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第二幕 行くべき場所

 食材の買い出しを手伝い、家の大掃除を終わらせると、時刻はいつの間にか二十時を回っていた。家が広いと掃除が大変だというのは本当で、毎年大掃除はかなりの時間がかかる。


 居間のテレビで歌合戦が放送されているのを横目に見ながら、大晦日の定番である年越しそばをすする。今年は坊主達の計らいで海老天のほかに一枚だけお揚げが乗っかっていた。甘い出汁がしみ込んだお揚げを箸休めとしてつつきながら、いつもよりゆっくりとそばを食べていく。

「蓮夜、今日はこの後出掛けるんだったね」

「うん。初詣の約束してるんだ」

 口の中のそばを飲み込んでから、祖母の問いかけに返事をする。

 そばを食べ終わったタイミングで、坊主が蓮夜の前に熱いお茶と高そうな栗の入った羊羹を差し出した。デザートということなのだろう。串で刺して口に運べば、餡子と一緒に栗のほのかな甘みが口内に広がった。

「寒いから、カイロでも持っていきなさい」

「そうする」

「お風呂は?」

「入ってから行く」

 その会話を聞いていた坊主が、さりげなく居間を出て浴室に向かったのがわかった。恐らく湯船の用意をしに行ってくれたのだろう。

「湯冷めしないようになさいな」

「わかってるよ、大丈夫」

 テレビに視線を向けたまま返事をして、羊羹を咀嚼し続ける。紅組と白組に分かれたアーティストが、みな楽しそうに歌ったり笑ったりしている。今年も残すところあと数時間となりましたと、決まり文句の様に繰り返すのがなんとなくおかしかった。

「そうだ、ばあちゃん。裏庭に咲いてる椿の花……少しだけ貰ってもいい?」

「いいけど……摘むときには鋏を使いなさいね」

「ありがとう」

 あえて何も聞かない祖母の返事に、少しばかり安堵する。

 残りの羊羹をすべて平らげてから浴室に向かえば、湯は既に張られていた。一度部屋に戻って着替えを取ってから浴室に戻って湯船につかる。今朝の雪かきで少しばかり霜焼けになった指先がピリッとひりついた。


   ***


 ゆっくりと時間をかけて入浴して髪を乾かし部屋に戻れば、時刻は二十一時半過ぎになっていた。蓮夜はなるべく湯冷めしないようにと重ね着をして、最後に厚手のコートを羽織った。

 クローゼットの奥に去年買ったはずのマフラーがあったことを思い出してそれもつける。手袋ももちろん着用した。

 裏庭に回って、椿の花を少しだけ貰う。それをリュックのサイドポケットに刺してから玄関を出た。

 夜のはずなのに、空はどことなく雲に覆われて鈍色に見える。また雪がふるかもしれないと思わせる寒さに身を震わせて、蓮夜はゆっくりと歩き始めた。


 待ち合わせの二十三時まで、あと一時間はある。

 蓮夜は時計を確認しながら、その足を神社とは違う方角へと向けていた。

 手袋をしていても寒さは布を通り越して手を冷やす。それを回避しようと手をポケットに突っ込んでゆっくりと歩き続けた。

 道路に残った雪が凍結しているから、上手に歩かなければ転んでしまいそうだ。

 通り過ぎる住宅にはどこも暖かそうな光が灯っていて、それと共にテレビの音や人が談笑する声が流れ出していた。

 それに耳を傾けながら、ゆっくりと歩を進めれば、やがて蓮夜の目の前に目的地が現れる。


 ――怨代地蔵。


 あの日、ロクロウと初めて出会った場所。

 そして昔、六朗が命尽きた場所。


「………久しぶり」

 誰に言うわけでもなくそう独り言ちると、蓮夜は怨代地蔵の前にしゃがみ込んだ。

 地蔵は相変わらず落書きなんかで汚れていて、その頭には今朝の雪がまだうっすらと残っている。それをリュックから出したタオルで少しばかり払ってから、落書きなんかを落としてやろうと何度か強く力を入れて擦ってみる。だが、落書きは少し薄くなっただけで綺麗には落ちてくれなかった。

「今度、また掃除に来るよ」

 言いながらリュックのサイドポケットに刺していた椿の花を取って、怨代地蔵の前に置く。

 深紅の花びらは地面に残った雪の白さに嫌でも映える。

 それをただジッと見つめて、蓮夜は暫くそこに座り込んでいた。年末ということもあって、背後の通りを進む車も少ない。

 時折強く吹く風が、どこからともなく雪雲を連れてきて、やがて空から白い雪を降らせ始めた。

「……あなたが彼の魂を繋ぎ留めてくれたから、僕は彼に出会うことが出来た」

 白い息と共に怨代地蔵に話しかける。無論、返事はない。

 六朗という人間が命を散らしたあの日、怨代地蔵は彼を思っていた彼女の願いを受けて、彼の魂をここに残した。それは彼の願った事……望んだことではなかったかもしれない。だけど、それでも蓮夜は怨代地蔵に感謝したいのだ。


 彼は……ロクロウの魂は、絶対悪ではなかった。

 それが蓮夜達と一緒にいたことで証明出来た気がしたからだ。


「……ロクロウ」

 怨代地蔵に向かって、その名を口にする。

 もういないはずなのに、口にすれば今でも声が返ってきそうな気さえする。

「お前は……悪い奴じゃなかったよ。生きている時に色々あったんだろうけどさ……それでも契約してからずっと、間違いなくお前は僕を助け続けてくれた」

 出会いこそ最悪だったけどね、と笑ってみる。

「僕と一緒にいた時のロクロウの行いで、生きている時の罪が……少しでも軽くなればいいと思ってるよ」

 独り言ちるたびに吐く息は白い。

 空から降る雪の音以外、何も耳に入ってこない……とても静かな夜。

 降り続ける雪が再び地面を白く覆いだし、地蔵の頭にもうっすらと雪が積もり始める。

 そう言えば、彼が命尽きた日も、こんな雪の夜だった。

 彼は生前……どんな気持ちでここで命尽きたのだろう。

 いなくなってから何度も思う、もう少し彼と話をするべきだったと。

「…………」

 怨代地蔵の頬に、手を伸ばして触れてみれば、氷の様に冷たい温度が手袋を貫通して伝わってくる。

「ロクロウ、」

 地蔵に触れたまま、問いかける。

「……行くべき場所ところに、行けたかい?」

 六朗は、地獄に落とされることを望みながら死んだ。

 だが、怨代地蔵に拾い上げられロクロウとなり、蓮夜達と過ごし、最期は自ら閻魔の目を連れて地獄に消えた。

 ロクロウが……最後に行きたいと望んだのは、どこだったのだろう。

 それが……願わくば、地獄ではないといい。

 何もかも解決したあと、彼がどうか、本当に行くべき場所にたどり着けますように。

 きっとどうか、苦しみませんように。


 そう願ってしまえば、自然と涙腺が緩んで涙が出そうになった。

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