スルリ。そんな音を立てながら、手首を掴んでいた相手の体温が滑り落ちて、そのままギュっと当たり前の如く私の指を絡め取った。おい、だから何で恋人繋ぎなんだよ。
顔を顰めて口角を引き攣らせる私に対し、平野は至って真剣な表情を崩さない。
ムカつく。無駄に綺麗な顔でそんな表情すんなよ、心臓に悪いだろ。
指と同じくして、絡み合った互いの視線。ふにゃりと、最初に口許を緩めて表情を崩したのは相手の方だった。
「どうしよう、嬉しい。例え先輩の気まぐれだったとしても、嬉しい。こうして自ら俺に触れてくれて、どうしようもなく嬉しい…です」
これまで、この男とそれなりの時間を過ごしてきたつもりだった。ある程度の情報なら知っているし、好きな食べ物とか嫌いな食べ物とか、それこそ癖とかも含めて、嫌でも把握しているつもりだった。
それでも、私はこんなにも幸せそうに破顔する平野を見たのはこの瞬間が初めてだった。
平野でもこんなに無邪気に笑うことってあるんだ。いつも何処か余裕を纏っていて、後輩だってのに仕事への姿勢は誰よりも冷静で大人なこいつが、こんなにも純粋な笑みを持っているだなんて知らなかった。
なんで、なんであんたはいつもいつも、私の心や頭を搔き乱してくんのよ。どうして、どうしてあんたはどれだけ私に冷たくあしらわれてもこんなに真っ直ぐにぶつかってくんのよ。
こいつ位、素直になれたらどれだけ楽なのだろう。「好き」その二文字を声に出して発する事が、私にとっては高くて分厚い壁に感じてならない。
いくら恋愛とはほぼ無縁な人生を歩んできた私とはいえ、言葉にしないと伝わらないって事くらい、ちゃんと理解している。だからこそ今になって、平野に告白をしなければならないという課題が重くのしかかっているのだ。
胸中と脳内でグルグルと巡るこちらの複雑さを極めている感情と思考など露程にも知らないであろう目前の麗しくも腹立たしい後輩は、頬も口許も緩めっ放しだ。更には目尻までとろりと下げている。
どんな表情をしてもクソイケメンである。お前前世でどれだけの人間の命救ってきたん?百人以上救ってないとこんな容姿で生まれてきた説明がつかん。てか、平凡なこちら側が納得できん。
「ふふっ、俺の手を振り払わないでいてくれるのも、とっても嬉しいです」
「(クソッ、可愛いって思ってしまう)」
心と腹を決めて、この恋愛感情に向き合わなくちゃいけない。だって、口が裂けても言えねぇけど指先から伝う平野の温もりが心地良いのだから。
だから、私も…今この場でこの男の様に息をするかの如く「好き」とは伝えられないが、ちゃんと近いうちに自分の気持ちを伝えなきゃならない。
ep.46 End