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ep.10違和感のある男②


 何なんこいつ、どっから湧いて出た?



 どうして愛おしい愛おしい昼休みにこいつの顔面を見なければならないのか即刻説明願いたい。


 食道を通過しかけていた南瓜の煮物が逆流しそうになるのを根気で胃に落とし込んだ私は、クソ空気の読めない我が後輩にありったけの冷たい視線をグサグサ刺した。



「あ、永琉先輩と目が合っちゃった。やっぱり俺達運命ですね」



 だがしかし、脳内花畑のこの馬鹿にそれがまともに通用するはずがなかった。妄言を吐き散らしてバチコンと片目を器用に閉じてアイドルみたいな完璧なウィンクを飛ばしてくる相手に、まだ消化されていない弁当全てを吐いてしまいそうなまでに胃がムカムカする。


 あんたずっと何言ってんの?ていうかどうやってここが分かったんだよ、お前からランチの誘いを受ける度に逃げて逃げて逃げてやっとこさ発掘した私のオアシスだったのに、何で普通に堂々とお前がいんのよ。



 この男の登場と共に体調不良が発生する。これはもう皆さんお察しの事と思うが、平野アレルギーの顕著な症状の一つである。


 一々平野とまともに取り合っていても埒が明かないし時間を浪費するだけだと既に心得ている私は、平野の酔狂な発言を聞かなかった事にして残りの弁当を平らげた。



「せーんぱい、ほっぺ赤くなってますよ。もしかしなくても照れてます?可愛いー」




 もしかしなくても胸焼けを覚えているんだよ!!!それも!!!オメェに対してな!!!



 百歩譲って頬が紅潮しているのだとしてもそれは断じて平野が理由ではない。当たり前だけど平野にこっちが赤面するなんて、どんな異世界転生ファンタジー物語でも有り得ない。


 そしてお前まるで山田に挨拶する素振り見せてないけど社会人になって一体何を学んできた?これじゃあ先輩の私が能無しみたいに思われるんですけど?気遣いって言葉を今すぐ辞書で引いてくれ。



 はぁーと盛大な溜め息を吐いてテーブルに突っ伏した私に「永琉先輩お疲れですか?俺がお姫様抱っこして運びましょーか?」そんな平野のふざけた言葉が降り注ぐ。



「私の疲弊を労わる気があるなら今すぐ視界から消えて欲しい」

「…という訳で山田さん。俺の永琉先輩がそう言ってるので退席願いま…「あんただよ平野。何シレっと山田に失礼な事言ってんの」」



 さっきから癪に障って障って仕方がなかったけど”俺の”永琉先輩ってまず何?一ミクロンたりとも私はあんたの物になった覚えはないです。


 咄嗟に顔を上げた自分の涙袋がピクピクと軽い痙攣を起こしている。あーあ、平野ストレスだ。完全にそうだ。隣に居る無礼な野郎の腕にグーパンを決めたら、ふにゃりと憎たらしい微笑を浮かべられた。



「永琉先輩からスキンシップってレアですね、嬉しいです」

「どんだけ幸せな思考回路してんの?ある意味羨ましいわ」

「ありがとうございまーす」

「褒めてない」

「えー?俺からすると褒め言葉ですよ?俺の幸せな思考回路で永琉先輩も幸せにしますね」

「頼むからもう喋んないで」



 お願いだからこれ以上平穏な昼休みをぶち壊さないでくれ。弁当を片付け終わった私が己の顔面の半分を片手で覆って細やかな望みを口にすれば、正面に居る山田が困った様な苦笑いを滲ませた。



「何か……俺の知ってる平野君と全然違うな」



 これだけ拒絶しても尚、にっこにこしている相手に呆れている私の耳を掠めた山田のその一言に、私は目を丸くした。確かにそうだ。そう思ったからである。


 この平野 翔という男は蓋を開ければこそ忌々しい性格や、憎たらしい人間性を覗かせるが、そもそもその蓋自体が鉄でできているかの如く強固なのだ。上司後輩関係なく、部署すらも関係なく好感度を欲しいままにする程の役者っぷり。



 ただただ鼻につくだけの本性をどうしてなのか私以外には絶対に見せない。そう、どういう訳か私だけがこいつの鉄でできた蓋を開けられるという宇宙一不要な能力を有しているのだ。



 だからこそアンチ平野な私に共感してくれる人間は皆無であり、私はひたすら肩身の狭い思いをして我慢してきた。それなのに、そんな平野が私以外の誰かにこの腹立たしい姿を見せるなんて、違和感しか覚えない。



 裏があるのではないだろうか。ある気がする。否、あるに決まっている。この男がタダで自分にとって損害になる一面を露呈させる訳がない。悲しい事に長年こいつの先輩を誰よりもこいつの近くで務めてきたからこそ、この男がそんなタマではないと分かっている。



 一体何を企んでいる?どうせ碌でもない事に違いない。少なくとも私にとっては非常に宜しくない物である事は確実だ。


 山田に平野の本性を見て貰えたという嬉しさ反面、飄々としている平野がどんな悪しき思考を巡らせているのか懸念している己がいる。



 さっきから一時たりとも山田に視線を向けずに頬杖を突いて私を見つめている曲者の平野は、頬に空気を溜めて唇を尖らせた。その様はまるで拗ねた子供であった。お前マジで何しに来たんだよ。



「永琉先輩、俺コーヒー飲みたいです」

「あっそ、買いに行けば良いじゃん」

「えー冷たーい。お昼に付き合ってくれない代わりに、コーヒーくらい付き合って下さいよー」

「絶対嫌だ」

「そう言うと思いましたー。でも、再来月号の表紙の件で大切なお話があるって言ったらどうします?」

「……」

「先輩忙しいから、この後は打ち合わせして担当している漫画家先生の作業場に行きますもんね?」

「……」

「俺も新人の子達の教育で中々時間がなくって話せるのが今日くらいしかなくてー」

「……」

「でも困ったなぁ、永琉先輩が付き合ってくれないなら誰に相談すれば良いのかなぁ」

「…分かったわよ、行けば良いんでしょ行けば!!!」

「え!?行ってくれるんですかー!?わーい、嬉しいです」



 白々しい奴め。仕事の話になるとどうしても断れない私の性格を熟知してやがる。そんな的確に弱点をチクチク刺されて嫌な気持ちにならない奴がいるかよ。


 周りに花が咲き乱れたトーンでも貼ってんのか?って位に麗しい笑みを綻ばせている平野が、私の腕を引っ張って「早く行きましょう~」と急かしてくる。


 鉛と肩を並べられるまでに重い腰を渋々上げた私は、私達のやり取りを吃驚した顔で見守っていた山田を視界に映した。



「山田すまん、先に行く。お弁当ごちそうさまでした、弁当箱は洗って返すから」

「あ、良いよ。俺が洗うから置いてけよ」

「でも…」

「その代わり、今度呑みに付き合って」

「え、そんなんで良いの?」

「充分。寧ろそれが良い」

「ん、了解。それじゃあまた連絡するから予定合わせよう」

「おう、楽しみにしてる」



 お箸を持ったままヒラヒラ手を泳がせて見送ってくれる山田がつくづく良い奴で、こんな後輩だったら最高なのにと心の中で大きく叫んだ。



「せんぱーい、早くデート行きましょ?」



 オメェは山田の爪の垢でも煎じて飲め!!!



ep.10 End




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