王城の門が開き、ラシェッドと護衛達が進んだ。とても軍事行動とは思えぬゆっくりとした歩みで、観光でもするかの様に周囲を見渡しながら歩いていた。

　時折矢が飛んできたり、突撃してくる兵士がいたが、それらは全て護衛達が処理。ラシェッド自身は指一本動かす事はなかった。

　よく手入れされた庭に出る。見事なものだと感心していると、休憩用の小屋に人影が見えた。ラシェッドは手を振って護衛達を下がらせ一人で近づくと、人影も剣を抜いて立ち上がり進み出た。

「意外に風情のある真似をするものだな」

「……ここにいれば、会えると思っていた」

　その男、アーサーは聖剣を構えた。切っ先をラシェッドの喉へと向けたその姿に、微塵のブレもなければ迷いもない。

　誰よりも憎い敵の筈なのに、ラシェッドの胸中には懐かしさの様なものが浮かび上がった。

「一つ、謝罪したい事がある」

　ラシェッドが妙な事を言い出し、アーサーは眉を顰めた。

「以前奇襲を仕掛けてきた時、君を侮った事だ。私に見る目がなかった。君は本当に素晴らしい勇者だ」

「謝る必要はない。あの時にまだ甘さがあったのは事実だ」

　アーサーはラシェッドの背後に視線を向けた。

「一人でいいのか。自惚れている訳ではないが、万が一という事もあるだろう」

「王は定期的に民衆の前で虎を殺して見せねばならない。そういう事だ」

　魔物達がラシェッドに従っているのは身分や恩義ではなく、結局は“力”。故に、王であり続ける為にも、力を示してやらねばならない。

　勇者族、四家の中で最強の男。勇者の挑戦から逃げたとあっては、その瞬間にラシェッドは王の資格を失うだろう。寧ろ、中には己がその地位を奪う為、ラシェッドの死を望んでいる者すらいるのが魔族というものだ。

「そっちはそっちで大変だな。ある意味で魔族の弱点だぜ」

「肝に銘じておこう」

「なんだよ、やけに素直じゃないか」

「寿命がない者には誰だって優しくなるものさ」

　ラシェッドがニヤりと笑って見せると、アーサーも笑い返す。

　音もなく地を蹴り、一瞬で間合いを詰めて聖剣を振り下ろした。

　ラシェッドは右手で剣を振り払い、風斬り音と共に左拳を突き出した。アーサーは咄嗟に身を屈めてこれを避ける。頭上を鉄塊の様な拳が通り抜け、髪の毛数本が宙に舞った。

　アーサーは下段から斬り上げる。ラシェッドはこれを拳で防ぐが、触れたと同時に空気が爆ぜる音がし、激しい電撃が流された。ラシェッドは歯を食いしばって耐えた。防御してもそこに雷が落とされる。知ってはいたが、やはり厄介であった。

　距離を取り、息を整える。ダメージを受けた筈のラシェッドはまだ余裕顔であり、触れれば即死するであろう鉄拳を掻い潜ったアーサーの額に、汗が浮いていた。

「どうした、これでは前と同じだぞ。魔力が尽きる前に私を倒せるかね？」

　挑発に応えず、アーサーは再び地を蹴った。剣を振り、凪ぎ払い、電撃で距離を取る。命を削る攻防戦。

　鉄拳の回避を第一としている為、大きく踏み込む事は出来なかった。また、ラシェッドには再生能力があり、電撃のダメージも、時間が経てば元に戻ってしまう。今も皮膚の表面が火傷を消そうとしていた。

　全てを理解した上での猛攻である。やがて回復よりもダメージが上回ったか、ラシェッドの動きが少し、ほんの少しだけ鈍くなった。

　ここしかない。

　アーサーが剣を肩に担ぐと、右腕が金色に輝き出す。全てはこの一撃の為。ほんの少しでも動きを鈍らせれば、アーサーの斬撃の方が速い筈だ。

「聖雷の一閃！」

　城壁すら切り裂く必殺の一撃。美しい庭園は地面が抉れ、粉々に吹き飛ぶ。如何に強靭なラシェッドといえど、この技を食らえば真っ二つになっていただろう。

　しかし、そこにラシェッドの姿はなかった。

　アーサーの奥義は幹部達から聞いていた。アードラーが翼を痛めたのもこの技のせいだ。どこかで放ってくるという心構えは出来ていた。

　なりふり構わず横っ飛びに躱し、聖雷の一閃を放った隙だらけのアーサーに、側面から隕石の様な蹴りを食らわせた。

「ぐが……ッ！？」

　咄嗟に防御した右腕が粉砕骨折。聖剣が地面に落ちる。アーサーの身体は数メートル飛ばされ、その場に倒れた。荒く息をついている。

　聖剣は落とした。右腕は砕けた。もはや勇者に戦う術は残されていない。

　ここで死ねば、復活の儀式を行う者はもういない。アードラーも女神像を破壊しに行っている。止めを刺そうとラシェッドが歩み寄ると、アーサーは突如飛び起きた。

　アーサーは光輝く左手を、ラシェッドの胸に目掛けて突き出した。倒れながら、バレないように魔力を集中していたのだ。

　これが最後の切り札、聖雷拳。

　鋭い貫手はラシェッドの胸の古傷へ深々と突き刺さる。肉を裂き、肋骨を通り、指先が脈打つ心臓へと触れた。

「見事だ……」

　だが、それまでだった。アーサーの左腕はラシェッドに掴まれ、それ以上は引くも進むも不可能であった。

　輝きを失った左腕がラシェッドによって握り潰される。腕を千切られたアーサーは、数歩後退。血の気を失い、脂汗の滲む顔で睨み付けるが、これで本当に出来る事はもう何もない。

