黒い瞳がぶつかれば、ロクロウはどこか困ったように、それでいてどこか懐かしむように微笑んで言った。
「……え、本当に……ロクロウなの?」
「……おう」
ロクロウが地蔵の頭から降りて、数歩蓮夜に近寄る。
黒いスーツに白いシャツ、鋭い瞳、高い背丈、低い声……それは忘れもしない、ロクロウの姿だった。あの日、消えてしまった時と同じ姿で今目の前にいる。
驚いた蓮夜はつい自分の頬に手を持っていってつまんでみる。痛いとわかって、これが夢ではないことを理解すれば、何してるんだよとまたロクロウが笑った。
「僕……ロクロウは、消えちゃったんだって……」
何か言わなければと喉の奥から絞り出した言葉は、情けないくらいに震える。一度袖で拭った涙がまたしても両目に膜を張る。
「地獄に……閻魔の目を……僕の代わりにロクロウは……消えちゃったんだって……っ」
堪え切れなくなった涙があふれて、喉の奥から出る言葉は支離滅裂になる。
だけどロクロウは否定もせず、また困ったように笑ったまま静かに言った。
「確かにあの時、閻魔の目と一緒に地獄に落ちて封印されてやろと思ってた。でもな……結局はお前さんに呼び戻されたんだよ、俺様は」
「どういうこと……?」
「……お前さん、人魂不殺の術をかけたときも、六怪異討伐時に俺の傷を塞いだ時も、全部自分自身の血を使ってただろ。お前さんの血がいつの間にか俺様の中に巡りすぎて……俺様の魂の血管になってたみたいだ。おかげで、お前さんのところに呼び戻された」
まるで赤い糸みてぇな話だけどなと。
切っても切れない縁ができたおかげで行くべきところが変わったんだとロクロウは言った。
「と、まぁそんな具合で? お前さんのおかげでこの世に逆戻りだ」
わざとらしく肩をすくめて見せる。
「さぁ、蓮夜。どうしてくれる?」
にやっと、どこか嬉しそうにロクロウが笑った。
「……ロクロウ」
溢れた涙で目の前が滲む。だけど、目の前の姿は今度こそ消えたりしない。
涙で滲んでいても、確かにそこに存在している。
手を伸ばせば届く距離に、あの日……夏越蓮夜の宿命を肩代わりしてくれた恩人は帰ってきた。
「ロクロウが……また悪さしないように、」
眼を擦って前を向く。
「おう」
「僕がまたちゃんと……見張っておかないと、だね」
堪えられない涙は隠さない。この涙も全てが蓮夜の嬉しい気持ちだからだ。
笑い泣きして言えば、ロクロウも茶化さずニヤリと笑って言う。
「少し会わねぇ間に、言うようになったじゃねぇか」
雪風は二人の間を埋めるように吹くが、それをも超えるようにロクロウは蓮夜にさらに近寄る。
幾分か背が高いロクロウを蓮夜が見上げれば、黒い瞳同士がまたぶつかった。
「ところで今、妖退治も幽霊退治にも貢献できるうえに、能力の修行にも付き合ってやれる超優秀な怨代地蔵付きの悪霊が大売出しの最中だが……お前さん、ご入用じゃあねぇか?」
ロクロウはそう言うと、蓮夜の左胸を指でつついた。
そこは、かつて憑代契約をしていた時に
そして、命が宿る場所。
ロクロウと蓮夜を繋いだ……血を巡らせる核がある場所。
「……その悪霊、買った!」
涙を袖で拭って笑えば、ロクロウはどこか優しく目を細めて笑った。
遠くで除夜の鐘が聞こえ始める。
もうすぐ、年が明ける。
「おかえり、ロクロウ!」
そうロクロウに言えば、彼は素直に「おう、ただいま」と返事をした。
雪は二人の間を柔らかく舞い続けるが、その間に隔たりはもう何もなかった。
二人の物語は、まだ終わらない。
血よりも深い縁は、確かに結ばれている。
―終幕―