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第44話 地獄の宴

 人類を守る堅牢な城壁。それを取り囲む血走った無数の瞳。魔物の群れから王都の歴史に幕を下ろす為に進み出たのは、同じく人間であった。

 城壁の上から兵士達が注目する中、アッシュは漆黒のマントを靡かせ、仮面を外した。隠すものは何もない、己の意思でここにいるのだ。


 兵士達に広がる失望と絶望。氷の魔術師アッシュが生きている。それも敵に回ったと噂では聞いていたが、こうして目の当たりにするとやはり辛い。更にその原因が国王にあるというのも、よく分かっていた。


 アッシュは魔力の集中を始め、足元に青白い魔法陣が浮かび上がる。王都の城壁は砦のものよりもずっと高い。氷で坂を作るにも、角度は急になり、範囲は狭くなってしまうだろう。坂が出来れば精鋭部隊が突撃し、城内に入り込んで城門を開く手筈となっている。


 城壁から一つの影が飛び降りた。大剣を担ぎ、アッシュに向けて一直線に走り来るのはかつての仲間、戦士ロイであった。

 伸び放題であった髪を切り揃え、髭を剃り全身を洗い、鎧も鏡の様に磨き上げた。見えないところだが、下着も新しくした。死ぬ準備は万端である。


「死ぬには良い日だッ、なぁ、アッシュ!」


 城壁を越える手段がなくなれば後は力押ししかない。そうなれば防御側が圧倒的に有利だ。アッシュを討ち取る、勝負の鍵はそこにあると見ていた。

 ロイの速攻を止めるべく、多くの魔物が道を塞いだ。しかし、ロイの勢いは止まらない。


 闘神技、オーバーフロー。


 ロイの肉体は大幅に強化され赤黒く輝き、剣を振るう度に魔物達の首が飛ぶ。一拍遅れて吹き出た血が辺りを夥しい光景に変えていた。

 風斬り音と肉を割く音、そして悲鳴の三重奏。魔物を掻き分けて、金色の戦士は突き進む。


 あと少しでアッシュに届く。突如、ロイは巨大な拳に殴り付けられた。ロイは剣を盾にして防ぐ。無理に踏み留まれば剣が折れる、と判断したのか、流れに逆らわず後ろに跳んでいなす。

 ロイとアッシュの間に立ち塞がった存在、それは魔人ラシェッドであった。

 巨人族の握り込んだ拳は鋼鉄よりも硬い。上位種ともなれば一級の武具にも匹敵する。


「どうした、貴様らの求めて止まぬ首がここにあるぞ」


 ラシェッドの挑発に、ロイは一瞬迷った。


 魔族とはかなり大雑把な分類であり、実際は様々な種族の集合体だ。ラシェッドの力によって統一されているのであって、彼が死ねば即座に指揮系統は崩れて意味を成さなくなるだろう。戦闘力において圧倒的に上回る魔族が、今まで人間を滅ぼしきれなかったのは、そうした統率力の欠如にあった。

 奴を倒せば戦いは終わる。その誘惑を、ロイは断ち切った。以前アーサーが奇襲を仕掛け失敗したという話がなければ、飛びかかっていたかもしれない。


 百八十度旋回。背を向けて城壁に向けて走り出した。

 奥義によって肉体強化された走りには誰も追い付く事は出来なかった。追いかけ様という気すら起きない突風の如き走り。


「充填完了です」

「やれ」


 ラシェッドの合図で、アッシュが魔力の集まった右手を掲げた。


(さよならだ、ロイ。君は本当に良い友人だった。過去形で語らねばならないのが哀しいところだが……)


 浮かび上がった感傷を捨てて、右手を勢いよく振り下ろす。


「凍れ、アイスバウンド!」


 音すら凍りつきそうな凄まじい冷気が、一直線に城壁へと突き進む。

 今まではアッシュを中心に扇状に広がっていたが、これまで何度か放つ内に技のコツを掴んだ。無駄な魔力を消費せず、狙った方向へ直線的に撃つ事が出来た。


 冷気の濁流が戦士の背を追う。ロイは足に力を溜め、城壁に向けて高く跳躍。しかし、跳ぶ直前に肉体強化の効果が薄れてしまった。赤黒い光が霞のように散っていく。

 城壁に届かない。腕を伸ばすが壁に手を掛ける事が出来なかった。ラシェッドの前で判断を迷ってしまったあの一瞬、ほんの僅かなあの時間が命取りとなった。


「こんな……所で!」


 無念に叫ぶロイに向けて、フック付のロープが投げられた。それを腕に巻き付けると、力強く引っ張られて城壁に登る事が出来た。数秒遅れて冷気が城壁に叩きつけられ、急角度の坂が出来上がる。


「サンキュー、助かった」


 ロイが礼を言うと、アーサーは静かに頷いた。


「魔力回復薬を飲んで休んでいろ。後は俺に任せてくれ」


 ロイはまだ戦えると言いたかったが、足に力が入らず、立ち上がる事すら困難な状態となっていた。この有り様では強がる事も出来ず、アーサーの差し出した回復薬を素直に受け取った。


「俺が戻るまで死ぬんじゃねぇぞ」

「何だよ、一人で死ぬのが寂しいのか」

「ほざいてろ。野郎と心中なんてまっぴら御免だ」


 軽口を叩きながら、ロイは城壁の内側へと降りていった。その背を見送ってから、アーサーはラシェッド軍に向けて中指を立てて見せた。


「来いやクズ共! 今日も地獄の宴と行こうぜ!」


 それを遠目に見るラシェッドとアッシュ。


「君のお友達は随分とガラが悪くなったな」

「相当愉快な事があった様ですね」


 城壁へと繋がる坂道は、幅が五メートル程。勾配は約四十度といった所か。登りきった頂上にアーサーが陣取っている。


 間違いなく凄惨な激戦地となるだろう。


 ここは現世に現れた地獄の入り口だ。

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