血と臓物が無尽に散り、怒号と悲鳴が響き渡る砦から少し離れた森の奥。ラシェッドの本陣として、大きなテントが建てられていた。

　ラシェッドは玉座代わりに積んだ人間の死体に腰を下ろし、矢継ぎ早に届く部下の報告を上機嫌で聞いていた。

　侵攻は順調。勇者族の一人が暴れている様だが、これも長くは持つまい。無理はせず遠巻きに囲み、削り殺せと指示を出した。

　城壁を無力化したアッシュの功績は大きい。今回だけではない、この先の砦全てを落とせる算段がついたという事だ。敵も無防備なアッシュを狙って来るだろうが、こちらも護衛を増やしてやれはいい。場合によってはラシェッド自ら守ってやってもいいくらいだ。それだけの価値がある。

（届くか、王都へ――）

　朧な夢と野望が現実的なものへと変わり、胸の内がむず痒いような、可笑しくもあり楽しくもあるといった気分であった。

　伝令のガーゴイルと入れ替わる様に、お気に入りのメイドであるヴェロニカがテントに入った。

「やぁヴェロニカ。アッシュの様子はどうであった？」

「疲労で指一本動かせぬご様子でしたが、魔力回復薬を使ってまた出撃なさるおつもりの様です」

「あまり無理はさせたくないのだがな……勇者パーティ共に対抗する為か。護衛を付け、目を離さぬ様アードラーに伝えておこう」

「ありがとうございます」

　ヴェロニカはまるで我が事のように礼を言った。

　ふと、ラシェッドに疑問が浮かぶ。

「指一本動かせぬのに、どうやって回復薬を飲んだのだ？」

「それは……」

　あまり声を大にしてに言う様な事でもないが、城主の求めである。報告しない訳にはいかなかった。

　口移しで飲ませたのだと説明をすると、ラシェッドは膝を叩いて笑い出した。

「うむ、中々に思い切った事をするものだ。それで、誰の入れ知恵だ？」

「以前アードラー様より、機会があったらやってしまえと、様々な手管を伝授されまして……」

「笑える話の裏にはいつもアイツがいるな。いや、今回に限ってはよくぞやってくれた、と言うべきか」

　今さらアッシュが裏切るとは思えないが、彼を縛る鎖は幾つあってもいい。

「ヴェロニカ、この戦いが終われば、君をあの若き英雄に嫁がせる。構わないかね」

　政略結婚の意味合いが強く、城主がメイドに確認する様な話でもないが、ラシェッドは敢えて問いた。

「はい。いつの世も女は、強くて優しい殿方に惹かれるものにございます」

　と、ヴェロニカは優しく微笑んだ。

　アッシュが以前から自分に好意と、更に言えば劣情を抱いていた事は知っている。彼の部下に対する優しい振る舞いをずっと見てきた。悩みながらも覚悟をもって突き進む姿も見てきた。

　そしてこの日、圧倒的な力を見せつけられた。

　魔族の女として、あの男を愛し愛されて生きる事は、きっと幸せな事だろう。つい先程の大胆な振る舞いも、決してアードラーに吹き込まれただけでやった訳ではない。アッシュを愛しいと思えばこそである。思い返せば少し恥ずかしいが。

「強い、だけではダメか」

　ラシェッドが意外そうに言った。魔族の感覚としては、これが当然であった。

「強さに憧れはしますが、人生の伴侶とするならばそれだけでは」

「ふぅん……」

　理解は出来ないが、本人が良いと言うのであればそれでいいだろう、といった様子でラシェッドは唸った。

　それとほぼ同時、ヴェロニカは急に不安げな表情を浮かべ、目を伏せた。

「後はアッシュ様が私を受け入れてくださるかどうかが問題ですが……」

「驚きはするだろう。だがその上で受け入れるのではないかね。あれはそういう男だ」

　テントの外から喧騒が聞こえた。ラシェッドは表情を引き締めて立ち上がり、ヴェロニカはテントの端に寄った。

　勢いよく投げ入れられる魔物の死体。ラシェッドが腕で払うと、それはバラバラに砕け散った。

　植物型の魔物だ。幹部の一人、木邪フォレス。彼の身体は黒焦げにされ、脆くなっていた。

「無能が」

　敵よりもまず、味方の不甲斐なさに腹が立った。

　直接的な戦闘能力が低いとはいえ、幹部をこうも容易く葬れる者など、そう多くはない。ラシェッドはその男の襲撃を予想し、身構えた。

「うおおおおおッ――！」

　危機迫る気迫を全面に出しながら入ってきた男、勇者アーサー。宿敵の頭を斬り飛ばすべく、一閃に剣を振り下ろした。

　対するラシェッドは硬化した左腕で剣を受ける。激しい金属音、火花が散って奇襲の一撃は防がれた。

　だが次の瞬間、ラシェッドの全身に雷撃が走った。

「ぐッ……！」

　これぞ勇者の力、防御不能の必殺剣。

　斬られれば傷口から魔力を流し込まれ、防がれても雷を落とす事が出来る。剣と魔法をバランスよく使える、というのは彼にとって中途半端という意味にはならない、完全な独自の戦闘スタイルへと繋がっていた。

　並の魔物であれば、この一撃で終わっていただろう。しかし、相手は巨人族のラシェッドなのだ。身構えていれば耐えられない事はない。

　肌が焦げ、身体中から白煙が立ち上るが、ラシェッドは怯まず右拳をアーサーの腹へと叩き込んだ。

　言葉にならない呻き声が一瞬響き、アーサーの身体はテントの外まで吹っ飛ばされる。これも並の人間ならば内臓が破裂し、血とも肉片とも判別つかない臓物にまみれながら、のたうち回る所であっただろうが、アーサーは脂汗を流すだけで立ち上がってきた。

　勇者としての耐久力。そして後方から強力な回復魔法を唱える者がいた。僧侶ミリアナだ。

　ラシェッドはゆっくりと歩を進める。痛みと威圧感で、アーサーは気を失いそうになったが、気合いでなんとか耐えた。

「これはこれは、勇者パーティがお揃いで」

　アーサー達に注がれたラシェッドの視線は、完全に狩る者の目であった。

「総大将を倒せば魔物共は退くだろう、砦は救われるだろうと考えたわけか。いや、素晴らしい。実に勇気ある行動だ……」

　誉められている訳ではない。ラシェッドは追い詰められてなどいない。彼の言葉に含まれるのは、あからさまな嘲笑と侮蔑であった。

「不可能であるという点を除けばな！」

　人間同士の戦いであれば、本陣奇襲も確かに一策。しかし、魔族の地位はイコール実力。これは奇襲などではない、敵の最も強大な部分に少人数で攻め込んだ、ただの哀れな行為にしか見えなかった。

　アーサーとミリアナは武器を構え直した。

「やってやるさ。それが勇者の使命だ！」

「いつまでも勇者、勇者。思考停止の道具としては便利な言葉だな！」

　ラシェッドは両腕を広げて突進した。掴まれればそれでお終いだ。アーサーは攻撃を諦め、転がる様に回避した。勢いのままに大木をなぎ倒したラシェッドの背に、真空の刃が迫る。ミリアナの唱えた風の魔法であった。

「小賢しいわ！」

　振り向き様に、ラシェッドは風の刃を腕で払った。皮膚が軽く切れるが、直ぐにに泡立ち修復してしまった。

「化け物め……ッ」

　ミリアナが聖女の肩書きに相応しからぬ顔で舌打ちした。