「僕の耳の調子が悪かったみたいだな。アードラーさん、今なんと?」
直ぐにでも「冗談冗談!」と言って笑い出すのではないかとアードラーの顔をジッと見ていたが、彼は真顔のままであった。
「アッシュ、お前さんはどうも危機感ってやつが足りない様だな」
「何だよ、怖い言い方をしないでくれ」
「ヴェロニカ程の女に、今まで縁談がなかったとでも思うのか。我が妻に、俺の女に、そう申し込む奴はそれこそ両手両足の指で数えられんぞ」
アッシュは黙って頷いた。自分もまた、その内の一人だ。
「確かに。そうなると逆に気になるのが何故、彼女は今一人身なのかという事だな」
アードラーの眉がピクっと動いた。気のせいだったかもしれない。アードラーはまたいつもと変わらぬ気楽な調子に戻って話を続けた。
「まず無理矢理襲ってモノにしようって奴がいない理由だが、メイドや料理人達は城の維持に必要な人材であり、身分こそ低いが、若の直轄だ。余程の無礼でもない限り、勝手に危害を加える訳にはいかねぇ。まぁ昔はそんなの関係なしにやらかし、て若に頭を握り潰された奴が何人かいたけどな」
「……その割にゴブリン達の扱いは悪い様だが」
「メイド達は城の管理の為にも雇われている。ゴブリン達は戦士として雇われておきながら、大して役に立たないから雑用で使われている。前提からして違うのさ」
雑用専門になります、と言えば身の安全は確保出来るのだろうか。その考えをアッシュは直ぐに打ち消した。今どれだけ惨めな境遇であろうとも、戦士であるというのは、最後に残ったプライドだ。雑用係になれと勧めるのは、本人だけが親切だと思った最悪の侮辱ではないか。
「話が逸れたな。で、メイドの○○ちゃんが欲しいです、という時は若に話を通す事になる。ヴェロニカの場合は特に若のお気に入りだからな、条件を付けたのさ。何か大きな手柄を挙げたらくれてやる、と」
「褒美扱いか。そんな、人を物みたいに……」
不快感を示すアッシュに、アードラーはゲラゲラと笑って見せた。
「物だよ、物。ヴェロニカも、俺もお前も、全部若の物さ」
「魔族の主従関係とはそういうものか」
「すぐに全部分かれ、とは言わないが慣れていけ。お前さんはもこっち側だ」
アッシュは大袈裟にならない程度に頭を下げた。雑談に交えて、魔族の考え方や習慣を教えてくれるのは有り難い。習慣を全て受け入れられるという訳ではないが、知らぬままでいる事と、知った上で対処するのではまるで違う。
「つい最近、手柄を挙げる機会があったんだが、残念ながら全員アウトって訳だよ。情けないねぇ」
「あ、うん。そうだね……」
曖昧に返すしかないアッシュであった。
「若と同じ巨人族の幹部もヴェロニカを狙っていたみたいだが、見事にやられちまったしなぁ」
「強かったよ、凄く。あそこでアイテムを大量に消費した事が、ラシェッド様に勝てなかった要因でもあるな」
「無駄死にじゃなかっただけ結構な事だ」
言葉とは裏腹に、口調はどうでもいいとでも言いたげなものであった。死んでしまっては意味がない、というのはアードラーの価値観としてありそうな事だ。
「……少々下世話な話になるけどさ、あの巨人とヴェロニカじゃあ、そのぉ、サイズが違い過ぎるんじゃ……ないかな」
「だろうな。だから一晩遊べりゃ、後はどうでもいいんだろ。翌朝になれば股バッキバキに砕けたメイドの死体がゴミ山にポイって訳よ。ハハッ、笑える」
悪趣味な話である。ヴェロニカでなくとも、他のメイド魔族がそういった目に遭わされた事もあるのだろうか。
「そういう扱いについて、ラシェッド様は何も言わないのか」
「言えるわきゃないだろう。褒美としてくれてやったものを、そいつがどう扱おうが勝手だ。そのルールを若自ら崩す訳にはいかねぇよ」
「メイドという立場も、決して安全地帯という訳ではないのだな……」
「手柄を挙げた奴に何もしないってのは論外だ。褒美としてデカい縄張りだとか、部下千人だとか、上物の武具だとかを要求されるよりは、メイド一匹の方がよほど安上がりだ。酷い話だ、なんて言うなよ。上に立つ者にとって、褒美だ報奨だってのは難しい問題なんだからよ」
「無責任に批判をするつもりはないさ。そうした現状を知った上で、さて自分には何が出来るか、と考えていきたいね。仕方がない、で納得もしたくはない」
「意外に頑固だなぁお前も」
アードラーが呆れた様に言った。ただ、アッシュに対して悪感情を持っている訳ではない。よく言えば、消極的な賛成。もっと分かりやすく言えば、面白がっている。
「それじゃあ本題に入ろうか。近々、新たに大きな手柄を挙げる機会が巡ってくる訳だ。ああ、性の野獣共から哀れなメイドを救ってくれる、心優しい魔術師などはいないものだろうか!?」
アードラーは両手を広げ、大袈裟に叫びながらアッシュをチラチラと見ている。
「……いるさ、ここに一人な」
「素晴らしい! 実に素晴らしい! 後はお前が砦攻略戦で大活躍をしてだなぁ、ヴェロニカさんをお嫁に下さい、と言えばハッピーエンドって訳だ」
「僕にとってはハッピーだが、ヴェロニカの気持ちはどうなのかと……」
「まだ甘ったるい事言ってんなぁ。向こうの気持ちなんかどうだっていいんだ。人間だってそうだろ、身分ある者の結婚なんか全部家の都合だ。魔族の場合は家の繋がりじゃなく、報酬扱いってだけの違いだ」
「むむむ……」
「これ以上、四の五の抜かすな。気持ちが大事だっていうなら、今から惚れさせろ。魔族にとって強さはイコール魅力だからな。砦で大活躍して格好良い所を見せてだな、その後は大事に優しくしてやれば、キャー素敵! アッシュ様抱いて! となる訳だよ」
「それ、なるかなぁ……」
「だからそうなるって言ってるんじゃないの、お前がそう“させる”って言ってんの。お分かり?」
暫し真剣な顔で悩んでいたアッシュであったが、やがて力強く頷いた。
「うん、そうだな。次の戦いは頑張ってみるよ。その後はまぁ、戦いとは別の勇気が必要だが……そっちも頑張ってみよう」
「良し、やる気が出たみたいで結構だ。あ、因みにあのタコ坊主もヴェロニカを狙っているみたいだからな。美女メイドの触手まみれ産卵ショーが見たくないってんなら、気合い入れてけや」
「他の男に取られるっていうのはそういう事か……」
決意を新たにするアッシュであったが、ふと疑問を感じて辺りを見回した。
「随分と長い事話し込んでいたが、まだ誰も来ないのかい。会議はどうなったんだ?」
「それなんだけどな」
アードラーはニヤニヤと笑っている。
「俺がメイドの所に行って頼んだのさ。一時間前にアッシュを呼び出してくれって」
「何っ!?」
素っ頓狂な声を上げるアッシュに、アードラーはペロリと舌を出して見せた。
「怒るなよ。今の話は役に立っただろう?」
「いや、そうなんだけど、そうなんだけどさぁ……!」
騙された、とまでは言わないが、アードラーの手の上で転がされた様な、釈然としない気持ちを抱えていた。
そこへ幹部格二人の魔物が入室し、話はそこで区切られてしまった。