わざわざそうまでして私と昼を共にしたい気持ちが、自分で言うのも何だがさっぱり理解できん。自分をあからさまに嫌っている人間と、しかも直属の先輩とお昼を食べたいっていう発想に至るか?…否、至らないだろ。
胸中で反語を用いながら悶々と煮え切らない気持ちを膨らませた私の表情は知らず知らずのうちに険しくなっていたのだろう。「先輩、難しい顔して悩みでもあるんですか?俺が聞きますよ」正面からそんな言葉を投じた平野が、私の顔を覗き込む様に首を捻った。
そのお陰でバチッと互いの視線がぶつかって、必然的に滅多にお目に掛かれないレベルの麗しい顔が私の視界を占領する。はぁー、何でこんなにイケメンなん?弱小sucré編集部より最強キラキラジャニーズ事務所の方が性格的にも向いてただろ?勝手に履歴書送ってくれる様なお母さんとかお姉さんとか親戚の叔母ちゃんとかいなかったの?
「先輩?」
海賊が肉を食べる時に匹敵する豪快さでフランスパンを喰らいながら、まじまじとケチの付け処がまるでない相手の顔を見つめた。
最初は…てか今もだけど、こいつの言動に対する疑念は山の如しだ。それなのに、どれだけ疑っても平野は一向に私の想像している様な裏の顔を見せない。チラつかせすらもしない。
今だって何がそんなに愉しいのか、頬を緩めたままお行儀よくバインミーを食べている。「コーヒー買って来てよ」とか全然言ってこない。
平野とこんな感じでただ一緒にお昼を過ごすのも今日で一週間が経った。何の嫌がらせもまだ受けていない。本当に何もない。どうせ毎日一緒にお昼を食べるという条件は建前で、どす黒い陰謀が裏でケケケッと嗤っているだろうという予想さえも外れたらしい。
しかもやけに見映えも味も上質なお弁当を、毎日私の分まで作って持って来るという始末だ。一体何処に平野にとって得する事があるのだろうか。毒でも盛られていた方がまだ納得できる。
あー恐い。めっちゃ恐い。何を企んでいるのか皆目見当が付かないから恐くて堪らない。
尽く肩透かしを食らっている私は、ここのところずっと平野に調子を狂わされている。背中がムズムズする感じだ。痒い所に手が届かない感じだ。
「永琉先輩?」
「ん?」
「ん?じゃないですよー。だから、難しい顔してるけど何か悩みでもあるんですか?」
「ああ…別に何でもない。ラブホで、平野に抱かれるかもしれないって一瞬でも警戒した自分を恥じてただけ」
「へ?」
驚いた様子で相手がぽろりと声を漏らした。その驚嘆を聞いて、自分がついうっかり口を滑らせてしまったという事に気付いた。
うっわ、やっちまった。心ここにあらずだったせいで墓穴を掘る様な発言をしてしまった。頭も心も慌てふためいているけどそれを露骨に見せれば更なる弱味を握られると考えた私は、平静を繕ってブラックコーヒーを啜り、口に残っているバインミーを食道へと強制輸送した。
窓の外に広がるビル街は無機質で、神経を研ぎ澄ましても四季を感じるのは難しい。そんな景色を一瞥した後、私は軽く咳払いをした。
「今のは冗談だから忘れ…え?」
「えーそんな恥ずかしい勘違いしてたんですかぁ?」と言わんばかりにニマニマしている平野の顔が待っているだろうと覚悟を決めて視線を戻したというのに、私の双眸が捕らえたのは、頬を紅潮させている平野の姿だった。
用意していた台詞も最後まで言えないまま、私の言葉が驚嘆に変わった。
「……ですか」
「……」
「永琉先輩を、無理矢理抱く訳ないじゃないですか。気持ちが無いと…意味ないです」
ねぇ、平野。私はやっぱりお前が分からないよ。
このバインミーに挟まれている生ハムよりも、トマトよりも、顔を赤くして。その癖、思わず逸らしたくなってしまう程に純朴で真っ直ぐな瞳を私に向けるあんたの考えている事が、想っている事が、一ミリも分からない。
「言ったでしょう?俺、永琉先輩が好きだって」
ちょっと待ってよ、あれって悪い冗談じゃなかったの?私を揶揄う為に吐いた言葉じゃなかったの?
「先輩が俺を好きになってくれないと身体だけ繋がれても意味ないです。そんな関係、俺は嫌です」
“だから、早く俺を好きになってくれません?”
人差し指で頬を掻きながら口角を不器用に緩めた平野からは、何の打算も陰謀も感じられなかった。適当な奴なのに…いい加減な事ばっか言う後輩なのに…大嫌いなはずなのに…。
化石に成り果てたはずの自分の胸が、その瞬間、確かにキュンと音を立てた。
ep.20 End