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ep.34嫉妬を爆発させる男③


 翌日の火曜日も、平野は職場を休んだ。熱が全然引かないらしい。風邪をしっかり拗らせているらしい。例によって『永琉先輩が夢で焦げたお粥を作ってくれて泣きました(´;ω;`)』そんなメッセージがあいつから届いたが、実に心外だった。


 お粥くらいはちゃんと作れるわバーカ……すぐにでも直接そう言い返したいが、肝心の平野が隣にいない。ゆるりと口角を持ち上げて何の利益もないのにじーっとこちらに視線を寄越してくる平野がいない。


 居たら居たで鬱陶しいのに、居なかったら居なかったで違和感がある。何て厄介な奴だとは思うが、平野のいないデスクに寂しさを感じる暇がない程に私のデスクにはタスクがてんこ盛りだ。


 言わずもがな、平野の分の仕事を殆ど私が代打でする事になったからである。え?髙橋編集長?あの人が助ける訳ないだろ。ほら、今日も窓際でカフェラテ片手に「今日も生憎の雨ねぇ…まるで平野君という要を失った私の心を映しているみたいだわ」と己に酔いしれている。



『そんなに私料理できない人間に見えてんの?勝手に焦げたお粥作らせて、勝手に泣くな。てかちゃんと休め』

『え?待って、待って、永琉先輩勘違いしてない?🐰永琉先輩が俺にお粥を作ってくれた優しさに泣いたんですよ?焦げたお粥を作った夢なのに現実的な永琉先輩に対して泣いた訳じゃないですよ?』

『一分以内に返信してくんな。平野お前、本当は元気でしたー☻とかだったらぶっ飛ばすからな』

『ゲホッゲホ…苦しいから今すぐ抱き締めに来て貰って良いですか?』



 勿論ここで、既読無視。私の既読無視に意味分からない位に目がきゅるんきゅるんしているキャラクターのスタンプを連打してこない平野は、一応ちゃんと体調不良な様だ。


 熱は昨日よりは下がっているのだろうか。全く下がっていないのであれば、大分しんどいであろう事は幾ら親に心がないと形容された私でも分かる。ご飯は食べられているのだろうか。あいつも独り暮らしだと先輩から聞いた事があるし、もしベッドから動くのがやっとだったりしたら料理を作るのも一苦労だろう。



「…大丈夫…だよね?」

「それって、平野先輩のことですかー?」

「ゲホッゲホ、な、中島ちゃんいたの!?」

「はい、さっきからずっとお声掛けしても菅田先輩気付いてくれなかったので観察してました」

「どうかした?」

「それより菅田先輩、平野先輩のことを心配してたんですか?」

「……」

「してたんですか?」



 い、言いたくねぇ。長い睫毛をパチパチと瞬かせて、平野のデスクで頬杖を突いている中島ちゃんは明らかに私からの回答を待っている様子だ。


 「あいつのせいで莫大な仕事量抱えさせられて迷惑してるから、さっさと復活しろって思ってただけ」そんな答えを述べた後、どうしても可愛くない言葉しか並べられない自分に苦笑が滲む。


 平野はこんな私の何処を好きになったんだろうか。あいつには殊更辛辣な態度を取っていた自覚があるから余計分からない。元々理解不能な脳みそだから理解しようとするだけ無駄な気もするが、甚だ疑問で仕方ない。



「愛ですねー!!!」

「え?」

「菅田先輩の一瞬の隙に零れ出る可愛さに平野先輩はぞっこんなんですねきっと」

「ちょっと中島ちゃん?幻覚見えてる?疲れてるんじゃない?」

「私、元気だけが取り柄なので心配ご無用でーす。こんな事後輩の私が言うと生意気な口を利いているみたいで申し訳ないですが、菅田先輩はとっても可愛いです」

「……」

「平野先輩が菅田先輩の話になると饒舌になるのがよく分かります」

「あいつ、私がいない所で勝手に話題に上げてるの?殺す」

「あ、菅田先輩。平野先輩が担当している先生からご連絡があって、締め切りに間に合わないそうです」

「中島ちゃん、それを先に言ってくれ」

「すみません、菅田先輩の余りの可愛さに胸キュンしちゃってました。菅田先輩、午後からその先生の所に行きますよね?次の会議の資料作成は私がやっておきますね」



 とんでもなく可愛い笑みを咲かせて親指を立てる中島ちゃんの発言は、仕事ができる人間のそれだった。緩い感じを漂わせているのにやるべき事はしっかりやる所とかが、ここにはいないどっかの誰かとそっくりだ。


 彼女の身体を脅かしている平野ウイルスが、どうかこれ以上は重症化しないでくれと祈るばかりである。



「やっぱり締め切り間に合いません電話が来たか……」



 中島ちゃんが自分のデスクに戻ったのを確認して、ぐしゃぐしゃに髪を乱しながら溜め息をついた。今日も今日とて、タスクが記された付箋紙が、PC画面を縁取る様に貼られている。こんな量の付箋紙を見るのは、私が平野を教育していた時以来だった。


 あいつがsucréにとってどんだけ必要な人間なのかを、存在するかも不明な神様とやらが私に訴えているかの様だった。そして非常に悔しいけど、私はそれを認める事しかできなかった。



 平野のいないsucré編集部が、こんなにも頼りないなんて、知らなかった。



 いや、知っていたけど、私はただ、気付きたくなかったんだと思う。




ep.34 End



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