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第一幕 十二月三十一日

 命をかけて鳴いていた蝉達の声が聞こえなくなり、緑はやがて深紅と黄金色に姿を変えた。木々についていた葉が地面に落ちるとともに、人々の洋服は徐々に厚手へと変わっていく。外気は下がり、それに引っ張られるように吐く息も日に日に白く目に見えるようになった。

 あの夏は、少しずつ遠くなる。

 七獄の年と言われていた一年が、もう少しで終わろうとしていた。


   ***


 終業式が終わり、蓮夜達の高校も冬休みに突入した。

 生徒は次の大会に向けて部活動の練習に精を出したり、クリスマスの日を友達と盛大に楽しんでいた。

 部活動のない蓮夜は冬休みの間に学校に行く用事もなく、夏越家にたまに舞い込んでくる困りごとの対処を手伝う。閻魔の目の来襲を回避した今、それこそ凶悪な異形が現れることは滅多になくなったが、元々人々を困らせていた霊障関係の悩みは尽きない。


 この世には、人と、そうでないモノがいる。


「おはよう蓮夜、雪が綺麗に積もっていますな」

 夜中に降った雪が見事に積もり、綺麗に雪化粧した玄関で雪かきをしていると、まだ薄暗い中でほんのりと明かりを宿す街灯の上からサネミが声をかけた。

 今年も残すところあと少しとなった、十二月三十一日。

 クリスマスにこそやってこなかった寒波が年末にかけて街に吹きすさび、一面を白く染める日が続いている。雪かきのせいで少し汗ばんだ額を拭いながら街灯を見上げれば、サネミは手を振りながら蓮夜の前に下りてきた。実体化していない彼の足跡は、もちろん雪につかない。

「おはようサネミ、早いね」

「霊体には人と違って睡眠が必要ありませんからな。それを言えば蓮夜も今日はいつもよりも早起きでは?」

「雪かきの時は毎年早起きなんだ。今年は暖冬で雪が降らなかったから、ここ数日の雪かきが今年は最初で最後になりそうだけどね」

 言いながらちらりと腕時計に目を落とせば、時刻はまだ六時を少し回ったばかりだ。あたりはまだ夕方のようにうす暗い。冬のこの時期は七時過ぎにならばければ日は顔を出さない。ゆえに、朝なのに夕方なのではないかと錯覚してしまいそうになる。

「確かに、今年は冬に入って暫くは雪が降りませんでしたな」

「うん。秋になっても夏みたいに暑い日が続いてたからね」

「日本の秋は昔に比べてだいぶ短くなった気がします。私が生きていた頃は、秋と言えば涼しい印象が強かった。今は夏の様に暑い秋が来たかと思えば、すぐ冬になる」

「うん、地球温暖化が関係してるのかなぁ……」

 なんて世間話をすれば、蓮夜の吐く息はその旅に白く濁る。シャベルを握る手がかじかんで赤くなっているのをぼんやりと眺めつつ、そういえば手袋をしてくるのを忘れたなと思いだした。

「いつか、地球ってなくなっちゃうかな」

「それは困りますな。せっかく百五十年に一度の七獄の年を乗り切ったというのに」

 サネミが冗談めかして肩をすくめて笑えば、蓮夜もつられて笑う。

「せめてもう百五十年は頑張ってもらいたいところですが」

「はは、言えてる」

 冷えた手を口元に持っていって息を吐きかければ、冷えた指先が一瞬だけ温もる。だけどその温度はすぐに消えて、またすぐに指先は冷たくなってしまった。


 東の空は段々と明るみを増す。夜の匂いと気配が薄くなり、光あふれる朝の気配が立ち込めだした。

「時に蓮夜、本日は大晦日ですが、深雪さんたちとの約束は覚えていますか?」

 サネミが明るくなる方の空を見上げながら言う。

 そういえば、大晦日の夜から初詣に出かけようと深雪と満春に誘われていた。

「大丈夫、覚えてるよ。ここだけの話……今まで友達とあんまり出かけたりしたことなくて、楽しみにしてるんだ。二人には内緒だよ」

「はい。満春さんも無事年を越せそうでよかったです。あの夏は……どうなるかと心配でした」

「うん……本当何事もなく年を越せそうで、よかったよ」

 閻魔の目に標的にされた満春の背中には、あの夏……確かにその証である印が浮かびあがっていた。しかし閻魔の目が地獄に還るのと同時に背中の痣は嘘のように消えうせ、それまで芳しくなかった満春の具合は徐々に回復していった。

