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第15話 そこにいた証

 ジョンは焦る心を抑えながら、遠眼鏡の中のゴブリンを数えた。


 おおよそ三十体弱。これならば防壁の内側から矢を射かけて、数が減ったところで接近戦を挑めばなんとかなるだろう。その程度の規模であった。不幸中の幸い。兵士一人が順調に、ゴブリンを二体から三体倒せば済む話だ。ここにいる訓練された兵士達なら、多少数が多くとも、ゴブリン相手にそれくらいは余裕で出来る。


 しかし問題は他にあった。


 そこまで考えたと同時、遠眼鏡をルーカスに取られてしまった。


「なんだ、アイツら……?」


 ゴブリン達の先頭を歩く、漆黒のマントを身に包んだ、白く不気味な仮面を付けた男。更にその隣には、鳥の頭をした長身の魔族の姿があった。

 鳥人の肩には、皮の鎧を纏った男が担がれている。顔は見えないが、動く素振りが全くなく、担がれるままに項垂れている。様々な憶測が過ったが、薪拾いに出たまま帰ってこなかったダニルだろうと悟った瞬間、スッと腑に落ちる感覚を覚えた。


 咄嗟に動き出した兵士達が、それぞれ短弓を手に詰め所から飛び出し、壁際の足場に登った。魔物達は様子を伺おうとしているのか、門から十数メートル前のあたりで立ち止まった。


「お前らの友達が、森で迷子になっていたぞ! ほら、返してやるよ」


 鳥人の魔族が、人間一人の死体を軽々と放り投げると、壁を越えてドサっと鈍い音を響かせながら落ちた。そしてそれは間違いなく、恐怖に顔を歪めたダニルであった。

 兵士達に動揺が走るがそれも一瞬だけの事であり、彼らの動揺はすぐに闘争心で上書きされた。望んで最前線に出て、村を守り続けてきた男達だ、この程度で怖じ気づく様な事はない。


 仮面の男が静かに、数歩前へ進み出た。


「責任者を出してくれ。今日からこの村は、我々が支配する」


 仮面の男は淡々と言い放った。


「ふざけるな。いきなりそんな事言われてはい、とはならねぇだろ!」


 ルーカスが手を振り下ろすと、兵達は一斉に弓を引き絞り、躊躇なく矢を放った。鋭く風切り音を鳴らしながら飛ぶ矢であったが、それらは全て仮面の男を捉える数メートル前で失速。その場に力なく落ちてしまった。

 地に転がった矢をよく見ると、全ての矢尻が凍りついてしまっていた。高速で飛来する矢を一瞬で凍らせるとは、どれだけ魔術の技量があれば出来る芸当なのか、想像もつかなかった。


 信じられない。思考停止してしまいそうになるのを、ジョンは強引に頭を振ってなんとか耐えた。今この瞬間、考える事を止めてしまえば、その先に待ち受けるのは死のみだ。

 仮面の男が徐に右手を前に突き出した。静かに開いた手をギュっと握る。すると刹那、両開きの頑丈な門が、一瞬で全て凍りついた。


「ば、馬鹿な……ッ」


 兵士達は誰もが信じられないといった表情でその場に固まっていた。


 鳥人が凍った門に素早く近付き、


「誰かいますか~?」


 などと言ってノックすると、ピキピキと氷がひび割れる様な音が響き、直後門は粉々に砕け散った。衝撃で散った氷の破片が、光を反射。宝石の如き輝きを放ちながら落ちる破片達の光景は誠に幻想的であり、目の前の全てがまるで夢なのではないか、と見ている者達全員に思わせてしまう程に美しかった。


「返事がねぇな。じゃあお邪魔しますって事で」

「ゴブリン隊、突撃――」


 鳥人が鼻で笑いながら言うと、仮面の男が右手を振り下ろして合図を送る。反応した小鬼達が、斧や棍棒を手にして村へと雪崩れ込んできた。普段ならば訓練された兵士は、ゴブリン如きに遅れを取る事はない。

 しかし、今は完全に気勢を削がれてしまっていた。原始的な武器を持った集団に一気に押し包まれ、勢いのまま一人、また一人と殴り殺されてしまった。


 ルーカスは見張り台から飛び降り、森に向けて走った。砦に援軍を求めるつもりなのか、あるいは逃げ出そうとしたのかは分からないが、その目的が叶う事はなかった。

 ルーカスの喉から突き出す銀の刃。それが抜かれると同時、噴水の様に真っ赤な血飛沫が撒き散らされ、その場に倒れた。彼の背後には、満足そうにレイピアを構える鳥人の姿があった。


 これからどうすればいい。見つからぬ様に見張り台で身を屈めたジョンは、仮面の男の周囲がガラ空きである事には気が付いた。ゴブリン達は全て村の中で暴れており、鳥人は呑気に一人身で動いている。指揮官らしき男にも護衛は付いていない。


(奴さえ倒せれば、撤退してくれるか……?)


 ジョンは剣を抜き、鞘をその場に置いて見張り台から勢いよく飛び降りた。真上という死角。頭上から仮面の男に斬りかかる為だ。

 気合いを入れる為に大声で叫びたかったが、それでは意味がない。気力で抑えた。声を出しては奇襲にならない。恐怖を呑み込んだ決死の一撃。

 だがその正義の刃は敵に触れる事はなく、ジョンの体は空中で急停止した。


(なん……だ……)


 言葉の代わりに吐き出されたのは、大量のどす黒い血液。地面から斜に突き出された氷の槍が、ジョンの腹を真っ直ぐ貫いていた。

 不意に顔を上げた仮面の男と目が合った。その瞳、その背丈と髪型にも見覚えがある。いや、それ以前に何より、ここまで“氷の魔法”を自在に扱える者など、一人しか知らない。


「アッ……シュ、どうし……て……」


 仮面の男は答えない。貫かれたジョンの腹から、凍結が徐々に拡がっていく。


「俺は……お前の事が、本当に気に入って……いたよ。人として好きだった……魔物を減らしてくれた事……も本当に感謝していて……」

「その割りには、随分と扱いが酷かったな」


 ジョンの言葉を遮った声は、確かにアッシュのものであったが、それは聞いた事のない冷酷な声でもあった。


「働きに十分報いる事が出来なかったのは……本当に済まないと思う。でも仕方がないじゃないか……この村では生きていくだけで……精一杯で、報酬を払う余裕なんて、無かったんだ……」


 末端の手足が凍り、首からピキピキと頭頂部へと進む氷。ジョンは沈黙し、最後には恐怖に引きつった一体の氷像が出来上がった。


「こうなったのもきっと……仕方がない、ってやつなんだろう――」


 氷の如く冷たく呟き、仮面の男は村へと歩いて行った。

 残された氷像にはヒビが入り、粉々に砕ける。砕けた氷の残骸は、やがて塵の様に消滅していってしまった。


 髪の毛一本、爪一枚。


 ジョンがそこに生きていたという証は、何一つ残らず消え去った。

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