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第20話 生まれる疑惑

 村を占拠してから数日。今の所、平和であった。

 ゴブリンやオークらがいきなり村を襲うという事はない。何せその当人らが村を守っているのだ。

 ゴブリン達は夜目が利く為、夜間の見張りは人間の兵士よりも得意であった。夜になると畑を荒そうと野生動物がやって来るが、ゴブリン達は喜んで袋叩きにし、翌日の食事に肉が並ぶ。


 ブリンなどは、


「こちらから探しにいかなくても楽に狩りが出来る」


 などと笑っていた。


 見回りという名の散歩をしていると、村人達から憎悪の視線を向けられる事もあるが、アッシュは仮面を付ける事で、これは“氷魔帝グラシアール”という男に向けられたものだ、と他人事のように思う事が出来た。

 無責任ではあるが、この世の悪意を全て受け止めて生きていける程に強くはない。そんな義務もない。このままわりと上手く統治出来そうだ。

 少しずつ気が楽になり、詰め所内で仮面を外して読書に勤しんでいると、ゴリンが酷く暗い顔で声をかけてきた。


「旦那……ちょいとよろしいですかい?」

「どうした」


 これは絶対に良くない話だと直感したが、耳を塞ぐわけにもいかなかった。わざわざ知らせに来てくれたのだ、不機嫌な顔をするべきでもない。

 平静を装いながら、話してくれと頷いた。


「脱走者が出ました」

「……逃がしたのか?」

「いえ、ひっ捕らえて囲んでいます」


 いっその事、逃げ切ってくれれば面倒がなかったものを。そんな安易な方向に考えてしまう己を叱りつけ、仮面を着けて立ち上がった。


「行こう、案内してくれ」

「へい」


 アッシュはゴリンの背を追いながら穏便な解決法を模索するが、考えるだけ無駄だと思い知らされただけであった。村人達は魔族に支配された身。奴隷であり、ラシェッドの私物だ。勝手に逃げ出して許される道理はない。

 彼らが望んだ地位ではない。奴隷の身に落としたのは、他ならぬアッシュ自身だ。同情さえも偽善である。

 補修された門から少し離れた森の入り口に、三人のゴブリンが集まっていた。その中央に倒れる一人の男。


 ゴブリン達は棍棒を握り締め、男が立ち上がればすぐに殴りる体勢を取っていた。ゴブリン達のニヤニヤした笑い顔からすると、立ち上がる事を期待している様ですらあった。

 アッシュとゴリンの姿が見えると、ゴブリン達は一斉に顔を向けて軽く頭を下げた。


「脱走と聞いたが、その時の状況を教えてくれるかな」


 ゴブリン達に聞くと、先に男が叫んだ。


「逃げてなどいない! 森に薪を拾いに行っただけだ!」


 見ると、確かに側には壊れた籠の様なものがあった。


「成程、それをゴブリン隊の誰かに断ったかい?」

「許可は取った!」

「そいつの名は?」

「ゴ、ゴブリンの名前なんか知る訳ないだろう、見分けだってつかない!」


 この発言にゴブリン達は怒りを露にするが、アッシュは内心で、


(まぁそうだよな……)


