アッシュはゴブリン三十名を、氷で砕け散った門の前に集めた。
二十名を城に戻し、十名を村の防衛に宛がうと伝えて希望者を募ったところ、残る事を希望したのは、ゴリンとブリンを合わせて七名しかいなかった。
(え?)
ブリンの話では、ゴブリン達は優しい上官を求めているらしいので、希望者が殺到するのではないか、ひょっとすると三十名全員が残る、と言い出すのではないかと心配していたのだが、何とも微妙な結果となってしまった。
後で聞いた所によると、魔族にとって強さこそが最大の評価基準であるとは言え、やはり“人間の下に付く”事にまだ抵抗がある者は多い様だ。また、人間を好きに食い散らかす事が出来ない事にも不満を覚えていた。
アッシュ自身は仲間に優しくしようと考えていたが、村での戦いぶりを見る限り、狂暴な魔術師としか思われていない。
因みに、正式な部下二人を除く五名のゴブリンが残留を申し出た理由は「帰るのが面倒」だとか「ここに居れば飯に困る事はないだろう」といった理由であり、アッシュの人間性とは全く関係のない事であった。
こうしてアッシュの、自分には人望があるのではなかろうか、という微かな自信と自惚れはあっけなく散ったのだった。
「どうしやすかぃ、旦那。三人ばかし首輪でも繋いでおきますか」
ゴリンが遠慮がちに聞いた。
「いや、七名いれば上等さ。十名という数に大した根拠があった訳でもないからね。何となくこんなもんだろう、くらいで」
「言う事を聞いてくれないから妥協するってんじゃあ、舐められますぜ」
主には常に堂々としていて欲しい、と願うゴリンが不満げな視線を向けた。いつの間にか側に来ていたブリンも同意して頷く。主への評価が自分達の立場を決めるのだ。
「僕を舐めた奴がどうなるかは、最初に見せつけたつもりだけど」
「それはまぁそうですが……」
ゴリンはつい二時間ほど前の戦いを思い出し、ブルブルと震えた。強固な門も、屈強な兵士も粉々に砕け散った。それはゴブリンの様な下級兵達には、理解不能な未知の領域の戦いであった。いや、戦いですらない蹂躙である。
アッシュと距離を取ろうとする者はいても、面と向かって対立しようと考えるゴブリンはこの場に居ない。
「村人達が逃げ出さない様に見張る事と、畑を荒らす野生動物の退治。七名では足りないかな? 無論、僕も手伝うつもりだが」
「この程度の村であれば十分かと」
「分かった、では僕を含めた八名で回していこう。まずはここで結果を出す事が重要だ」
「へい!」
ゴリンとブリンが腰を落として頭を垂れ、残留を決めた五名が形ばかり真似て見せた。
兵士の詰め所をそのままゴブリン達の宿舎として使う事にしよう。
三段ベッドが四つ。どれも高さがなくて、体を横にしなければ入れないような代物だが、ゴブリン達はまともな寝床があるというだけで喜んでいた。
そういうものなのかとゴリンに聞くと、
「俺達は基本的に城の石畳か洞窟に寝転ぶだけですからねぇ。藁や枯れ草を敷いていれば上等な方で」
との事であった。
「ベッドで寝られると教えておきゃあ、全員残ると言い出していたかもしれませんね」
「それはそれでベッドが足りなくなるな。それに村で食事を用意させるにも、三十名分は厳しい。結局は僕の管理能力が問われ、空中分解なんて事になり兼ねないから、これで良かったんだろうね」
ゴリンは無言で首肯した。アッシュの言わんとする所は理解出来なくもない、彼には出世しようとか派閥を広げようといった野心が乏しいように思えた。彼に従うゴブリン達の地位向上や威厳にも支障が出るし、あれだけの力を持っていながら、こんな所で埋もれるも勿体ない。
「とりあえず布団を洗濯しようか」
そう言ってアッシュは辺りを見回し籠を探した。
布団と呼べる程の厚さはない、ただの布である。勇者パーティとして旅をしていた頃から、野宿もしたし安い宿にも泊まった。アッシュは特別、潔癖症という訳でもないが、やはり他人の汗やら何やらが染み込んでいるであろう布団を使うには、抵抗がある。洗う機会があるのであれば洗いたい。
自ら動こうとするアッシュに、ゴリンは呆れ気味に言った。
「旦那、それこそ人間共にやらせればいいのでは……?」
「……そういうものか。いや、でも自分で使うものだしなぁ」
いまいち理解出来ないといった顔をするアッシュ。
「ひょっとして旦那は、他人を使う事に慣れていらっしゃらないので?」
「そういうのからは意図的に外されていた様な気がする」
勇者族、として名誉の家系だと煽てられていたが、それが権力や財力に繋がっていた訳ではない。他の一般的な家庭に比べて、ほんの少し裕福といった程度だ。
人を動かす立場に置けばそこに繋がりが生まれ、人望が集まる。人望が流れる事を恐れて、王族は勇者族を名誉ある個人に留めたのだろう。
(すると勇者族を不信の目で見ていたのは当代だけでなく、それこそ何百年も前から……という事になるよな)
世界を救う英雄と信じていたのは自分達だけであって、実は都合の良い奴隷。先祖達はそれを知っていたのだろうか。あるいは知っていながら人類の為、世界平和の為にとその地位に甘んじていたのだろうか。
土を踏み固めた床が酷く不安定に思えてきた。自分が立っているのか寝ているのか、それすら定かではない。
「……旦那、アッシュの旦那ッ!」
遠くで呼ぶ声がする。ゴリンに何度か呼び掛けられて、ようやくアッシュは我に返った。
「お疲れのご様子ですなぁ。少し休んで下せぇ。後の事はやっておきますんで」
「そうか、じゃあ後は任せるよ。ゴリン、君がリーダーだ。何かあったら僕の名前を使っていい。僕がお仕置きするとなったら、逆らう奴もそうそういないだろう」
「へい、ありがとうございやす!」
ゴリンは張り切って飛び出して行った。
アッシュはシーツを剥がした板張りのベッドに身を滑り込ませる。
(アーサー、ロイ、ミリアナ。君達はまだあの男の道具として使われているのか……?)
捨てたのか捨てられたのかも分からぬ、かつての仲間達の事が頭に過った。とても眠れそうにないと考えていたが、腕枕で目を閉じていると、直ぐにアッシュの意識は油の様にベタついた闇の中へと落ちていった。