一週間の内で一番好きな曜日は何曜日ですか?そんな質問をもしもされたら、私は一切の迷いもなくこう答える「金曜日の夜」と。
社畜と言っても過言ではないハードスケジュールを終え、仕事を忘れられる束の間の楽園…それ即ち金曜日の夜の焼き鳥屋。正に私にとっての愛おしい空間であるはずのそこが、この日ばかりは地獄に感じた。
串に刺さったハツの塩焼きを頬張った私の目線の先にいるのは、新手の土下座とも思える体勢でテーブルに額を密着させている人間の仄かにピンク色に染められ、更には丁寧に可愛く巻かれた髪。
口に残る塩味をジョッキに入ったアサヒスーパードライで豪快に流して幸福を噛み締めた刹那、一向に頭を上げる気配のない相手に呆れて「絶対嫌だから」念を押す様に言葉を紡いだ。
バッと音が鳴りそうな勢いで漸く顔を上げた彼女は、毎月五千円を溶かしているらしいマツエクに縁取られたちゅるんちゅるんの瞳で私を捕らえた。
「お願い。一生のお願い。その代わり何でもするから!!!どうかお願いします!!!」
「あんたも大概しつこいよね、結芽。嫌って言ってんじゃん」
「永琉ぅぅぅぅうううううう、酷いよぉぉぉぉおおおおお~。私達大親友じゃないのぉぉぉぉぉおおおおお?」
「うるさ」
うえーーーーんなんてあからさまな嘘泣きを披露して、ガキンチョみたいな粘り方を見せる相手に溜め息を落とすのはこれで何度目だろうか。
酷い酷いと同じ単語を連発しながら現実逃避をするかの如く彼女が首を左右に振る度に、甘ったるい相手の香水の匂いが漂って鼻を刺激する。焼き鳥屋にはミスマッチな香りだった。
「こっちは久し振りに呑めると思って楽しみにしてたのに、あんたのせいで台無しなんだけど」
「え、どうして?」
「そんな純粋な目で質問すんな。察せ」
「もう、永琉ってば冷たーい。もっと優しくしてぇー。会社で上司と部下の板挟みにあって日々ストレスが蓄積されてる私を抱き締めて慰めてよ~」
檸檬の果肉が贅沢に入っているレモンサワーを一気に胃へと消した彼女は、不覚にも心が擽られてしまういじらしい顔をムッとさせて極めつけに瞳を潤ませている。
隣の席に座っている同世代っぽい外見のサラリーマン二人もさっきから彼女へ視線を寄越しては「あの子めちゃくちゃ可愛くね?」なんて話している。
昔から異性にモッテモテの道を歩んでいる彼女の名前は
次はねぎまの塩焼きが刺さっている串を手に取って豪快に喰らい付く。タレと塩のどちらかが基本の焼き鳥だが、私は圧倒的な塩味支持者だ。
さっきから殆ど食していないマブダチに「焼き鳥が冷める前に食べれば?」そう問うても、そんな事なんてどうでも良いと言わんばかりの圧力と強い意思を相手は放っている。
黙っていれば全く可愛らしい女だと改めて思う。どうしてこんなに可憐な容姿に恵まれたのにいつまで経っても変な物にばかり溺れているのか甚だ疑問である。
こうしていると私が親友に冷酷な女かの様に映っている可能性があるので説明を補足しておくが、草間 結芽という女は本当に生粋の阿呆なのだ。
高校生の時は世間一般的にそこまで人気のないソシャゲに
大学生時代はホス狂への門を叩き、学業そっちのけで歌舞伎町通いの日々を送っていた。驚くなかれこの女、その時は四つのアルバイトを掛け持ちしてその辺の社会人より高い金を稼いでいた。全てを預金口座に振り込んでおけばこいつは今頃もっと優雅に人生を送っていたに違いない。
だがしかし、お馬鹿街道まっしぐらの結芽は再三私が忠告したにも関わらず給料の全てを担当ホストに注ぎ込んだ。本来ホストクラブとは
欲しいと言われれば例え経済的に苦しくとも無理をして、誰もが知っている高級ブランドのバッグやベルトやコートや靴を惜しみなくホストに買い与えた結果、そのホストは勤務していた店に多額の売掛を作り蒸発。結芽の大学四年間にも及ぶ労働の成果は一瞬にして音信不通となった。
これで流石にこいつも懲りただろうと踏んだ私も愚かであった。
担当のホストに裏切られて落ち込んでいた結芽にここぞとばかりに擦り寄って甘い言葉を囁いたのが同じ店に勤務していたその店の新人ホストで、私の慰めの言葉にはまるで耳を貸さなかった癖に新参者のホストの言葉にはコロっと落ちた結芽は今度はそのホストを担当に指名。そうして同じ過ちを繰り返したのだった。全く以て愚の骨頂である。
もう何も言うまいと傍観を決め込んでいた私だったが、結芽の二番目の担当ホストが昨年突如引退を発表。店を辞めたホストが数ヶ月後、連続ドラマで当て馬役として出演しているのを偶然視聴した時には顎が外れそうになった。それ位の衝撃と破壊力をあの男は持ち合わせていた。
結芽の努力(と呼んで良いのかは分からない)が遂に実を結んだのだと半ば興奮気味に「結芽の担当してた子、俳優として大成してるじゃん」と告げたのだけれど、返って来たのはこちらの予想の斜め上を行く回答だった。
「へぇーそうなんだぁ。手が届かない人には興味ないからどうでも良いやぁ」
頬をぷっくりと膨らませて季節限定のフラペチーノをストローで吸引した結芽の瞳は明後日の方角を眺めていた。どうやら結芽は自らの手が届く範囲にいる男にしか興味がないらしい事を私はその時初めて知った。
加えて、貢ぎ癖が治らない限り、結芽が絶対に幸せになれない事も私は覚った。
「ねぇ、永琉聴いて?私ももう社会人だし、お国に納める税金とやらも発生しちゃう歳だから推しを作るのは引退しようと思うの!」
苺の果肉を吸い上げながらピースサインを作った結芽を見て私は思った。こんなにも信用ならない宣言を聴くのは生まれて初めてだと。街頭演説で嘘っぽいマニフェストを語っている政治家よりもよっぽど結芽の引退宣言の方が信憑性が低かった。
かくして、結芽の引退生活が始まったのだが……。
「お願いします永琉様。本当にこの通りです、大親友の私の為に日曜日の夜を捧げて下さい。私の推しが他の女に盗られるなんて耐えられないのでお願いします」
「却下」
「やだやだやだやだぁ~!!!却下しないでぇ~!!!!承ってよぉ~!!!」
ご覧の通り、この女は既に新たな推しが居るらしい。
ep.12 End