「いや～、本当にびっくりだ。化け物だよアイツは」

　ラシェッドの私室に招かれたアードラーは、村を襲撃した様子を身振り手振りを交えて語っていた。

「凍らせて砕くってのは、高位の魔術師なら出来るかもしれねぇ。だが粉々にするのは非常識だ。門に衝撃を与えたのは俺だけど、正直ドン引きしたぜ。鳥肌立っちまった」

　本気か冗談かも分からぬ口調で語るアードラーに、ラシェッドは指先で胸の傷をなぞりながら、満足げに笑いかけた。

「彼ならばそれくらいやってのけるだろうな」

「その傷、まだ治らねぇか？」

「私の勲章だよ」

　アッシュが勇者パーティとしてラシェッドと戦った時に、氷の槍を突き刺された傷であった。もうほんの少し押し込まれていれば、ラシェッドの命はなかったという程の重症であり、今も傷痕だけが残っている。

　これを勲章と呼んだのは本心からである。それ程の強敵を打ち倒し、生き延びたのであると。そして傷を付けた勇敢なる魔術師は、今や己の部下である。こんなに愉快な事はない。

　治癒魔法を集中して掛ければ治るかもしれないが、ラシェッドはそれをやらなかった。寧ろ傷痕が消えぬ様に引っ掻くのが、クセになっている程だ。

（坊やにゾッコンって訳ね）

　アードラーは呆れながら見守っていた。

「で、こうなると不可解なのは向こうの王様の動きな訳だが。アッシュをテメーで追い詰めて、処刑しようって意図が分からん」

「歴史を紐解けば、似た例というのは幾らでもあるものだ」

「と、いうのは？」

「有能な部下に討たれた主君、というのも同じくらいいるからな。どちらが正しいとは一概に言えぬものだ。だが王は疑心暗鬼に陥った結果、アッシュ達勇者族を権力と恐怖で縛り付けたかったのだろう。却って反発を招いてしまった訳だが」

「残った三匹はどう思ってんだろうねぇ」

　アードラーの口調は対岸の火事。見物している様な物言いであった。

「アッシュが処刑されていたら、彼らも権力に屈し操り人形になっていたかもしれないが、脱獄してこちらに付いたという事実が彼らの立場と心情を複雑にしているのではないかな」

「誘えば味方になると思うかい？」

　ラシェッドは暫し間を置いてから、首を横に振った。

「無理だな。アッシュは私と気が合うという土壌があり、家族が処刑されるという国王の裏切りがあったからこそ、我ら側に来た。何百年と続く勇者族の使命とやらは、そう簡単に捨てられるものではないだろう」

「そりゃあ残念。……でもないか。勇者パーティ四人揃って腹の中に入れたら、それはそれで危なっかしくてしょうがねえ」

　そう言って笑うアードラーであったが、ふと真顔に戻った。

「若はあんまり部下の裏切りを警戒とかしていないよな」

　主君が常に家臣を疑うものだとすれば、外で何をしているかよく分からないアードラーなど、怪しい奴の筆頭である。だが現実には、主君の私室に招かれ談笑している。アードラーにラシェッドを裏切るつもりなどないが、それをラシェッドが信じるかというのは全くの別問題である。

「魔族と人間の権力機構の違いだろうな」

　アードラーは座る位置を直して、じっくり聞く体勢を取った。

「魔族は基本的に力で順列を決めるが、人間はそうではない。血筋と政治だ。本人の前で言うのもなんだが、君が今ここで裏切り襲ってきたとしても、私は返り討ちに出来る」

「若と敵対したら俺は迷わず夜逃げするよ」

　と、アードラーは苦笑いしながら肩を竦めてみせた。こういった仕草がなんとも絵になる男である。

「それがアッシュでも同様だ。危険な相手だが、まず私が勝つだろうな」

「まぁ四人で勝てなかったもんが一人となりゃ、敵う訳ないわな」

「しかし、だ。人間の国王はそうもいかない。単純な武力という点で勇者族一人の足元にも及ばぬ。彼らが国王を害そうと思えばいつでも出来るし、国王はそれに抵抗で出来ない。こんな存在は国王にとって、恐怖以外の何者でもないだろう」

