「肩重いんだけど」
「魔法を掛けてるんです」
「呪いの間違いじゃないの」
「酷いなぁ。先輩が俺に恋してくれますようにっていう魔法ですよ~」
「やっぱ呪いじゃねぇか」
「呪いは山田さんに掛けますのでご心配なく」
「最低過ぎて笑う。何、あんた、山田に嫉妬してんの?」
「当たり前でしょ」
「え?」
「生まれて初めてってくらい嫉妬が爆発してます。山田さんがライバルとか、強敵過ぎてぴえん」
“でも、負けるつもりはないですけどね”
へにゃり。口角を緩める平野はやはり何処か元気がない。
「山田と私の邪魔するという最高に格好悪い登場の仕方だったけど、勝てんの?」
捻くれている私が投げた問い掛けに「うっ」と小さく声を絞って頭を抱えた平野は、「否めない。漫画だったら確実に当て馬的な登場の仕方してた…あ、でも俺イケメンだし後から追い上げる主人公タイプだから大丈夫か~♫」たったの三秒で落ち込んで立ち直った。そういう所だぞ、平野 翔。
こいつのこういう阿呆みたいに軽率で楽観的な性格が、かつては一々私の癪に触って生理的に嫌悪していた。
「はぁ…疲れた。酔いも覚めた。タクシー拾う」
「えー?俺と電車で帰宅デートしてくれないんですか!?」
「こんなびしょ濡れ男と電車乗れるかよ。乗客全員に白い目向けられるぞ。大体あんた、一刻も早く帰らないと風邪引くでしょ」
「あ、俺のことを想ってくれてるんですね?もーう、永琉先輩ってばツンデレなんだから。そういう所も可愛いですアンド愛してます」
「気持ち悪」
「それも愛の裏返しですよね?」
「あ、あのタクシー空車だ」
「ちょっとー?永琉先輩可愛い後輩を置いて行かないで下さーい」
そんな平野に対して明らかに今までとは違う反応を示す自らの心に、いい加減私は向き合わないといけないのかもしれない。
休み明けの月曜日。sucré編集部に配属されて以来初めて平野が会社を休んだ。少年誌の主人公並みの元気さだけが取り柄の男だが、まんまと風邪を引いて発熱に苦しんでいるらしい。
仕事には意外と真面目に向き合っている男だから、あいつが仕事に穴を空けるなんてよっぽどだ。何年か前に38℃の熱が出ているにも関わらず、おでこに冷えピタを貼り付けた平野がふらつきながら出社してきたことがあった。
熱で顔が赤くなっているのに最後まで仕事をやり遂げたあいつは、翌日には完治させてケロッとした様子で必殺技であるウザ絡みを披露してきた。その被害者だった当時の私は、あと一週間くらい熱でくたばってろと心で念じたのを覚えている。
そんな平野が仕事を休んだ。おかげで隣が静かだから仕事が捗って捗って仕方がないが、あいつの風邪に心当たりがあるせいで、正直平野の病状が気になっている自分がいた。
朝、あいつから『前代未聞の寒気と熱で震えてるんですけど、永琉先輩と結婚できないまま死にたくないから結婚して欲しいな🥺』という旨のメッセージを受け取った。
宇宙一ロマンチックじゃないプロポーズに、私が顔を顰めたのは言うまでもないだろう。
平野が休みという緊急事態に、髙橋編集長は床に崩れ落ちてハンカチで出てない涙を拭いて嘆いていた。
「平野君が休み…平野君の代わりに仕事できる人間なんて貧弱sucré編集部にはもういないのに平野君が休みなんて…私もこのまま早退しようかな」
現実逃避したがりだよなこの人。毎日社内の恋愛事情の話題集めは欠かさない癖に、何なら意欲的に取り組んでる癖に、何で編集業務の話になるとこんなに頼りないんだ。
そしてあんたそんな暇あったら平野の分の仕事の割り振りしたら?…と言いたいのは山々だが、髙橋編集長の仕事における性格を熟知している私は黙って嫌だと叫ぶ己の手を静かに挙げた。
「私が……私が、平野のタスクも片付けます」
重たい口をどうにか開けて放った一言に、髙橋編集長の2歳児でも見破れるであろう嘘泣きがぴたりと止まった。
瞬く間に瞳をキランキランさせた相手は、漸く地面から立ち上がった。まるで、その言葉を待っていましたと言わんばかりの表情だ。全く露骨な人だよな。
「よくぞ私の欲しい言葉を言ってくれ……ゴホン…永琉ちゃん大丈夫なの?だって永琉ちゃんはsucré内でも一番忙しいじゃないの」
「あ、それじゃあお言葉に甘えて他の方にお任せしても…「嘘です。編集長面かましてごめんなさい、平野君の穴は永琉ちゃんしか埋められません宜しくお願いします」」
獲物に喰らいつくピラニアの如く私の両手を握った髙橋編集長がいよいよ漏らした本音に、頬が引き攣りそうになる。
チラリとsucré編集部内を一瞥すれば、先輩が揃って首を縦に振りながら私に向かって合掌していた。おい、私は神社でも寺でも大仏でもねぇぞ。
無論だが、私は労働が嫌いだ。目指すところは不労所得だし、できる限り家から出たくないし、こんなに文明が発達してんのに何でわざわざ電車に揺られて会社に通勤しなくちゃいけないのか甚だ疑問だし、仕事なんぞに打ち込む暇があるくらいならゲームで白熱した闘いを繰り広げていたい。
じゃあどうして惰性に満ちた精神を有している私が自ら買って出て、わざわざ平野の仕事まで請け負うのか。それは、平野が休む羽目になった原因に少なからず私が加担している自覚があるからである。
「でも永琉ちゃん、本当に無理はしちゃ駄目よ?永琉ちゃんまで体調を崩しちゃったらsucréは廃刊まっしぐらだからお願いよ?」
「平野が担当している先生は、私からの引継ぎが多いので私が対応した方が効率も良いですし大丈夫だと思います。ただ平野の体調がいつ元に戻るか分からないので、平野がいない間の新人教育はお願いしても良いですか?」
「勿論よ!!!任せて!!!新人ちゃん三人には私達古参が、しっかり社内恋愛相関図を叩き込むから!!!」
「お言葉ですが、社内恋愛相関図より仕事を叩き込んで下さい」
「あらごめんね、ついうっかり本音が」
「兎に角、平野の分のタスクに関しては任せて下さい。それじゃあ私は一秒すら惜しい状況になってしまったっぽいので仕事に戻りますね」
自分のデスクに向かってPC周りに貼り付けているやらなければならないタスクが記された付箋紙へ視線を投げてから、腕時計で時刻を確認した。
ほぼ倍になった仕事量に白目になりそうだが、そんな事をしている暇すらない。まだ午前中なのにもう既に決定した残業に深い溜め息を吐いて、常備しているビターチョコレートを摂取してからキーボードに手を置いた。
あいつが居たら「永琉せーんぱい!そうやって溜め息ばかり吐いてると幸せ逃げちゃいますよー?永琉先輩の幸せ俺が吸っちゃおーっと」とか言ってきた事だろう。心底認めたくないが、異常に静かな隣の空席を物足りなく感じた。
ep.33 End