村人達の朝は早く、夜明けと共に起き出した。

　対して、村に駐屯する兵士の一人であるジョンは昼前になりようやく起き出した。別に彼が特別怠け者という訳ではない。夜通し見張りを行っていたからだ。

　人の目は闇を見通す事が出来ず、魔物は夜に目が効く者が多い。魔物が集団で襲ってくる可能性が最も高いのが夜だ。

「よう、早起きだな」

「ああ、俺は真面目で良い子だからな」

　仲間と笑い合い、ジョンは火にかけっぱなしの鍋から、具が煮崩れたトロトロのスープをよそい、朝か昼かも分からぬ食事を始めた。さほど広くもない詰め所内を見回すと、彼を含めて九人しかいない。

「あれ、ダニルはどうした？」

　一番近くにいたルーカスが苦笑いを浮かべた。

「薪拾いに行っているよ。下半身の薪を振り回しているんじゃなければいいけどな」

　夜間の見張りの為には大量の薪が必要であり、これを集めるのは兵士達の役目となっていた。外に出る役目を利用して、サボって村娘とお楽しみ、というのもよくある話であった。

　夜は魔物が活発化するというのを、昼は安全だというように都合よく解釈してはいないだろうか。風紀と習慣の緩みに文句を言いたくなったが、ジョンは言葉を飲み込んだ。　

　みんなストレスが溜まっている。ここで正論を唱えれば、仲間外れにされかねない。

「まあ、ダニルの奴なら大丈夫だろう」

　酸っぱくなったスープを飲み干して、ジョンは呟いた。

「あいつが真面目だからか？」

「いや、モテないからだよ」

　ルーカスは腹を抱えて笑い出しジョンも釣られて笑う。だが、すぐにその顔に怪訝な影が生まれた。

「なあルーカス、あの噂は知っているか？　アッシュとその家族が処刑されたって話……」

「ああ、魔王軍と通じていたって話だろう？」

「でも可笑しくないか？　本当に内通していたなら、どうしてこの村で魔物退治なんかしてくれたんだ」

「さぁな、目先の金貨に欲が眩んだけだろ。当てが外れてさっさと行っちまったけどな」

　吐き捨てる様に言ったルーカスを、ジョンは信じられないといった目で見ていた。周辺に住む凶悪な魔物を、半分以上減らしてくれたのだ。それがどれだけ有り難い事か、彼にも分からない筈がない。

　だが、ルーカスの思いは少し違うようだ。

「中途半端に魔物を残していきやがって。危険な奴を全滅させてくれりゃあ、俺達が苦労する事もなかったんだ。英雄様なんだからよ、それくらい朝飯前で出来ただろうに」

　一人で魔物と戦い、傷つき疲労したアッシュの姿を皆も見ていたのではなかったのか。彼が帰還する度に、涙も流さんばかりに喜んでいなかったか。村を立ち去る英雄に冷たい視線を刺し、内通者であったという噂を聞くだけで、口汚く罵倒する。

　分からない。ルーカスの言っている事が、ただただ理解出来なかった。だが周囲を見渡すと、他の兵士達もルーカスの言い分に頷き同調していた。

　ジョンはアッシュの弁護をしてやりたかった。アイツはそんな奴じゃない、と叫んでやりたかった。しかし、この雰囲気でそんな事を言えば、明らかに浮く。村を守る為に、兵士達は一丸となって戦うのが何よりの使命。

　せめてもの抵抗として、無言を貫きアッシュを貶める事はしなかった。何の役にも立っていないが、それしか出来ることはなかった。

「……見回りに行ってくる」

　そう言って、詰め所を出るジョンの背後から、怪訝な視線が突き刺さった。次の排除対象が決まったのか。ジョンは振り返る事が出来ず、自然と早足になる。

　村の周りは丸太と木の板で作られた壁に囲われている。囲える範囲には限界がある為、基本的な住居や人だけを内に入れて、畑などは壁の外に出さざるを得なかった。

　簡易的ながら見張り台なども作り、ジョンはそこに上がって周囲を見渡していた。村人達が畑仕事をしている。畑が壁の外にある為、野生動物にある程度荒らされる事はもう仕方のない事であると、割りきらねばならない。

　兵士達はストレスが溜まり、村人達は実りの少ない土地に縛られている。いつまでこんな生活が続くのか、先が見えない時こそ、虚無感を感じる事はない。

　勇者一行が魔族の幹部を倒し、戦力を削いでから防壁を徐々に広げていくのが人類側の基本的な戦略である。アッシュ達が魔人ラシェッドを倒していれば、村の先に新たな砦が築かれ安全地帯となり、ジョン達も大手を振って王都へ戻る事が出来た筈だった。

　魔人ラシェッドを一度で倒せなかったのは仕方がない、理解は出来る。死と復活を繰り返しながら、戦い続けるのが彼らの使命だ。しかしアッシュが処刑され、勇者一行の動きが止まってしまった。

　いつかは安全地帯になる。その希望があったからこそ、危険で貧しい暮らしにも耐えてこられた。しかし、そのいつか、という希望が途絶えた今、何を頼りに生きていけばよいのだろうか。

　誰も言葉にはしないが、仲間達はこの村を捨てる事も視野に入れているだろう。一度は守ってみせると言いながらも、状況が変われば捨てて逃げざるを得ない。なんと情けない事だろうか。では他に方法があるのか、それもない。

　独りになりたかったから見張り台に上がったのだが、そこでも気分は鬱々としたまま、一向に晴れる事はなかった。気分の悪さに反して、空はどこまでも青く美しく、太陽までが自分を馬鹿にしているのではないか、とそんな事を考えてしまう程だ。

　無意識にぼんやりと森を眺めていると、直後、鳥が一斉に飛び立つのが見えた。兵士界隈において、これは集団が潜む証だと伝えられていた。ジョンは急いで梯子を降り、詰め所に駆け込んだ。

「おい、遠眼鏡を貸してくれ！」

　怪訝な顔を向ける兵士達を尻目に、遠眼鏡を奪う様に持ち出して再び見張り台に上がった。

「どうしたんだよ急に。何かあったのか？」

　ルーカスが梯子を昇り、顔だけを出して聞くが、今のジョンには気軽に答える余裕すらなかった。

　木々の揺れを追い、レンズ越しに森の出口を凝視していると、そこに武装したゴブリンが続々と姿を現した。

「て、敵襲だ、ゴブリンの群れが来た！」

　カァンカァンと、非常事態を意味する鐘を激しく打ち鳴らす。畑に出ていた村人達は瞬く間に恐怖と困惑の表情を浮かべる。中には少し迷惑そうな表情を浮かべる者もいたが、皆急いで壁の中へと避難し重い扉を閉じた。

　ゴブリンの群れの先頭。

　そこには、漆黒のマントに身を包み、雪の如く真っ白な仮面を付けた男が歩いていた。