シトシトと雨が降るアスファルトに、夜とネオンの色が溶けだしている。様々な色の傘が幾重にも花を添える中、傘もささずタバコの煙をたゆたわせて、男はただ
煌びやかなネオンの光が小さくなる路地裏に入り、とある店の裏口から中に入る。中では坊主頭の男が待ち構えており、一言「万事予定通りです」とだけ頭に告げる。
分厚い扉の向こう側からは何やらグラスの音と共に話し声が聞こえる。男は暫くただじっとその音を聞いていたが、やがてゆっくりと左手を腰に近づけ、空いた右手で勢いよく扉を開けた。
バンッと乱暴な音に部屋の中にいた四人の男達が皆一斉に入口に立つ男に視線を集める。
瞬間――
男は左手に添えていた短刀を腰から引き抜き、そのまま右手に持ち直しながら一番手前の男目掛けて切りかかる。あっという間に首を切られた男が呻き声もあげず、代わりに大量の血を吹き出して床に沈んだ。残された三人が各々に武器を構えようと身を動かすがもう遅い。男の短刀はまるで生きているかのように流暢に動くと、あっという間に三人全ての首を刈り取った。頸動脈損傷によって噴き出した四人分の血液で、部屋は壁まで真っ赤に染まっていく。床も、流れゆく生の赤で染まった。
「御苦労だった、
短刀に付着した血液を袖で拭う六朗に、頭が満足そうな顔で言う。六朗は視線を手元に残したまま、感情のこもっていない声で返す。
「問題ない」
拭い終えた短刀を再び左腰のベルトに器用に差し込む。本来は刀を使うが大通りを通ってここに来るのに刀は目立ちすぎるという理由で短刀に替えていた。これならばスーツの裾から少し覗こうがこの街では
「これで目障りな連中も消えたな。暫くは平穏に生きられる……おお、そうだ」
頭がさも今思い出したと言わんばかりの声色で、六朗の後ろで待機していた坊主頭の男に目配せする。
「今日から椿を屋敷に住まわせろ。もちろん女に拒否権は無い」
「承知」
坊主頭が深深と頭を下げ、そのまま闇に消えた。
「さて、帰るぞ。椿に部屋を用意してやらねばな」
上機嫌で歩きだす頭の後ろに六朗も続く。外は相変わらずの雨で先程より幾分か強くなっていた。タクシーを拾うかと頭が問うたが、六朗は首を横に振った。血の匂いのする体で、一般人の車に乗るのは良くないことだとわかっていたからだ。
***
頭である
こげ茶に染めたミディアムヘアを揺らして、化粧は年相応の煌びやかさ。しかし香水はどこか昔の田舎を思い起こさせるような控えめな花の匂いをさせていた。
罅島が出入りするようになった店の女で、単純に気に入ったから攫ってきたと罅島は愉快そうに笑って言った。では攫われてきた椿の方はどうだったのかと言えば、彼女は彼女で仕事の延長だと言わんばかりに微笑んで罅島のそばにいた。ただ、時折どこか諦めがついたように寂しそうな顔をする時があることを六朗は気づいていた。
椿が連れてこられたのは秋も深まる十一月の上旬で、しばらくは屋敷から職場に出かけていたが、やがて十二月になるころには仕事を辞めさせられ、いつの間にか屋敷から出ることを禁止されるようになっていた。
まるで幽閉だな、そう囁く組員もいた。
出かける時は罅島と護衛の六朗と一緒であり、基本会話は罅島としかしない。果たしてそれが彼女にとって幸せだったかは定かではない。幽閉されているうえに出かける自由も少ない彼女は、ある時からおつきの六朗のことをジッと見つめるようになっていた。まるで何かを求め、訴えるように。
そんな椿が行動を起こしたのは十二月半ば。その日はどんよりとした冬曇りの日だった。罅島に、自分が他県に出張する間は屋敷からは出てはいけないと言われたようで、それは嫌だと反発したという。何度も抗議を重ね、ようやく用心棒付きならば外出していいという言葉を引き出したと彼女は笑った。
「それで、どうして俺なんだ」
目の前で洋服を物色する椿に、六朗は背中から問いかける。椿はこちらを見向きもせず、洋服を眺めながら背中越しに言った。
「だって、罅島さん以外だったら貴方しか認知してないんだもの、私。他の恐い顔した男についてこられるくらいなら、いつも用心棒でついてくる六朗君の方がいいなって」
わがまま言ったら聞いてくれたんだ、と椿が笑う。罅島が気に入った女に甘いことは重々承知していたが、まさかおもり役に回されるとは。
「……六朗君呼びはやめろ」
「なんで? いいじゃない、この方が親しみがあるよ」
ああ言えばこう言う。椿のペースに飲まれつつも、六朗は決してそばを離れないようにという細心の注意だけは払っていた。万が一彼女に何かあれば、それは恐ろしいことになる。
洋服を抱えて会計を済ませた椿は、六朗と一緒に横並びで店外へ出る。と、どこからか香る香ばしい匂いに気が付いた椿がパッと表情を明るくした。
「ねぇ!」
六朗の前に躍り出て指をさす。
「焼き芋! 買って帰ろうよ!」
昔ながらのトラックが、古ぼけたスピーカーで音楽を流しながらゆっくりと走っていた。
曇天はそろそろ本格的に崩れそうだ。
焼き芋を買ってやって帰り道を歩く。遠回りしたいと椿が言うもんだから数本道を替えて大回りをしてやると、ふと先を歩く椿が歩を止めた。
「見て、これ。怨代地蔵だって」
椿の指さす先には、一体の地蔵がぽつんと道の脇に佇んでいて、その横には木札が立ててあり、達筆な文字で何やら文言が記してあった。
「……恨みつらみ、苦しみ、すべて地蔵に託したまえ。怨代地蔵がお救い下さる……って書いてあるね。文字からしても怨みを代わってくれるってことなのかな」
だからボロボロなのかもしれないね、と椿が地蔵を撫でた。確かに地蔵の表面は所々傷がついたり削れたり、それこそ落書きされていたり汚されていたりと、そこに人の恨みが巣くっているかのように荒れていた。
「なんか、可哀想。怨みとか苦しみとか、そんな悲しいことばかり押し付けられてズタボロになっちゃうなんて……」
椿がスカートのポケットからハンカチを出して表面をごしごしと掃除し始める。擦ったところで簡単に綺麗になる汚れではないだろうに、椿は気にせず一生懸命に磨こうと手を動かす。
「ハンカチ、使い物にならなくなるぞ」
「そんなのいいよ」
「…………」
「せめて少しでも綺麗にしてあげたいの」
水でも買ってくればよかったかなとつぶやきながら擦る椿の横に、六朗も同じように座り込むと自分が来ていた上着を脱ぎ、それで地蔵の表面を擦った。今度は椿がびっくりした顔をして六朗を見る。
「え、上着⁉ それこそ使えなくなっちゃうじゃない」
「構わねぇよ。どうせ仕事するたびに服なんか使えなくなるんだ」
意味深なことを言う六朗を椿は一瞬難しい顔で見つめたが、やがて手元に視線を戻し、再び一生懸命磨き始めた。
「今度、ちゃんと道具もって掃除に来ようよ」
「……考えておく」
表情は見えていないのに、椿が笑ったのが六朗にはわかった。