　ラシェッドは胸に刺さった左腕を引き抜き、アーサーの足元へ投げ捨てた。胸から勢いよく血が吹き出すが、直ぐに修復が始まる。

「この傷、目立っただろう？」

　ラシェッドはどこか誇らしげに言った。もうずっと前、勇者パーティと戦った際にアッシュに付けられた傷だ。ラシェッドの心臓がここにあるという目印にもなっていた。

「あの状況から奥義は驚いた。素手なのもな。しかし、ここを狙ってくるだろうという事は直ぐに分かった。絶対に外せない一撃だからな、狙わない理由がない」

　攻撃が読まれていた。ならば顔を狙っていれば良かったのか。いや、剣を振るうならば兎も角、アーサーとラシェッドでは身長差があり過ぎて、左手で殴るには不自然な体勢になってしまう。致命傷を与える事は出来なかったであろう。

　実力に、勇気に、判断力に不足があっただろうか。

　勇者族、筆頭の家を継ぐ者として恥ずべき行いがあっただろうか。

　アーサーは空を見上げた。雲一つない、爽やかな青が広がっている。

「ああ、やはり……、罪なき者の処刑に目を瞑った時から、俺は勇者の資格を失っていたんだな……」

　戦う前から詰んでいた。運が悪かった。しかし、それらは初めから繋がっていた。

「アーサー、私に仕えよ」

「……え？」

　ラシェッドからの突然の誘いに、アーサーは目を丸くしていた。

「君はもう十分に国と人類に尽くした。そんな君に国王が、民衆が、何をしてくれた。寝転がりながら、お前には努力が足りない、と偉そうな事を抜かすだけだろう」

　アーサーは何も言えなかった。肯定も、否定も。

「英雄が何も報われぬまま死ぬ事が、私には我慢ならん。もういいだろう、君は君自身の人生を取り戻したまえ」

　正直、少し迷っていた。ラシェッドの言葉には、単に勇者族を利用してやろうというだけでなく、本当に心配してくれているのだろうという事が伝わってきた。利と情、どちらも持った男なのだろう。

　アッシュが惚れ込むのは無理もない、と妙な納得もしていた。そして友は彼らの下で大事にされているのだろうと、少し安心した。

「降伏するならば血止めをしてやろう。回復魔法が使える者も多くいる。千切れた左腕は無理だろうが、右腕は動く様にしてみせよう。残った人間が心配ならば、この国の統治を任せても良い。限定的だが楽園を作りたまえ」

「ラシェッド……。俺は……」

「一言、仕えると言ってくれ。死ぬな、アーサー！」

「ありがとう。でも、ダメなんだ……」

「アーサー……」

「クソみたいな国だけど、決して悪い事ばかりじゃなかった。俺を信じて応援してくれた人もいた、一緒に戦ってくれた兵士達がいた。俺は二度と人を裏切りたくはない。もう、二度と……」

　アーサーの身体がフラフラと揺れ出した。彼はもう死ぬ、それは誰の目にも明らかであった。

「一つ頼みがある」

「何だろうか」

「王都を占拠して落ち着いたら、この庭園を修復してくれないだろうか。こんな綺麗な庭をぼろぼろにしてしまった事だけが心残りだ」

「約束しよう。たまにここへ来て、君との戦いを思い出す」

「ああ、それは良いな。とても良い……」

　アーサーは庭を愛おしげにジッと見つめていた。ラシェッドも何も言わず同じ方向を見る。

「ぐっ……があああッ！」

　突如、アーサーが身を捩りながら苦しみ出した。両腕を失った事や出血とは別の、異常な苦しみ方だ。

「アーサー……！？」

　ラシェッドはアーサーの様子に驚愕した。アーサーの両腕の肉が溶け、液状になって垂れ落ちた。俯いたアーサーの足元にボトッと落ちたそれは、眼球。

　肉体が崩壊している。

　あまりに突然、そして凄惨な光景に、ラシェッドも護衛達も動く事が出来なかった。

　空からフードを目深に被った女が庭園へと降ってきた。つま先からキレイに着地し、叫ぶ体力すら失ったアーサーを抱きかかえると、また風の魔法によって天高く舞い上がり、消えた。

「何だ、あれは……？」

　アーサーの身体が突然崩れ出した。

　アーサーを連れ去った女が顔を隠していた理由は何か。

　女神像を破壊しに行ったアードラーはどうしているだろうか。

　全てが繋がっているのであれば、他にも残酷な女神の手から逃れられぬ者がいる。

「アッシュ……」

　城を見上げるラシェッドの目が、不安で揺れていた。