朝食の後、蓮夜は庭の掃除をすることが多い。この日もいつものように庭掃除を始めると、縁側で胡坐をかいたロクロウが退屈そうに言った。
「庭掃除とかよくやるぜ。こんな広い家、掃除し出したらきりがねぇだろ」
「いやいや、習慣だから。それに出来る範囲だよ」
「庭は家の顔でもありますからな、掃除は大切かと。花がもう少しあるとなお良いですな」
そう言うサネミは、縁側で呑気に茶をすすっている。
「おいサネ……なぁにが実体化出来ねぇだよ。茶が飲めるくらいしっかり出来てんじゃねぇか! おまけに夏越家の結界にも潜れるとは余程強い霊力だな、お前さん」
「いやいや、単に幽霊歴が長いというだけです。それに私はロクロウの様に場所に縛られる必要がないので、霊気の濃い場所に行けばそれを貯金しておける。貯めてさえおけば、いざという時にこんな風に実体化することも結界内にお邪魔することも、少々なら可能ですな」
ロクロウの様に無駄遣いする悪霊には無理でしょうがな、と笑う。そんな二人のやり取りを見ながら頭の片隅で考える。恐らくサネミもロクロウの様に秘めた力が強いゆえ、この家に出入りできている。ひょっとするとかなり負担にはなっているのかもしれないが、そこは本人が一番把握できているだろうから、本当に辛くなったら出ていくなりするだろう。
「もう、二人とも……喧嘩するなら手伝ってよ!」
そういいながら箒を二人に投げようとした時、ふいに門に人が飛び込んだ気配がしてその方を見遣った。そこには――一時間程前に帰路についたはずの満春が息を切らして立っていた。肩には小さな猫の姿になったアケビが乗っかっている。
「蓮夜、君……!」
「満春ちゃん……? それにアケビも……慌ててどうしたの? 何か忘れ物?」
箒を持ったまま満春に駆け寄れば、違うと首を横に振って彼女は続ける。
「お姉ちゃんが……いなくなってるの。部屋も窓が開けっ放しで……」
「え? 深雪さん?」
「おじいちゃんに聞いても知らないって……出て行ったところは見てないって……っ」
「落ち着いて満春ちゃん、深雪さんなら……三十分くらい前にここに来たよ」
パニックになったように満春が言うもんだから、蓮夜は満春の背中を優しくさすりながら告げる。そう、現に満春が帰った後に深雪はここにやってきて、蓮夜達にとあるものを渡すとすぐに帰っていった。
「え、お姉ちゃん……ここに来たの?」
「うん。満春ちゃんと入れ違いくらいだったかな。一人で来てさ、『夕方に学校の近くの公民館で野外ライブするから見に来なさいよ』て、チケットくれたんだ。友達でも誘えって、多めに」
ほら、とポケットに入れたままだった六枚くらいのチケットの束を満春に見せる。満春は一瞬目を丸くしたが、次の瞬間にはどこかほっとしたような顔で深く息を吐いた。
「そうなんだ……よかった私……お姉ちゃんに何かあったんじゃないかって……」
「見た感じいつもと変わらない感じだったけど……どこかおかしかった?」
「靴が残ったままで……窓が開けっ放しだったの。だから、窓から誰かに連れていかれたんじゃないかって思って……」
「…………」
満春の言葉に、蓮夜は一瞬黙る。なるほど確かに、深雪の性格上窓を開けっ放しにして外出するなんてことはなさそうだ。おまけに靴が残ったままだった……?
(いや、さっき来た時靴……どうだっただろう?)
顎に手を当てて数十分前の光景を思い起こしながら思案していると、満春の肩に乗っていたアケビがさりげなく蓮夜の肩に乗り移りながらささやく。
『深雪の部屋には、微かに違う気配があった。だが、あの程度では何とも断言できぬ』
アケビだけは何か違うものを感じている。
蓮夜が小さく頷けば、アケビはそのまま蓮夜の肩を降りて一旦塀の上へ移動した。
異変に気が付いたロクロウ達も近くに寄ってくる。サネミが軽く会釈をすれば、満春も頭を下げる。この二人は数時間前に初対面したばかりだからか、まだ少し雰囲気がぎこちない。
「なんだよ、満春。お前さんの生意気姉ちゃんなら至って普通だったぞ。心配するだけ無駄だ」
「ロクロウ、口が過ぎますよ。人の心配を蔑ろにするのはよくないですな」
「やれやれ、口うるさいのが増えたもんだぜ」
小競り合う二人をしり目に、蓮夜は小さくため息を吐くと再び満春に向き合う。さっきより少しだけ顔色はよくなったかもしれないが、その表情にはまだどこか不安が残っている。
「とりあえずさ、今日夕方みんなで……と言ってもロクロウ達は他の人には見えないようにするけど、深雪さんのライブ行こうって話してたんだ。満春ちゃんも一緒に行ってみようよ。そこで深雪さんが元気そうだったら安心じゃない?」
努めて明るく蓮夜が言えば、満春もようやく「うん」と小さく頷いて息を吐いた。
「夕方まで、まだだいぶ時間がありますし、満春さんもお茶でも飲んでゆっくりしましょう」
サネミが言えば、満春も表情を緩めて頷く。
「そうだね。ついでに一緒にお昼ご飯食べようよ。今日のお昼は冷麺だってさ!」
「……お前さん最近よく食うな。運動音痴のくせに、デブになんぞ」
「ロクロウが僕の分のエネルギーまで使うからお腹がすくんだよ! 契約前は普通だった!」
仕方ないだろ、と言い返せば、そのやり取りを見ていた満春もまた少しだけ笑った。
塀の上からアケビが黙って見下ろす。蓮夜の心中で、アケビの言う気がかりだけが引っ掛かっていた。