「だから奴らを試して、裏切らないという保証を欲しがった訳か」

「そうだな。だが忠誠心とは形として残る物ではない。またすぐに信じられなくなり、試練はより過激なものになる。この繰り返し、最低の悪循環だ。試練は最早、国王が一時の安心を得る為のものでしかなく、勇者族にとってはただ理不尽な嫌がらせでしかない」

　アードラーは悪戯な笑みを浮かべて言う。

「そして、それを煽っている奴もいる――と」

「ふふ……。何を他人事のように」

「いや～俺はねぇ、出来る限りの範囲で国王と奴らの仲を拗らせておけって言っただけでさ、ここまで効果覿面とは思いもよらなかった。国王がどういう考えで、最も頼れる家臣を雑に扱っているのかも、若の話を聞いて初めて知った訳よ」

「王が卑劣で小心者である、という本性を知っていれば、もっと上手い手が浮かんでいたかね」

「さぁて……。逆に策を弄しすぎて空回りしてたんじゃねぇかなぁ」

　言いながら、アードラーは落ち着きなく頭を左右に揺らしていた。勇者パーティを分断するという素晴らしい結果を出したのだ、ラシェッドとしては誉める事はあっても、完璧でないからといって責めるつもりはない。

　会話が途切れ、今日の所はこんなものか、とラシェッドが手を振ってアードラーが立ち上がる。

　ラシェッドがふと、思い付いた様に言った。

「そういえば、アッシュはヴェロニカに好意を抱いているのだったな」

「ああ、本人は隠しているつもりなんだろうが、バレバレだ。交尾したくてたまらねぇって顔に書いてあるぜ」

　見目麗しいメイドのヴェロニカは、ラシェッド軍の中でも人気がある。囚人であった頃から何かと世話をされていたアッシュが恋心を抱いたとして、何ら不思議はないだろうとアードラーは納得していた。

「そうか……」

　ラシェッドは顎に手を当てて考え込んだ。悩むというよりは、面白い悪戯でも計画している様な表情である。

「なんだよ若、あの二人をくっつける気かい？」

「次世代の勇者族が、魔族から産まれたら面白いと思わないかね？」

「おいおい若、そりゃあ……」

　魔族、そして人間らの世界にどの様な影響が出るかはっきりとした予測は出来ないが、面白いというただその一点において、アードラーは同意した。

　勇者族四家、魔術師の家系はアッシュとヴェロニカの間に産まれた子供が正統という事になる。他の家族は人間がご丁寧に始末してくれたのだ。

「良いねぇ、凄く良いよ。俺が教育係になって、アードラーおじちゃん大好き、とか言われたい」

「ずるいぞアードラー。私だって言われたい」

　主従というより、長年の悪友の様な空気の中、二人は笑い合った。

「問題はアッシュがヴェロニカを受け入れられるかどうかだな」

　ラシェッドはアードラーの疑問に、逆だろう、と指摘する事はなかった。その意味する所はよく分かっている。

「男と女の問題だ。ある程度は流れに任せるしかあるまい。私から無理強いするつもりはない」

「男と女、ね」

　アードラーは口元を歪めた。それは楽しんでいる様であり、酷薄さも含んだ笑いであった。

「ヴェロニカには私からそれとなく話しておく。アードラー、君はアッシュを軽く煽ておいてくれ」

「了解だ。それにしても若、アンタって人は本当……」

「なんだろうか」

「かなり楽しんでるな――」

　ラシェッドは何も答えなかったが、その顔を見れば、肯定しているも同然であった。

　砦の攻略の為、アッシュが城へ呼び戻されたのは、それから一週間後の事であった。