「おはようございまーす!sucréのスーパーアイドル平野翔、完全復活しました〜。ご迷惑お掛けしましたすみません」
翌日、就業時間五分前に登場した平野は、相変わらずのウザさ120%で笑顔を振り撒いた。素朴な疑問なんだけど、お前いつからうちのアイドルになったん?
新入社員組がキャーと黄色い声を上げてパチパチ手を叩いて歓迎している。部長を含む上司の面々も「sucréに華が戻った」なんて、非常に大袈裟な言葉を放っている。髙橋編集長に至っては、静かに涙の筋を頬に作りながら合掌しているではないか。
「これは平野君の復活祭をしなくちゃだわ!!!気のせいかしら、何だか平野君がイエス・キリストに見えちゃう」
独り言にしては余りのもでかい髙橋編集長の漏らした言葉に「うん、絶対気のせいですね」と胸中で返事をしておいた。
「皆さんにご迷惑掛けたお詫びにほんの気持ちなんですけどマカロン買って来たから、良かったら食べてねー」
ケッ!抜かりのない奴め。お前って弱点とか欠点とかないのかよ。
マカロンで有名な洋菓子店の名前が書かれている小洒落た紙袋を掲げて見せて、首をコテンと折り曲げる平野の全ての言動が打算的に映る。田中みな実よりも田中みな実だなこいつ。
仕事が山積みのデスクの上で手を止めて、頬杖を突く。視線の先にいるのはsucréメンバーに囲まれて中心でへらりとしている男。
「……でもまぁ、無事に治って良かった」
自分の顔が自然と綻んでしまうのは否めない。それで以って、ここにいる誰よりもあの男の復帰を嬉しく思っている事も又然りなのだろう。まさか平野を好きになってしまうなんて。よりにもよって平野に落ちてしまうなんて。生理的に嫌悪していた平野を恋しく想う日が来るなんて…。
菅田 永琉 満28歳 某大手出版社勤務。編集者歴実に6年。これまで幾つかのTL漫画を担当してきただけに断言できる事が一つだけある。
今、私は、どの漫画のヒロインよりも漫画みたいな恋愛をしてしまっている。
『人生何が起こるか分からない』その言葉を身を以て現在進行系で痛感している私は、sucréのオフィスにいる平野を見ただけでギュッと音を立てながら締め付けられる胸をシャツ越しに押さえ、胸中で静かに苦笑を漏らした。
嗚呼、どうやら私は、自覚した以上に、平野翔が好きらしい。
「えーるせーんぱい♡」
「うわっ」
己の身に起こってしまった「平野に恋をする」という名のバッドエンドルートと揶揄されても異論ない現実に耽っていると、視界いっぱいに甘美な顔が広がった。
説明をするまでもなく平野だった。パーソナルなディスタンスをここまで無視してズカズカと突入できるホモ・サピエンスは私の知る限りではこいつだけである。
とりあえず近い。離れろ。不可抗力で高鳴る心臓の音が相手に聞こえてしまわないかと考えると、余計にバクバクと鼓動が早まっていく。
「うわって何ですかーうわって。まるで俺が妖怪みたいじゃーん、ぴえん」
「鬱陶しさまでちゃんと復活しててワロタ」
「ん、永琉先輩が夜通し看病してくれたおかげ」
「……ご、誤解を生むような発言やめなさいよ」
相手の顔に浮かぶ微笑に不意討ちを喰らい、途端にじわりと頬が熱を孕む。それを平野に気付かれたくなくて、視線を咄嗟に逸らした。切り替わった世界に映るのは、自分の家よりも長い時間を過ごしている魔の空間、sucréオフィス。
視界の端に捉えているのは、私と平野のやり取りに集団になってキャッキャウフフしているsucréメンバー。
おい、不要なチームプレーを発揮して綺麗な円を作るな。かごめかごめでもしてんのか?ただでさえ今週のタスク山盛りなんだからそんな暇あんなら仕事をやれ。かごめかごめ噂センターの中央ポジを陣取ってる髙橋編集長は特にやってくれ。
「きゃっ」
朝っぱらから仕事に対するモチベだけは誰よりも低い編集長に泡を吹きそうになっていると、正面から突然伸びてきた手に両頬を捕われて、私の双眸が麗しい男の顔へと帰還した。
「…何」
「俺を放置して違うところ見ないで下さい」
「近い」
「わざとだもん。久しぶりの永琉先輩をもっと見たいから」
「……っっ」
「あと、永琉先輩には俺のイケメンな顔だけ見てて欲しいから」
「もう十分見た」
「ふふっ、惚れてくれました?」
コテンと横に折れる平野の顔から溢れ出す色気と余裕が非常に不服で、手をぐっと出して己の掌で思い切り平野の顔面を覆い隠した。
言われなくても……。
「うるさい、あんたのせいで仕事溜まってんだから早く始めろ」
言われなくても、もうとっくにあんたに惚れてんだよ。ムカつくけど、あんたにすっかり惚れてんだよ。
ep.40 End