勇者の旅は基本的に自由である。但し、それは自由奔放な自由の意味ではなく、己の行動に己で責任を取る、という事であるが。
自分で行き先を決め、倒すべき敵を見極める。道中で手に入れたアイテムなども所有権は勇者パーティにある。最終的に魔王討伐が出来ればそれでいい。
四天王の一人、魔人ベルゴンを倒すという実績もあるので、誰も文句を言う者はいなかった。今までは。
魔術師アッシュの離反という事件以来、勇者パーティの行動も国王の管理下となった。攻撃目標を指定され、入手したアイテムは全て王族に献上させられ、どうしても必要となれば事情を説明し、一時的に貸与してもらうという形を取らねばならなかった。
また、定期的に王都へ戻り報告する事を義務付けられ、移動だけで何日も何週間も掛かって非効率極まりない。これで国王からは成果が出ていない、と叱責されるのだから、溜まったものじゃない。
戦いの事など何も知らぬ国王に指示され、最初に限界が来たのは案の定と言うべきか、一番気の短い戦士ロイであった。彼にしては持った方である。
「いい加減にしろクソが！」
敵の拠点を侵攻中に呼び出され、同じ事を何度も繰り返すだけの説教を二時間弱。ロイは血管を浮かび上がらせ、脇に抱えていた兜を大理石の床に叩きつけ怒鳴った。
「二度と貴様の指図は受けん。魔王討伐がしたければ貴様がやれ。出来るだろう、優秀なんだからなッ！」
唾を吐き捨て、ズカズカと玉座の間を後にするロイ。警備兵が槍を構えて立ち塞がろうとするが、ロイの怒気によって後退り。道を開けてしまった。
これも仕方のない事であった。怒り心頭のロイを止められる者はこの場にいない。無駄死にが確定している状態で戦う事など出来はしなかった。
国王はポカンと口を開けている。自分に逆らうなど信じられない、そういった顔だ。
「おい待て、ロイ！」
勇者アーサーと僧侶ミリアナが追った。後に残されたのは、腰の引けた兵士達と呆けた国王、無表情の宮廷魔術師、バビヨン。
直後、国王の顔に血が昇り、真っ赤になって肘掛けに拳を叩きつけた。
「クソガキ共が！ 余の苦労も知らずに勝手な事ばかりしおって！ 性根が腐っているから徹底的に管理しているのに、それが分からぬとは！」
荒く呼吸で兵士達を睨む。
「貴様ら、何故奴を止めぬか！？ どいつもこいつも使えぬ、役立たずばかりか！」
兵士達は目を逸らし、曖昧に頷くしか出来なかった。ロイの行動に驚きはしたが、意外とは思わなかった。いつか起こって当然の事だと。何かブツブツと呟きながら国王は退室し、側近のバビヨンも兵士らを咎める事なく後に続いた。
玉座の間に安堵した空気が流れる。それが一時的な安心であるという事も、誰もが分かっている。
「これから、どうなるんだろうな……」
誰かが呟いた。
だが、誰も答える事は出来なかった。
「ロイ、話を聞け！」
長い渡り廊下でようやくアーサー達はロイに追い付いた。
「国王から離反してどうするつもりだ！」
「どうするも何も、一人で好きな様にやるさ。安心しろ、勇者族としての使命を忘れた訳じゃない」
「たった一人で何が出来る？」
ロイはふん、と鼻で笑った。悪意剥き出しの嘲笑を向けられ、アーサーは不快感を募らせた。
「今までは何か出来ていたのかよ」
ロイの声はどこまでも冷たい。アーサーとミリアナ、そして自分自身に向けられた侮蔑の思いだ。
王に振り回されながらの三人だけでの活動。魔族の幹部を倒せた訳でもない。迷宮を攻略できた訳でも、誰かを救えた訳でもない。やる事全てが中途半端で放り出された。
チャンスに押し込めない。ピンチに退く事も出来ない。国王の方針に異を唱えるのであれば、いちいち説明をせねばならず、そんな事をしている内に状況は変わってくる。
ロイは静かに首を振った。どうにもならない、そんな諦めがそこにある。アーサー達に向けられた視線は、どこか優しげでもあった。
「身の振り方を考えた方がいい。それともお前らも国王と手を切って、俺と一緒に旅でもするか？」
アーサーは驚き、考え、そして溜息を吐いて拒絶した。
「……無理だな。王族の協力がなければ、復活の儀式も行えないんだぞ」
「その考えが俺達を弱くしたんだ」
コイツは何を言っているのだろうか。
死して尚、復活出来るからこそ経験を積んで強くなる事が出来た。一度負けた相手に対策を立て、再び挑む事が出来た。復活の奇跡こそが、勇者パーティの強みではなかったのか。
アーサーの考えは手に取る様にわかる。言い辛いが言わねばならない。ロイはアーサーから少し目を逸らしながら言った。
「アーサー、お前はラシェッドとの戦いの途中で、勝負を投げただろ。またやり直せばいいやって感じで」
「馬鹿を言うな！ 俺は必死に戦っていた！」
「そうか？ お前からは気迫が感じられなかった。最低限やるだけの事はやっているだけで」
「そんなものは個人的な感想に過ぎないだろうが！」
アーサーは怒りを吐き出しながら、酷く悲しそうな顔をしていた。ロイも似た様な顔をしている。二人とも顔をグシャグシャにして向き合っていた。
アーサー自身、投げやりになっていた自覚はないのだろう。戦いの最中で“次”を意識してしまっただけだ。
それでもあの時、アーサーが全身全霊で戦っていればどうなったか。勝敗は紙一重であった。あとほんの少し、あとひと押しがあれば勝てた可能性は十分にあった。ラシェッドさえ倒していれば、アッシュが捕まる事もなく、四天王の二人目を倒したという実績によって、国王が口出しする事も出来なくなっていただろう。
どこで歯車が狂ったのか。
今更そんな事を考える意味はない。誰よりも信頼していた男の言葉が、もう心に届くことはなかった。
「ごめんな、アーサー。もうお前の事がなに一つ信用出来ない」
震える声で言い、ロイは背を向けて逃げる様に去って行った。
「何でよ……」
ロイの背を見つめながら、ミリアナはその場にへたり込んだ。
「相手は魔王軍なのよ。王族と民衆と勇者族が一つになって初めて対抗出来るっていうのに。どうして皆、勝手な事ばかり」
虚空を見つめるミリアナ。前を見ている様で、前を見ていない。
アーサーは下らない理想論だと吐き捨ててやりたかったが、それは出来なかった。アッシュが裏切り、ロイが去った今、ミリアナとの仲まで拗らせる訳にはいかなかった。
ミリアナの言葉は正論だ。ただ、不可能であるだけだ。無理だと口にしてしまえば、本当に何もかも崩れてしまいそうで、それ以上は何も言えなかった。
