再び弁当を突いていた相手の箸が止まった。高校生の時から眉目秀麗で名を馳せていただけあって、山田の容姿はとても整っている。大学の時も騒がれていたし、それはそれはモテていた。そういや、この会社の新入社員研修の時も同期の女子からやたら連絡先を訊かれていたっけ。
ただでさえ顔も良くて長身で勉強及び仕事もできるのに、山田はそれを鼻にかける素振りなんてまるで見せない。しかも趣味及びストレス発散が料理ときている。このお弁当だって全て山田の手作りだ。冷食が一つも入っていない。
性格も穏やかで面倒見が良いし、人望も厚い。余計なお世話なのは百も承知だが、ここまで完璧な人間なのに恋人がいないというのが実に奇妙だ。
逆に完璧過ぎて敬遠されてんのかな?山田と付き合う人は絶対に幸せになれるって私が保証するんだけどな…って、それこそ本当に余計なお世話か。
「聞いた話じゃ、平野って自分からsucré編集部に希望出したんだろ?」
「は?マジ?」
「え、何、菅田知らねぇの?仕事ができるから何回か他の編集部に異動しないかって打診もあったらしいけど全部断ってるって聞いたけど?」
「初知りだわ」
「平野が新入社員だった頃ってsucréの評判は今程良くなかっただろ?」
「うん、崖っぷちだった」
「人がオブラートに包んでんのにはっきり言うなよな…まぁ、菅田の言う通り崖っぷちだったじゃん?それなのにわざわざsucréに希望出すなんて、しかも男一人の部署なのに異動したがらないって、かなり不思議くないか?」
「確かに」
「だろ?」
表情にこそ出てはいないけど、内心ではかなりの衝撃を受けて唖然とする私がいた。
平野が自ら進んでうちの編集部に来た…だと?異動したがらないのは、私以外のsucré編集部メンバーにでろでろに甘やかされて居心地が非常に良いだけ的な、下らない理由だろどうせ。
そんな事よりも問題なのは奴がsucré編集部に辿り着いた経緯だ。まさか本人たっての希望でうちに配属になったとは……。
恐ッッ、一体何が目的なんだあいつ。平野の事だ、何も考えずにただただノコノコやって来た訳がない。絶対何かしらの思惑があるはずなんだ。それ位あの男は打算的な人間なのだ。
脳裏に浮かぶのは、花が綻ぶかの如く笑みを咲かせている平野の顔。
あいつが何の為にsucré編集部に籍を置いているのかは、平野に興味と関心のない私には皆目見当が付かない。だがしかし、平野が油断ならない人間である事は間違いない。
上手く言葉で表現できない悪寒が背筋に走り、鳥肌の立った腕を擦っていると、スマホから鳴ったアラーム音がその場に響き渡った。
「あ、もうこんな時間か」
「何でアラームセットしてんの?」
「今日これから漫画の持ち込みがあってさ、作家さんと会って話ながら原稿見る約束が入ってんの。山田が食事中に悪いけど、私そろそろ行くね」
「菅田、今週の金曜の夜空いてる?」
「あーごめん、今週は
「結芽って
「うん、まーた最近変なのに沼ってるらしい。去年までホストだったけど今は何に貢いでんのやら」
「ハハッ、懐かしいな。草間も相変わらずかよ…それじゃあ仕方ないな、また今度誘うわ」
「てか山田の手作り弁当食べたい」
「全然良いけど?」
「え?…待って、冗談のつもりだった」
「明後日の昼なら俺多分昼休み都合つけられるから、菅田の分も作ってくるよ。ここ集合で良い?」
「私は全然問題ないけど…山田忙しいのに本当に良いの?無理しなくて大丈夫だよ」
「無理じゃないって。どうせ自分の作るついでだし、それに菅田とも話したいし?明後日の昼休み、楽しみしてる」
ああもう…なんて良い奴なんだ山田!!!
口許に弧を描いて優しさに溢れている言葉を落とす相手に感動しつつも、時間がないので大急ぎでスマホやイヤホンや食事の際に出たゴミを片付ける。
まだ月曜日で萎え萎えの萎えだったけど、水曜日に山田の美味しいお手製弁当が食べられるならそれを楽しみに生きられそうだ。山田が同期で良かった!!!
近くにあったゴミ箱に空になったプラスチックのコップを捨ててその場を去ろうとした私の背中に、「菅田ー!」という山田の声が掛けられる。脊髄反射で振り返れば山田が箸を持った手をヒラヒラと泳がせた。
「明後日、忘れんなよ」
「もち。楽しみにしてる」
「仕事頑張れな」
「ありがとう」
温かい台詞についついこっちの頬も緩んでいく。次こそちゃんと踵を返した私は、sucré編集部が設けられているフロアへ駆け足で向かったのだった。
ep.6 End