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第四幕 腹の虫

 木の後ろに逃げるように回り込み、耳を塞ぐ。昔見た戦争映画を思い出した。さっきまでそこにいた人が簡単に死に、炎と煙が生き物のように地を張っていく光景を描いた映画だった。それと似たようなことが今目の前で起こっている。ロクロウもサネミも生きた人ではないが、それでも無事では済まないのでは……そう思うには十分すぎる光景だ。


「……おい、平気か」

 攻撃が止み周囲の煙が濃さを失くした頃、耳を塞ぎ目をつぶっていた蓮夜の目の前に声が湧き出る。ハッとして顔をあげると、そこには今までに見たことがないくらい傷だらけになったロクロウが立っていた。悪霊であるからこそ血は出ていないが、実体化していたことが原因でスーツは所々破れている。おまけに、左の脇腹には大きな風穴が開いていた。血が出ていないと言えど、大きく黒い穴は確かなダメージがあるようで、ロクロウ自身が右手でその穴を覆い隠すように押さえている。心なしか話すのが辛そうだ。

「ロクロウ……っ! 怪我してるよ!」

「怪我っつーより、エネルギー削られたようなもんだ……。あいつはでかい分、一度の攻撃力が高い。お前さんと契約してるとは言え、ちと……分が悪いな……」

 言いながら地に片膝をつくようにロクロウがしゃがみ込む。意識を集中してお腹の穴をどうにかしようとしているようだが、一向に塞がる気配はない。恐らく霊気の供給が間に合っていない。このままにはしておけない。

「……待ってて」蓮夜が言う。

 周辺を見渡して手ごろな枝を見つけ、手に取る。深呼吸して心臓を落ちつけてから、その枝を思いっきり自分の左手の平に突き刺した。鋭い枝が肉を破り血がしたたり落ちる。

「蓮夜、何してやがる……!」

 ロクロウの声が飛ぶが、蓮夜は何も言わず、血の滴る左手をロクロウの腹部の傷へ押し当てる。肌に触れた感じはあるのに、そこに体温は存在しなくて不思議な感覚だった。グッと押さえて意識を集中すれば、そこが薄ぼんやりと光り始め、物の数秒で消えた。

「……っはぁ、はぁ」

 まるで止めていた息を吐き出すかのように呼吸が乱れて、何度も肩で息をする。押さえていた左手を退かすと、ロクロウの腹部に開いていた穴が塞がっている。成功したと認識した途端またドッと疲れが押し寄せてきた。

 驚いたのはロクロウの方だ。蓮夜は目の前で何の躊躇いもなく自傷し、その血を使ったのだ。痛みを堪えて額に脂汗を浮かべる蓮夜を、ただただ眺める。

「……人魂不殺の術をロクロウにかけた時……血を使ったから、ロクロウには僕の血が入ってる……それを補填すれば、多分傷くらい治せると思ったんだ……成功してよかった」

 ふにゃっと笑ったかと思えば、前に倒れこみそうになった蓮夜をロクロウが受け止める。

「おい、大丈夫か」

「……傷は、大丈夫そう?」

「……おかげさんで、塞がってるぜ。具合もいい」

「よかった……守ってもらってばかりの足手まといじゃ、僕がいる意味もないからね……」

 蓮夜を支えるロクロウの手に力が入る。今まで地蔵に来た人間は皆自分の事ばかり考えているようなやつばかりだった。それが、この人間はどうだと。自らを犠牲にすることに関してなんとも思っていない。それが使命だと、覚悟を決めているかのように。

