未知の響きに顔がぐにゃりと歪む。金曜日の夜らしい活気と賑わいに包まれている居酒屋の騒がしさが不思議とその瞬間だけは耳に入って来なかった。「お待たせしましたー、生ビールです」溌剌とした店員さんの声と共に手元に白い泡が揺れているジョッキが提供される。
停止した思考を何とか動かして小さく「ありがとうございます」とお礼を言ってジョッキを握った私は、取り敢えず冷静になるべくキンキンに冷えているビールを喉に流してそのまま頭まで冷めます様にと願った。
「やっぱ冷静になるの無理だわ。女性用風俗?何それ?」
「ぇえ?知らないの?その名の通り、女性客を相手に男性のスタッフが性的欲求を満たしてくれるシステムを実現している所だよ」
「常識でしょみたいな顔で語るな。あんたまさかその女性用風俗に通ってるって事?」
「うーん通っているっていうかぁ、指定したホテルにあっちが来てくれてご奉仕して貰えるって感じだから正確にはあっちが通ってるというか…「いや、もうこの際そんな微妙なニュアンスの違いはどうでも良いんだわ」」
扉を開き過ぎてもう流石にいくら結芽でも新たに開く扉はないだろうと踏んでいたというのに、まさかここに来て…アラサーになって新たな扉を見つけて開くとは…この女恐るべし。
私の度肝をあっさりと抜いて混乱を招いている張本人は、至って平然で何なら純粋無垢な眼差しを向けてコテンと首を傾げている。更には「どうしてそんなに驚いてるの?永琉」なんて質問を放っている。
驚くに決まっているだろ。マブダチが知らぬ間に風俗の常連になってるなんて聞かされて普通にしていられる人間の方が少ないに違いない。
女性用風俗。そういう存在があるのは女性マンガ誌の編集者なので知識として脳にインプットはしていたけど、まさかこんなに身近に利用者がいるとは思いもしなかった。
「言葉が出ん」
「お、それじゃあこの隙にノラ君のプレゼンしちゃうね♪ノラ君は画に描いた様な王子様なの。兎に角お顔が良い!!!顔面偏差値は歴代の推しの中でもダントツで一位なの。それだけでも十分なのにノラ君ってば甘くて優しい言葉をいっぱい囁いてくれてね、私のお願いを殆ど何でも聴いてくれるの」
「そりゃあそうだろ、あっちは金貰ってんだから。大体幾ら払ってんのよ」
「えーっとね、ノラ君は土日祝祭日しか出勤してないからぁ…ざっと毎月15万くらいかな、てへ」
「てへじゃないよあんたよく金あるな」
「ふふーん、何を隠そうこの私、ダブルワークしてるので。フリーライターの方で本職のOLよりも稼いでるの」
「その熱量他に向けた方が絶対良いだろ」
「ノラ君に会う為って思うと不思議と疲れも吹っ飛ぶんだよねぇ。寧ろ仕事も超捗るって感じだし」
阿呆だ。もう阿呆だという感想しか出てこない。語彙力を完全に喪失してしまっている。それくらいに『マブダチの風俗通い』というトピックスはここ数年の中で一番の衝撃であり、菅田 永琉の人生新聞の一面を飾った。
「ノラ君が他の女にご奉仕してるとか考えただけで殺意湧く」
「あんたそれ、ガチ恋という奴なんじゃないの?」
「私だけに飛びきり甘いノラ君でいて欲しいの!!!だからこそ親友の永琉にしかこんな事頼めないの!!!」
「おい、少しはまともに会話のキャッチボールしろ」
「だから本当に心からお願い永琉。明後日の日曜日の夜を私に…いやノラ君に捧げて下さい」
「だが断る」
そんな馬鹿馬鹿しい話に乗ってられっか。首を振って即答した私に対し、眼をぴえん状態にするかと思われた結芽だったが意外にもぴえん顔を浮かべていない。その代わりと言わんばかりに分かり易い悪党の様な顔を湛えている。
悪知恵しか働かせていなさそうなその表情をお前は一体何処に隠し持って生きて来たんだよ。初めて見たぞ。
「……ゲーム用の課金カード五万円分プラス、私が永琉のチーム戦に協力する」
うずらの卵のベーコン巻きの串焼きを取り豪快に全てを一口に収めた結芽が、串の先で私を指してふふんと鼻を鳴らした。どうでも良いがその食べ方なんなん。こいつ私の知らぬ間に海賊にでもなったんか?
一見すると、今の結芽の発言は誰もが下らない攻撃だと思うかもしれない。しかしながら、非常に残念ながら、実に悲しいのだが、私にとっては会心の一撃であった。
「……」
「でも仕方ないかぁ。私の大切な親友の永琉がどうしても嫌だって言うんだから無理強いはできないもん」
「……」
「ノラ君を指名している数時間だけ一緒に居てくれれば良いだけなんだけどなぁ。別に性的な行為とかは全然しないで良いのになぁ」
「……」
「お話だってしなくても構わないのになぁ。永琉は大好きなゲームをホテルのベッドに寝そべりながら楽しんで時間になれば帰るだけなのになぁ」
「……」
「あーあ、とってもとってもとーっても悲しいけど、諦めるしかな……「ちょっと待って」」
相手の言葉を遮ったのは勿論私である。私以外にいない。こんな場面で結芽に待ったをかけるのは世界中探しても私のみであろう。その理由は実に明瞭であった。
結芽の言葉が途端に魅力的に感じたからである(※これがゲーマーの恐ろしさ)
ep.14 End