山田の出現に合わせたかの様に、窓の外に広がっていたどんよりとした雲間から太陽の光がお目見えして二切れのザッハトルテの影が伸びる。
有り余るまでに長い脚を組んで、ネクタイと社員証を胸ポケットへ無造作にインしている相手が、頬杖を突いて首を僅かに傾けた。
「聞いてんの?」
「え?」
「この頃菅田を補給できなくて俺、心死んでたんですけど?」
「ダウト」
「フハッ、即答すんな」
クシャリと優しく表情を崩してクスクスと声を漏らす相手に後光が射していて眩い。人が良すぎていよいよ観音様にでもなったんか?
…山田なら十分に有り得る話だから怖いな。
「私なんかを補給したら吐血して死ぬからやめといた方が良いよ」
「猛毒じゃん」
「知らなかったの?」
「あー、確かに言われてみたら菅田は猛毒かもな」
「……」
「だってほら、こうやって他の
この時、山田が浮かべた表情を形容する言葉がまるで見つからなかった。
冗談っぽく微笑んでるのに何処か苦しそうな相手が指差した先にあったのは、平野の作ってくれた弁当と、平野から貰ったケーキ。
「菅田に弁当を作ってあげる権利だけは、俺一人のモンだと思ってた。てか、菅田には俺の作った弁当だけを食べて欲しかった」
自嘲的な笑みを薄っすらと湛えている山田が、何だか今にも泣き出してしまいそうだからなのか、胸の奥が痛い。
「なーんてな、やっぱ平野が絡むと余裕なくなって駄目だわ俺」
変に重くなったその場の空気を振り払うかの様に、無理に明るい声を放った山田がクシャクシャと自らの髪を掻き乱して、そのまま端正な顔の半分を手で覆い隠した。
それから山田の口から出た深い溜め息が、誰もいない空間に溶けた。
私なんかに弁当を作ってくれる人間が二人も存在するというのは、奇跡である。自分で言うのも何だが、私はちゃんと己の身の丈って奴を理解しているつもりだし、自分に然程魅力がないという自覚もある。
だからこそこんな奇跡に恵まれたからには、もうこの先一生宝くじに当選する事はないだろう。断言できる。だってありったけのくじ運ここに使ってんだもん。
「山田の料理は優しいよね」
「急に何だよ」
「平野の料理はナルシスト」
「フハッ、例えの癖強いな」
「だって、山田のお弁当は兎に角温かみがあるけど、平野のお弁当はひたすら俺の作った!お洒落な弁当!見て!感がもう溢れんばかりに出てる」
「冷静な顔で何言ってんだよ。確かに平野の弁当はどっかのカフェをテイクアウトしたみてぇにお洒落だけど」
「でも、どっちも美味しい」
「……」
「すっごく、美味しい。私如き捻くれた腐れ女が口にするのも畏れ多いくらいに美味しい」
ごめんな山田。こんなの言い訳でしかないけれど、私は産道を通った時に「気遣い」とやらを子宮に忘れてしまったらしいから、こうして複雑そうに表情を崩す山田に対して気の利いた言葉が一つも出てこない。
ザッハトルテを一瞥すれば、滑らかな表面に汗をかいていた。このままだと溶けるのも時間の問題かもしれない。
そんな懸念がふと頭を過ぎったが、山田と再び視線が絡んだ途端に直ぐ様世界一ショボ臭い懸念が消滅する。
「だから、山田さえ良ければ作って下さい」
「…え」
「私は普通に山田の味に飢えてっから。だから頼む、私のお弁当係を辞めないでくれ。じゃないと栄養失調で死ぬ」
「菅田なら有り得そうだわ」
「でしょ」
「何、それって、これからも俺が作った弁当食べてくれるってこと?」
「勿論。喜んで」
「……」
「ねぇ、山田」
「ん?」
「平野が絡むと冷静でいれなくなっても良いじゃん。寧ろ山田も人間なんだなって安心できる。だから自分で自分のことをダメだななんて言うな。それだけは、絶対に言わないで」
ちょっと待って。色々言ってっけど、何か私偉そうじゃね?
全ての台詞を吐き終わったと同時そう思った。時既にとても遅し。
弁当を作って頂いている立場の人間とは思えぬ上から目線な発言だった気がしてならない。
己の言葉を冷静に反芻して反省会を催していると、視界に映るイケメンが嬉々として目を細める。唇で弧を描き、ほんのり甘い笑みを咲かせた。
「菅田はやっぱり狡い」
「唐突な悪口はワロタ」
「そんな事言われたら、益々菅田を独り占めしたくなる」
「……」
「困んなよ」
「いや困るだろ」
何処かで頭を強打したとしか思えないけど、私に恋愛的な好意を寄せているらしい山田の台詞だからこそ、返事に困るのだ。
それに、山田が私を好いてくれているのだと知っておきながら、山田の弁当を食べたいなんて私利私欲に塗れた願望を口にする私は実際に狡い人間だ。
平野を好きになってしまったのに、山田とこれまで通りの関係性でいたいだなんていう、横暴極まりない感情が胸中でぐるぐると渦を巻く。
嗚呼、私の心は酷く醜い…「でも、さんきゅ」
無責任な自分に腹が立って眉間に力を込めた矢先、ポンっと頭に乗った熱い温もり。
「元気出た。菅田の言葉が一番嬉しいわ」
何処までも、つくづく、この男は優しい。ゆるりと口角を持ち上げる山田の表情からは、先程までの暗さがすっかり消えていた。
ep.43 End