 どうにかしてやりたいという、彼の中に存在しなかった感情がロクロウを突き動かす。

「蓮夜、」

 少し体を起こさせて、面と向かう。

「お前さん、俺様のこと……信用できるか?」

「……え?」

「お前さんは今まで生きていた中でかなりの霊障を受けている。そういうやつの腹には虫がいるんだ。簡単に言っちまえば霊に抵抗しようとする力だな。……それを使わせろ」

 信用できるならなと言えば、蓮夜は何の迷いもなく一度ゆっくりと頷いた。

「いいよ、ロクロウの好き使ってよ」

「本当にいいのか。その間、お前さんはほぼ動けなくなる……ゆえに危険だってある」

「大丈夫。僕はお前のこと……ちゃんと信じてる」

 一瞬の沈黙。だけどそれは決して居心地の悪いものではなかった。肩を掴んでいるロクロウの手が無意識に震える。

「その代わり……絶対倒して」

「……承知した」

 いつもと違う力強い懇願に、ロクロウもまたはっきりとした声で返す。それから蓮夜を仰向けにするように左手で抱きかかえると、右手で蓮夜の腹部に触れた。

 直後、ぐっとお腹の中が熱くなるような感じがして、蓮夜は思わず一度呻く。ちょうど腹部の中央がほのかに明るくなったかと思えば、ロクロウがその光の中に右手を一気に差し込んだ。直に内臓に触れられるような気持の悪さでわずかに背中が反る。やがてロクロウが手を引き抜くとその手には一本の日本刀が握られていた。蓮夜の腹から抜ききったそれを、ロクロウは目の前に掲げる。鈍色に光るそれは、ロクロウが今まで使っていた刀より幾分か重そうに見えた。

「この刀……『閃光』か。ガシャの野郎にはちょうどいい獲物だな」

 それだけ呟くと、ロクロウはもう一度地面を蹴って宙に大きく飛び出した。入れ違いでサネミがようやく蓮夜の元に戻ってくるが、ロクロウが持って行った刀を見て驚きの声をあげる。

「……腹の虫を使ったのか⁉ ならば……私が蓮夜のそばにいましょう」

 言いながら蓮夜の前に立ち両手を広げ、結界のようなものを張る。

「腹の虫は上級武器です。ある程度心を開いていないと取り出せない。そして、取り出された人間は満足に動けません……体、辛いでしょう」

 素直に頷くと、「やはり」とサネミ。

「腹の虫は使う者が一番思入れのある武器になります。刀のところを見ると。ロクロウは生粋の剣士のようですな」

「サネミは刀も長い銃も使ってるけど、ロクロウはずっと刀だもんね……」

「ええ。しかし悪霊と噂高い彼が他人様の腹の虫を、ですか……信頼とはいいものですな」

 ドンっと地面を揺るがすような音が轟く。見遣れば、ロクロウを潰そうとガシャが両手を振り回している。だがロクロウはそれを避けることをせず、抜刀の構えから一気に刀を抜き横に薙いだ。するとどうだろう、あんなに硬かったガシャの体がまるでスポンジを切るかのようにバラバラと切断される。ただ事ではないと怯んだガシャが思わず吠えて火の玉を飛ばしまくるが、そんなことお構いなしに、ロクロウは一度着地すると再度地面を蹴ってガシャの頭上に大きく飛来する。飛んできた火の玉をひと薙ぎですべて消滅させると、大上段に刀を構えたまま大きく叫んだ。

「覚悟しな! 光が苦手なてめぇにこいつはキツイぜ――」

 脳天から一気に刀を振り下ろす。

「――来刃閃光らいばせんこう‼」

 雷が轟くような音と光が更地一帯を覆ったかと思えば。ロクロウの刀がガシャの脳天に食い込み、痣から何から全てを一刀両断した。ガシャの絶叫はまるでサイレンのように、深く地を揺らす。その音はどこか空襲警報にも似た悲しさを含んで、やがて弾ける様に大きな髑髏が更地から消滅した。

「……お見事ですな」サネミが独り言ちる。

 刀を一度振ってから鞘に納めるとロクロウの手からそれが消え、同時に蓮夜の体がずいぶん楽になった。何かが体に戻ってきた感覚がして、深く息を吐く。しかし疲労したことには変わりなく、強い眠気が襲ってきた。

「そういえば僕……今回詞を唱えてない……」

 ちゃんと封印できたのかと言えば、サネミが「大丈夫ですよ」と答える。

「普段なら蓮夜が祝詞でも唱える必要があるでしょうが、今回はロクロウが蓮夜の腹の虫を使ってガシャを討伐した……言ってしまえば、あれは蓮夜の力をロクロウが借りて封印したに近いことです。現にガシャは……還りました」

