村に人の姿は見えないが、四方八方から突き刺刺さる様な視線を感じる。村人達は皆、家に閉じこもり窓から覗いているのだろう。
注目しているのであれば寧ろ都合が良いか、とアッシュはその場で声を響かせた。
「聞け! この村は今日から、ラシェッド軍が支配する! 村の責任者は前に出ろ!」
答えはないが、一斉に身動ぎする様な気配はしっかりと感じた。その場から歩いたアッシュは、手近な家の壁に触れる。
「答えたくないのであればそれでいい。気が変わるまで家を一つずつ凍らせていこう」
ひんやりと、鳥肌の立つ冷気を家の中へと流し込むと、中から中年の男が慌てた様子で窓から顔を出した。
「む、向こう……! 向こうの家にいます……!」
と指差すが、流石に一軒一軒家を把握している訳ではない為、向こうという言葉だけでは分からない。
「埒が明かないな。君、村長の家に案内してくれ」
「い、いや、それは……」
男は泣き出しそうな表情になると、誰か代わってくれないかと言わんばかりに周囲を見渡すが、そこで名乗り出る様な勇敢で、異常な人間がいる筈もなかった。
「どうした、自分の足で歩くのは嫌なのか。ならゴブリン達に引きずってもらうという手段もあるが?」
村の中央へ目をやると、そこでゴブリン達が兵士の死体を愉快そうに引きちぎって、そのまま人肉を生で食らっていた。兵士の皮鎧を脱がせては、思い思いにサイズの合わないブカブカな鎧を来たり、兵士の剣や弓を振り回して遊んでいた。
ゴブリン達には人間の様に武具を生産する様な技術も文化も知識もない。こうして人間から奪う、それが唯一の戦力強化の手段であり、名誉でもあった。
男の顔は、その場で倒れてしまうのではないかと心配してしまうくらい真っ青になった。流石のアッシュも人肉パーティーを目の当たりにして気分が悪くなったが、仮面のお陰で顔色を晒す事もなく、何とか事なきを得た。
「す、すぐに参りますので……」
決死に絞り出した蚊の鳴く様な声で、男が答える。何か話しているのか、女の声と子供の泣き声が聞こえた。
(家族……か)
アッシュは何とも言えない気分になった。自分の家族の復讐の為とはいえ、代わりに多くの家族を不幸にしている。矛盾と罪悪感で、胸の奥がキリキリと痛み出した。
せめて彼らの生命と財産くらいは守らねば。勝手な言い草ではあるが、開き直って虐待するよりは幾らかマシだろう。
「ゴリン!」
顔見知りのゴブリンを呼ぶと、彼は食事を中断して駆け寄ってきた。
「へい、どうしたい旦那」
「……ん? 何その呼び方」
ラシェッド城にいた時は、俺、お前、と対等かつ適当に話していたものだ。突然のゴリンの態度の変化に戸惑っていると、彼はキョロキョロと辺りに誰もいない事を確認してから、声を潜めて言った。
「従者がよ、ご主人に向かって、おいアッシュ!って呼んでるんじゃ示しが付かないだろう。他の奴らも調子に乗って真似して、お前が舐められるぞ」
「成程。そうか、確かにそれもそうだな。ありがとう、世話をかけたな」
「折角これから力の差を見せつけたところなんだからよ、ここでビシッと上下関係を構築しておきな。これを怠ると、そのうち命令違反とかが起きてそいつを粛清する羽目になって、全員が不幸になるぞ」
「分かった、気を付けよう」
ゴリンはニヤリと不敵に笑ってから一歩下がり、真っ直ぐにに背筋を伸ばした。少々芝居がかった茶番に思わず笑いそうになってしまったが、これも自分の為にやってくれているのだと考え、アッシュも相応の態度で応じる事にした。
「では旦那、なんなりとお申し付けを!」
「うむ、ゴブリン隊で村を囲み、誰も逃げ出せない様にせよ。兵士の死体はどうしようが構わぬが、村人は絶対に殺すな」
「手足を叩き折るくらいはいかがでしょう? 流石に脱走者を無傷という訳には……」
「逃げた場合のみ許可する。それぐらいは仕方あるまい。行け」
さっと手を振り、視線でゴリンに問う。こんな感じいいのか、と。
それに対しゴリンも笑って頷いた。そうそう、そんな感じだと。
ゴリンが立ち去ったのを見計らった様に、村人が出て来る。
「お待たせしました……」
「案内を頼む」
まるで処刑台に上がるかの様な、重い足取りで男は歩く。その後ろにアッシュが、更にその後ろにはいつの間にか、アードラーが付いて来ていた。
当初、この襲撃にアードラーが参加する予定はなかったが、森の中を進行している最中に急に飛んできて、勝手に参加したのだ。
「お目付け役って訳かい?」
「いやいや、単に暇だっただけさ」
アッシュも当然これを鵜呑みにした訳ではないが、ラシェッド軍の幹部が着いてくるというのを拒む事は出来ないし、ラシェッドへの報告を正確にやってくれるのであれば、寧ろこちらとしても都合が良かった。
村長の家といっても、他と大きさはあまり変わらない。ここです、と言ってドアを開けると男はそそくさと逃げ帰ってしまった。
「それにしても無愛想な奴だな。ちょっと行って土下座でもさせてくるか?」
「やめなよ、彼の気持ちも分かる。僕達は村に来た侵略者だから」
アードラーはつまらなさそうにフンと鼻息を吹き出すが、それ以上特に文句は言わなかった。