 と、納得してしまっていた。口には出さないが。


「君達は許可を出したのか?」

「いえ、初耳でございやす」


 男は許可を取ったと言い、ゴブリン達は知らないと言う。どうしたものかと考えていると、ゴリンが男の懐を探り出し、「あった」と呟いて薄汚い小袋を取り出した。


「旦那、コイツは財布の様です」

「ああ……」


 やってしまったな、とアッシュは哀れみの目を男に向けた。

 薪拾いに行くだけなら財布は必要ない。寧ろ銅貨だらけの袋は邪魔であり重い。これは王都や砦に助けを求めに行く、その金であろう。


「違う! 知らない、そんなものは知らない!」


 男は弁解を続けるが、アッシュに彼を庇かばえる材料は一つもなかった。


「君には三つの罪がある。脱走しようとした事、その罪をゴブリン達に着せようとした事、そして罪が明らかになっても尚、それを認めず騒ぎ続けている事だ」

「貴方だって人間だろ!? ゴブリンなんかの言う事を信じるのかよ。コイツらが忘れたか、すっ惚けているに決まっている……!」

「そうやって相手を見下しているからこその結果だろう」


 アッシュは二本の指を揃えて、サッと振り下ろした。

 氷が男の足首を切り裂き鮮血が吹き上げる。右足の腱を切られた男は、苦痛に絶叫し、悶絶する程にに血が撒き散った。


「村長の家に放り込んで治療させておけ」

「……へい」


 ゴブリン達の返事は不満そうであった。これで人間の肉が食える、と期待していたのだろう。


「彼らは大事な労働力だ。腱を切って逃げられない様にした、それで十分だろう。何か意見があるなら聞くが」

「いえ、ございません……」


 次は自分の番かもしれない、その恐怖がゴブリン達の口を噤ませた。

 よろしい、とだけ言って、アッシュはマントを靡かせながら詰め所に戻った。恨めしげな視線がいくつも背中に突き刺さっている事は理解していたが、振り返るつもりはなかった。


 詰め所に戻り椅子に腰を下ろすと、深い溜息が出てきた。仮面を外し、苛立ち混じりにテーブルに叩きつける。それがラシェッドとヴェロニカに貰った物だと思い出して、更に後悔と自己嫌悪が沸いてきた。盗賊などの悪党ではない。守るべき者であった民に手をかけてしまった。

 人類の英雄として戦ってきた己の人生を、自らの手で破壊した。魔族の一員となった今ではそれでいいのだろうが、すぐに受け入れられるものでもない。


 逃げ出そうとした男の気持ちも分からぬではない。

 魔物から襲われる心配がないとはいえ、生活が苦しい事に変わりはないし、その上ゴブリン達の食事の世話までしなければならないのだ。

 王都へ税を納めに行くのは重労働であっただろうが、同時に人の繋がりを保つものでもあった。今は他の人間社会と切り離されている。不満と不安は時間と共に募っていくだろう。


 また、アッシュは逆らわない限り、村人達を守るつもりであるが、彼らがそれを信用するかは別問題である。

 魔物を率いて襲いかかり、兵を皆殺しにした男に、これからは僕が守ってあげようなどと言われて信用する奴がいるだろうか。


(それはそれで、いたらヤバい奴だよな)


 これから先、アッシュがどれだけ努力しようが、人々から愛される事はない。


 ふと、悪趣味な想像が浮かんだ。


 つい先ほど足を切った男だが、本当に嘘をついていたのだろうか。あの財布もゴリンが突っ込んで、そのまま引き出したとも考えられる。


(あり得ない。本当にそうだろうか?)


 動機は幾つか考えられる。アッシュの甘いやり方を正す為、もしくは誰でもいいから罪人に仕立て上げ、人肉を食らいたかったのか。もっとも、それはアッシュに阻止されたが。


「旦那、あの馬鹿は放り込んでおきやした」


 いつの間に詰め所へ戻ってきたのか、当のゴリンに声を掛けられ、アッシュは驚きで体が跳ねた。


「なんですかい、その反応は」

「うん……」


 いつまでも悶々と悩んでいても仕方がない。アッシュは思い切って聞く事にした。


「ゴリン、あの財布を突っ込んだのは君ではなかろうな」

「何の話で?」


 本当に何がなんだか分からないといった顔をしている。これは外したかな、と思いつつ、アッシュは罪を仕立てる為の策略だったのではないかと説明をした。


「へえ」


 と、ゴリンは曖昧な顔をしていた。


「成程、そういう考え方もできますか。残念ながらというのも可笑しな話ですが、俺じゃあありませんぜ。そんな事が出来る策略家なら、もうちょい出世している筈ですからねぇ」

「そうか。いや、変な事を聞いて悪かったな」

「そういう訳で、旦那はもっと偉くなって、俺達を引き上げてくだせぇ」

「近々、砦を攻略するという話がある。そこで活躍すれば立場も変わってくるだろう」

「活躍できますよ。旦那なら、絶対に!」


 笑いながらゴリンは鍋からスープを装い、遅い朝食を始めた。


 疑惑が晴れて安心した所で、アッシュは読書でもするかと本を開くが、文字が頭に入ってこない。何故だろうかと考え、己の中にまだ疑念が残っている事を自覚した。

 関与が否定されたのはゴリンだけであり、他のゴブリン達の事はまだ分からない。彼らはゴリンと違い、アッシュへの忠誠心がない。


(疑い出したら埒が明かないな……)


 結局、この日はずっと目を開けたまま、ベッドで横になっていた。

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