幅五メートルの道と言えばそこそこの広さであるが、進軍ルートと考えればあまりに狭い。更にラシェッド軍の先陣は巨大で屈強な魔物達ばかりで、大人の背丈程もある斧や棍棒を持った彼らが三人も並べば、それだけで窮屈であった。
氷の坂に手すりなど付いているはずもなく、端にいるものは容赦なく押し出され落下することもあった。押した押さない、で殴り合いの喧嘩まで始まる始末である。
城壁にはアーサーが待ち構えて迎撃し、すり抜けて来た魔物は兵士達が複数人で襲いかかるといった戦法を取ってきた。
足場は悪く、幅も狭い。左右から矢が絶え間なく飛来する。強引に正面突破で城壁を駆け上がれば、そこには“雷神”が現れる。城壁の攻略は遅々として進まず、被害だけが増え続けた。
ラシェッドは腕を組んでその様子を見ると、静かな溜息を吐いた。アッシュがもう少し坂を大きく作っていればと考えてしまい、すぐに改めた。
「いかんな、贅沢に慣れてしまった」
そもそも城壁を越える坂を作るというのが、この攻防戦において反則技の様なものであった。五つの砦という絶対防壁を抜かれた王国側としては、ふざけるなと言いたくもなるだろう。
アッシュも必死にやっているのだという事は分かっている。先程も疲労困憊で倒れそうになったのを、配下のゴブリン達が引きずって後方へと下がらせた。そんな彼に大きな坂を作らないから犠牲が出たのだぞ、と責めるのはお門違いだろう。
寧ろ、そう言い出す者達から彼を守るのが総大将としての役目である。
気持ちを切り替え、ラシェッドはアードラーを呼び出した。城壁を突破するまで彼の仕事はなく、暇をもて余していた様子。直ぐに飛んでやって来た。
「飛兵を城壁へ向かわせろ」
ラシェッドがそう命じると、アードラーは主君の命令である事も忘れ、あからさまに嫌そうな顔をした。それはもう、物凄くである。
「冗談きついぜ。まだ城壁には弓兵がビッタビタに張り付いているじゃねえか」
戦場で犠牲が出るのは当然にしても、せめて犬死にだけはさせたくないというのがアードラーの方針であり美学であった。戦闘狂の筋肉馬鹿共が勝手に突撃してミンチになるのは構わないが、自分の部下だけは大事である。
そんな気性を理解しているからこそ、ラシェッドはアードラーを咎めずに笑って頷いていた。
「矢が届くか届かないか、といった距離で飛び回っているだけで良い」
そこでようやくアードラーは、ラシェッドの意図に気付いて緊張を解いた。
「成程、嫌がらせをしようって魂胆か」
「表現が露骨過ぎるな。陽動作戦で友軍を援護しよう、というのだ」
攻めるつもりがあるのかないのかよく分からない飛兵が、目の前をうろちょろしている。それだけで敵の弓兵は気が散るだろう。警戒に人員を配置しなければならなくなる。防備に穴が開けば儲けもの。それこそ城壁を越えて侵入してしまってもいいのだ。
「いいともさ。何にせよ、俺好みの戦い方ってのはそういう事だ」
やると決めれば仕事の早いアードラーである、直ぐに飛んで仲間の下へと行った。ラシェッドはアードラーの姿が豆粒になるまで見送った。
アーサーがミノタウロスを斬った、ギガンテスを突いた、ゴーレムを叩き壊した。片っ端から殺して殺して、殺しまくった。
敵の死骸を土嚢代わりに使い、進路を妨害。血で濡れた氷の坂に雷を落とし、一網打尽にしていた。だがそれでも敵の勢いは止まらない。
一体、また一体と脇をすり抜けていく。そうして抜けた者は兵士達が対処してくれているのだが、数が増えれば当然、全てを処理し切れなくなる。どういう訳か、弓兵の援護も薄くなっていた。
ここで負ければ王都は終わる。アーサーの鬼神の如き戦いぶりを間近で見た兵士達の士気は高い。同時に、もうどうしようもないという諦めや、脆さの様なものが彼らの頭の片隅に確かにあった。
援軍の希望がない籠城程に辛いものはない。王都を取り囲む無数の魔物達を、独力で撃退しなければならないのだ。出来る訳がない、と考えてしまうのも無理からぬ事。
一度押し込まれてしまえば、驚く程に崩れるのは早かった。アーサーはその光景を見て舌打ちする。それは兵士達に対してであり、自身に向けられた苛立ちでもあった。
(諦めの早い仲間がいるというのは、こういう事か……)
以前、ロイから不信感を口にされた事がある。敵であるラシェッドからも、評価していないとハッキリ言われた事もある。その意味がようやく理解できた。
(俺の人生、いつだってそうだ。気付くのが遅過ぎるんだ……)
次の事など考えず、全身全霊を賭けて戦っていれば、あの時、ラシェッドを討ち取る事が出来ていたかもしれない。
勇者族と国王は、戦う者とそれを援助する者という対等の関係であると気付くのも遅すぎた。それを知っていれば、アッシュの家族が処刑されそうになった時にも、国王に萎縮する事なく止める事が出来た筈だ。
いや、例え知らずとも、止めるべき場面であった。まさか本当にやるとは思わなかった、というのは己の怠惰と臆病さへの言い訳に過ぎない。あの時、アーサー達の頭を占めていたのは、責任を取りたくない、面倒を起こしたくない、という一心ではなかったか。
もしも処刑を止めていれば、アッシュはラシェッドに対して一定の敬意を持ちつつも、今も人類の守護者として共に戦ってくれていただろう。
見過ごした結果、アーサー達に共犯者の首枷が付けられた挙句、国王に逆らう事も出来なくなった。国王に従っていればこそ、処刑も国王の命令であり仕方のない事であったと思い込む事が出来た。
国王は自由に勇者族を処断する事が可能で、勇者族達もまた、自身がそれを認めた。そんな前例が出来てしまったのも間違いだった。
何もかもがアーサー一人の責任という訳ではないだろう。世界の命運を握っているなどと自惚れてもいない。それでも、幾つかのターニングポイントにいた事は間違いない。悔やみきれぬ後悔が、いつまでも残っていた。
国王の鎖を引き千切った時、罪悪感という傷が心に深く刻まれた。それは今でも時々痛み出す。
「死ね、死ねッ!」
泣き出したかった。泣く代わりに叫んだ。顔を覆う代わりに剣を振るった。どれだけ斬り殺しても無駄だと、耳元で囁く声を無視して戦い続けた。
やがて足元から、ドンと凄まじい破壊音が響いた。城壁を越えた魔物達が、内側から鍵を壊して城門を開いたのだった。
魔物達の歓びと咆哮に迎えられ、ラシェッドは城主の様な堂々とした態度で城門を潜り抜けた。
「まだ終わりじゃない、終わってたまるかよ……ッ!」
アーサーは身を翻し、城壁から屋根伝いに城へと走った。そこで態勢を整え、最後の一戦に挑むつもりだ。
途中で横目にラシェッドを睨む。殺気に気付いたラシェッドが見上げ、視線が交錯した。
“必ず、お前を殺してやる――”。
約定を交わした、そんな気がした。