根拠も理由も明確に答えられないけれど、平野が嫌いだと早々に自覚した私はそれから文字通り我武者羅に仕事をこなしていった。
いかにして平野の教育係をスピード解任して貰えるか。そこが争点になっていたのは言うまでもない。
愛おしいゲーム時間を捧げて働いて、働いて、働いて…自分の発想を企画書にまとめて、昔からSNS上で才覚があるなと思っていた無名の漫画家希望の絵師さんに手当たり次第にアポを取って作品作りに
そうして初めて独りで担当に就いた漫画家さんの作品がまさかの大当たり。SNSですぐに拡散され、鳴かず飛ばずだったはずの月刊誌sucréの業績が急上昇。社内でも「sucréはいよいよサクラでも仕組んだのか?」と囁かれていた事から察するに、やはり月刊女性マンガ誌sucréは長年、崖っぷちに堂々と立ち続けていたらしかった。
電子版でも紙媒体でも単行本は売れに売れ、重版という出版社らしい熟語を聴かされた時にはこんな私でも感動を覚えたのを今でもはっきりと記憶している。
唯一にして最大の計算ミスは、頑張れば頑張る程何故か平野の存在は遠ざかるどころか近くなる一方だった事である。
私の背中を追って成長してしまった平野は二年目にしてあっさりと才能ある漫画家を発掘して連載を開始。それがsucré史上二作目のヒットに輝いた。
「平野君が発掘して来てくれた先生の連載が、今年の注目漫画大賞にノミネートされました!拍手~!」
「皆さんありがとうございますー。永琉先輩、やりましたね」
「どうして私に言うの」
「え~相変わらず冷たい人だなぁ。どうもこうも、この作品は俺と先輩が運命の赤い糸で結ばれているからこその結果だからに決まっているじゃないですか」
「いや勝手に糸を赤く塗るのやめてくれる?漆黒の間違いじゃない?」
「ふふっ、照れてるんですか?そういう永琉先輩も可愛いです」
「あんた日本語やり直せば?」
何も考えてない馬鹿かと思わせておきながらちゃっかり吸収する部分は吸収する要領を持ち合わせて、そつなく器用に仕事ができてしまう平野に、先輩方も上司も「ヒット作を担当した事がないから私の手には負えない」と口を揃えた。
読者諸君、その通りであります。そうです、結局私はヒット作を送り出したにも拘わらず、平野の教育係から外れるという目標を達成する事は叶わなかったのです。
更に追い打ちをかけた不幸は、平野がsucréに配属されてからの数年間、一人として新入社員がsucré編集部には入って来なかった事である。
新人さえ入ってくれれば望んでいない平野との近距離な日々も終焉を迎えてくれるだろうと期待を寄せていたというのに、私の後輩は永遠に平野のみだった。
厄年かそれ類の何かかと思って神社にお参りに行ったのに効果なし。ここまでくるといよいよ平野が疫病神だとしか思えない。
平野に苛立った回数を一々数えてはいないが、恐らく優に一億回は超えていであろう。それくらい私とあいつは何をするにも馬が合わなかった。といっても、馬が合わないと感じているのはどうやら私だけらしく、いつだってこちらを秒速で不快にさせる平野プロは何の嫌がらせなのか、やたらと私に引っ付いて回った。
私にしか見えない気色の悪い妖怪説も浮上したが、平野が通るところに頬を染める乙女ありな現実を幾度となく目撃したのでその説はあっさりと否定された。
毎日毎日毎日毎日、「永琉せーんぱい!お昼一緒に食べましょうよ~」とか意味分からん誘いをしてくるし、どんだけ拒否しても全くめげない。何処でそのメンタル鍛えてきたんだよ。お前のメンタルの原料は鋼か?何度そう思ったことか。
平野と居れば居る程に生理的に嫌いってこういう事を言うのだなという確信が大きくなっていく私の傍で、いかにも世の中を舐め腐って生きていますって感じの平野は男性一人の空間でも先輩や上司の懐に入って、いつでも素直に甘ったれる事ができる環境を手際よく築いていった。
そうこうしている内に一年、また一年と過ぎ、私が担当した漫画家さんの作品が実写映画化になり、その半年後には平野の担当している作品のドラマ化が決まったりと、創設以来の繁忙期がsucréに到来して、会社内でも一定の地位を確立するという奇跡が起きた。
とりあえず全てにおいて右も左も分からないsucré編集部は、突如到来したバブルに毎日がてんやわんやで、それを見ていた会社の人事はこんな連中に新人を教育できる余裕はないと判断したのかもしれない。
そして今年、平野がsucré編集部に配属してから実に五年振りに、新入社員が我等sucré編集部チームに入って来てくれたのである。
ep.3 End