「ラシェッド様!」
「御大将、ご無事で!?」
騒ぎを聞きつけた魔物達が続々と集まってきた。侵入者が勇者パーティだと気付き、ある者は怯え、ある者は手柄を立てる機会だと奮い起った。
使える奴がいれば幹部に引き上げてもいいと考えながら、ラシェッドは大きく手を振って指示を出した。
「その女を足止めしておけ。勇者は私が相手をしよう」
「よろしいので?」
近くにいたオークが不安半分、アーサーの相手をしなくて済むのだという安堵半分で聞いた。
「構わぬさ。私にも少し遊ばせてくれ」
総大将の頼もしい言葉に魔物達は素直に従い、ミリアナだけを囲む事にした。
「後悔するぞ……!」
アーサーが剣を構えて睨み付けるが、ラシェッドにしてみれば、それは勇気などではない。虚勢だ。
「やってもらいたいものだな」
どこまでも遊びであるという態度を崩さぬラシェッドに、アーサーは激昂して飛びかかった。
頭を両断してやる。防がれたら腕ごとぶった斬ってやる。そんな気合いの籠った一撃であった。
しかしラシェッドは軽く身を捻ってこれを避け、そのままアーサーの足首を掴んだ。
「不用意に飛び上がるのは良くないぞ」
アーサーの身体を軽々と振り回し、投げた。アーサーは木に背中を強打し、息が詰まり呻き声を上げた。辛うじて剣だけは手放さなかった。フラつきながらも、木に寄りかかって立ち上がる。
強い。まるで巨大な壁と戦っている様なものだ。仲間の援護がなければ、これ程までに差があるのか。アーサーの瞳には、不安の色が宿っていた。
ラシェッドは散歩でもする様、とても軽い足取りでアーサーに近付いて来た。
「君は勇者族四家の中で最強と聞いていたが、正直な所、私の中で評価は一番低い」
「……何だと?」
「一番はロイだな。彼は良い。勇敢であり、それでいて周りが見えている」
「ふん、アッシュが一番じゃないのかよ」
「人として気に入っているといえば確かにアッシュだがね。好敵手としてなら二番目だ。彼の必殺の一撃も、ロイとの連携あってこそだろう」
ラシェッドは懐かしげに微笑みながら、己の胸の傷をスッと撫でた。
ミリアナが回復し、ロイが隙を作り、アッシュが魔力を叩き込んだ。この傷の思い出の中に、勇者アーサーはいない。少なくとも、ラシェッドの記憶には残っていなかった。
「君に足りないものは忍耐力だ。目の前で百人、千人殺されようと、じっと息を潜めて機会を窺うような非情さがな」
「目の前で仲間が殺されるのを、黙って見ている様では勇者じゃあない!」
「ご立派だ、それが出来る実力が備わっているのであればな。力が無い、耐えるのも嫌だ、それを吠えて誤魔化しているだけだ。貴様は……」
大きく腕を広げ、首を振って見せた。
「ただの臆病な野良犬だ」
「黙れ! 貴様の評価など求めちゃいない!」
アーサーは突進しながら剣を横なぎに斬りつけるが、ラシェッドはこれを軽く払った。電撃が流れるが、ほんの少し痺れた程度だ。魔力がかなり弱まっている様だ。
ラルフの息が乱れてくる。剣と魔法を同時に扱っているのだ、疲労は二倍どころでは済まない。全力疾走しながら、古書の解読をしている様なものである。精神的、肉体的疲労は既に限界を迎えていた。
続く攻撃を躱し、返す刃が届く前にアーサーの頭と右手首を鷲掴みにして持ち上げた。アーサーは藻掻いて蹴りを入れるが、そんな体勢からの攻撃など何のダメージにもならない。無意味であった。
「殺して復活されては面倒だ。四肢をもぎ取り飼ってやろう」
ミシリ、と無慈悲な音がして、アーサーの右手首が簡単に握り潰された。顔を捕まれているせいで、悲鳴を上げる事も出来なかった。手を離れた聖剣が地に突き刺さる。
「アーサーァァァ!」
ミリアナが叫ぶが、魔物に囲まれて仲間を助ける余裕などなかった。足元には数体の魔物の死体が転がっているが、今から全て倒してアーサーを救助するのは不可能。
「寄ってたかって、この卑怯者!」
「そう思うのであれば、奇襲などせずに正面から訪ねてくるべきだな。少なくとも、以前はそうしていただろう?」
嘲笑うラシェッドの顔が、そこで固まる。
アーサーの左手が激しく輝きだ出した。夜の森である事を忘れてしまいそうな程、強い光が辺り一体を照らした。アーサーは魔力を一点に集中させていた。何の為か。
自爆、の二文字が頭に浮かんだ。
つい先程、アッシュの活躍を聞いたばかりだ。彼ら勇者族が、魔力を極限にまで高めた時、何が起きるか分かったものではない。
反射的にラシェッドはラルフの頭を握り潰した。首なし死体が崩れ落ち、握った拳から血と脳味噌が垂れて落ちる。スゥ、とアーサーの身体が半透明になり、そして消えた。聖剣も主を追う様に消える。
騒ぎに乗じてか、いつの間にかミリアナにも逃げられてしまった。また夜の森に静寂が戻る。
やってしまった、という苦い後悔。次に、アーサーを少しだけ見直した。
最後の魔力集中は何の為だったのか。本当に自爆するつもりだったのか。渾身の一撃でラシェッドを倒すつもりだったのか。あるいはミリアナを逃がす為の陽動であったのか。
「私は一瞬、怯えてしまった。それだけは認めよう」
汚れた右手をじっと見ながら、ラシェッドは呟いた。悔しい、恐ろしい、残念だ、そして楽しかった。
いつの間にかタオルを持ったヴェロニカが側に控えている。勇者との戦いなど、大した事ではない。それよりも手が汚れてしまった事の方が問題だ。
動揺する部下達の前で、そんな余裕のパフォーマンスでもしろという事か。
茶番と理解しつつ顔を拭き、手を拭くと、周囲から安堵した空気が伝わってきた。
この戦いも、直に終わりだ。