 今では、すっかり元通りの学生生活を送れている。

 そしてそれは、今はいなくなってしまった彼のおかげであることを、蓮夜は忘れてはいない。

 ……いや、忘れられなかった。


「今夜二十三時に、街はずれの神社下に集合だったよね。寒いから暖かくして行かないと。そういえばサネミは神社の境内には入れるの?」

「本来幽霊は神社には入れませんが、私の場合は入ろうと思えば入れます。蓮夜の家の結界が大丈夫なので、恐らく霊力で少々は大丈夫でしょうな」

「まぁサネミもロクロウも、僕が今まで会ってきた幽霊とはちょっと違ったもんね」

 いまさら驚かないよと言えば、サネミは少しだけ切なそうに微笑んだ。きっと蓮夜の口からロクロウの名前が出たことに対しての反応なのだろう。

 あの日……ロクロウがいなくなった時から、皆はロクロウの名を極力口にしなくなった。それはきっと、蓮夜が彼を思い出して辛くならないようにという配慮なのだろうと思う。

「アケビは大丈夫かな?」

「あれはああ見えて火車という妖怪ですからな。問題ないでしょう」

 話をそらすように話題を展開すれば、サネミは何事もなかったかのように話に乗ってくれる。蓮夜からすれば、それはなんとなくありがたかった。

 皆が必要以上に彼の名前に反応しなければ、例え彼の名前を口にしたとしても、やがてそれが過去になり……いつの日か忘れられる日が来るかもしれないと思えた。


 無論、忘れたいわけではない。

 だけど、忘れたほうがいいのかもしれないと思うこともある。


「蓮夜、日中は何か予定が?」

「今日は今年最後だし、夕飯の年越しそばと元旦の食材の買い出しに行って、そのあとは大掃除して……って感じかなぁ」

 毎年そんな感じと答えれば、サネミは納得したように頷いた。きっとどこの家も似たような事をしているに違いない。夏越は払いの家系だが、年末年始は基本的に払いの仕事はせず、一般家庭と同じような暮らしをしてきていた。そう考えてみれば、神社などの本職の人たちは大変だろうなと思う。


「私もこれから、馴染みの妖達に年末の挨拶をしに回ろうかと思います」

「へぇ、やっぱり幽霊歴が長いと妖の友達もいるんだ?」

「友達というより、顔見知り程度ですがね」

「でも寂しくはない?」

「ええ」

 穏やかに笑うサネミを見ていると、幽霊も人間も魂の在り方は同じなのではないかと思ってしまう。そういえば、ロクロウは最初こそあまり笑わなかったが、一緒にいる時間が長くなるにつれて少しずつ表情も豊かになっていった。あれは彼が元々人間だったからなのかもしれないが、今となって思えばあの微笑みはどこか……悟っていたような気もする。

「じゃあ、また今夜だね」

「ええ、また今夜会いましょう」

 サネミはそう返事をしてから帽子を被りなおすと、一度会釈をしてから地面を蹴って空に飛び上がった。近くの屋根に着地したかと思えば、すぐにパッと消えて見えなくなる。

「幽霊って身軽だなぁ」

 サネミが消えた空を見て呟けば、吐く息はまた白く濁った。

「……さて、今日は忙しいぞ」

 自らに言い聞かせるようにつぶやいて、シャベルを握り直す。

 サネミには言わなかったが、やるべきことは実はもう一つあった。

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