 眠気でぼんやりとしてきた思考の隅で響くサネミの声が心地よい。眠ってはいけないと懸命に意識を保とうと自らの頬をつねる。

「……何してんだ、お前さん」

 討伐を終えたロクロウが二人の元に戻ってきた。スーツこそボロボロだが、怪我は蓮夜の治療のおかげもあってほぼ完治できているようだ。

「ごめん……眠たくて……」

 呂律が回らないのを誤魔化すように言ってみれば、ロクロウが微かに笑った気がした。何か言わなくてはと言葉を探したが、瞼が落ちてくることを阻止できない体が強制的に意識をシャットダウンしてしまう。傾く体にロクロウの手が伸びた。


 すやすやと寝息をたてはじめる蓮夜を支えつつ、その場に座り込んで大きく息を吐けば、隣にサネミがやってきて「お疲れ様です」と腰を落ち着かせた。さっきまであんなに騒がしかった更地には、何の音も響かない。微かに聞こえるのは、風が揺らす葉の音だけだ。

「これでようやく四体目だ……今回のは、さすがにくたびれたぜ」

「ガシャなだけに、骨が折れましたな」

「っは、つまらねぇ冗談言ってんじゃねぇよ」

「これは失礼。しかし……おかげで助かりました。私一人では亡霊たちをどうすることもできなかった。貴方達を頼って本当によかった。これで彼らもようやく静かに眠れるでしょう」

 さっきまで大きな髑髏が暴れていた場所を眺めながら、サネミが祈るように目を閉じる。

「お前さんがガシャを放っておけなかったのは……自分の中の後悔のせいか?」

「……ええ。私は結局、生きている間に何も残せず、何の役にも立てませんでしたから。だからせめて、戦って死んでいった彼らには……ゆっくり眠ってほしかったのです」

 少しばかり元気のない声で言うサネミを見て、ロクロウは小さくため息をついた。自らの背に何かを抱えて、それでも前に進もうとする姿勢が、どことなく蓮夜に似ていると思えた。

「お前さん、優しいのな。幽霊歴長そうな割に、人間味が残ってる」

「そういうロクロウだって、悪霊のくせに人間っぽい所ありますよ。彼に妥協しない所とか」

 チラッと蓮夜を見てサネミが言う。

「……うるせぇ幽霊だなぁ。俺様はお前さんとは違って、怨代地蔵の負の念から顕現した悪霊だ。人間っぽいとかそういうのは、よくわかんねぇよ」

 一緒にするな、とロクロウが言えば、サネミはどこか考えるように首を傾げつつ「そうでしょうか」と続けた。

「私が今まで出会ってきた悪霊なんぞとは比べ物にならないくらい、貴方は心が柔らかい気がします。悪い奴じゃない、というやつですな」

 本当に悪霊ですか? と、サネミが面白がるように言うもんだから、ロクロウも嫌味の意を込めて「ボケが始まったんじゃねぇか? 英霊のじいさん」と笑った。

 二人の間で眠る蓮夜が、寝返りを打とうと体をもぞもぞさせる。

「私は……まだ暫く成仏するつもりはないんだ。世がどうなっていくのか、見たいもので」

「……そうかよ」

 寝返りを打った蓮夜の体が地面につかないように、さりげなく手で自分の体の方に寄せつつ、ぽんぽんと蓮夜の肩を叩きながらロクロウは言う。

「時にサネミ、お前さん程の幽霊ならその気になりゃ実体化できるだろ。これ、代わってくれ」

「ふふ、蓮夜は貴方がいいでしょう。それに、私は実体化なんぞできませんよ」

「さて、どうだかな」

 わかってるぞと口角をあげて笑ってやれば、サネミも目を伏せるようにして笑った。

 夜の風に、夜明けの匂いが混ざりだす。

「髑髏はきっと、争いの世なんか望まない。どうか、安らかに眠り給え……」

 夜明けは、もうすぐそこに迫っていた。

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