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第13話 決意の一歩

 アッシュがラシェッド軍に加わってから一ヶ月程経った。まだまだ慣れないことばかりで不安もあるが、廊下で挨拶する程度の相手は何人か出来た。そんな時期である。

 ラシェッドの呼び出しに応じて私室へ赴くと、同志としての柔和な笑顔ではなく、厳しい城主としての顔で出迎えられた。

 ついに来たか、とアッシュは緊張して城主の言葉を待った。


「アッシュ、村を一つ潰してこい――」

「畏まりました」


 あまりにもあっさりと承諾したせいか、ラシェッドの方が肩透かしを食らった気分であった。こいつは本当に理解しているのか、と不安になったくらいである。


「命じておいてなんだが、同胞を殺す事に抵抗は無いのか?」


「国を荒らす盗賊や、人身売買を行う輩、質の悪い邪教者など、人間と敵対し殺した事も何度かありますので」

「敵対者ならば殺せる、か。ならば敵でなければ?」


 普通の民間人を殺せるのか、それで何とも思わないのか。アッシュは暫し言葉に詰まったが、感情を切り替えた。


「ご命令とあらば」


 明らかに無理をしている様子に、ラシェッドは一息ついて、背を椅子に預けた体勢を取った。


「成程、城主として君の覚悟は確かに受け取った。だがこれは友人として聞こう。本当に大丈夫か?」

「国王の首を取る時だけ呼んでください、とは当然いきません。僕もラシェッド軍の一員として、成すべき事をしたいと考えています」

「ふむ、それは結構な事だ」

「……ただ、都合の良い本心を申しますと、子供は殺したくありません」


 その言葉が何を意味するのか、ラシェッドは素早く過去の記憶を辿った。

 アッシュは内通を疑われ、彼の家族は国王に処刑された。その中には十歳にもならない妹が含まれていた。子供を殺したくないというのは、そうした事情も絡んでいるのだろう。

 ここで子供殺しを強要すれば、アッシュが国王を見限った様に、ラシェッドにも失望するかもしれない。


(馬鹿が反面教師になってくれたのだ、同じ轍を踏む事はあるまい……)


 ラシェッドが何と声をかけてやろうかと思案していると、先にアッシュが口を開いた。


「村を潰せとの命でしたが、村の者共を支配すべきか、一人残らず殲滅するべきか、いかが致しましょう?」

「ふむ……」


 支配するという発想そのものが無かった。多くの魔物にとって、人間の肉は美味なる好物である。襲って良しと許可する事自体が褒美となる。人間の村を支配下に置こうというアッシュの意見には、些か興味を引かれた。


「人間を飼って、どんなメリットがあるか聞かせてもらおうか。ああ、人間養殖所というのは無しだぞ。考えた事はあるが、産むにも育つにも効率が悪い。取れる肉量も少ないしな」


 世間話の様に語られ、少し引き気味のアッシュであったが、よくよく考えれば魔族にとって別種族をそう扱うのは、何ら不思議ではない。人間が牛や豚を飼うのと変わりないのだから。

 悪趣味だの残酷だのと非難する権利はない。アッシュは既に“こちら側”だ。それも自ら望んでの。


「“税”を取ります」

「人間の金貨になど興味は無いぞ」


 貨幣とは、国の信用があって初めて成立するものだ。それがなければただの貴金属に過ぎない。人間を買収してスパイに仕立て上げるのには使えるだろうが、用途はそのくらいである。


 分かっています、とアッシュは深く頷いた。


「農作物や食料を税として納めさせます。魔族の方々は畑を耕したりは……していませんよね?」

「していない訳ではないが、ごく一部だけだな。戦う為に生まれた種族は、食料を働いて集める事を軟弱と見る風潮がある」

「なればこそ、魔族は軟弱である人間を滅ぼしきれぬのです」


 新参者が魔族の方針に口出しをしてきた。余計なお世話であり、場合によっては罪である。アッシュも口が滑ったと自覚し、気まずそうな顔で黙ってしまった。ラシェッドも聞いた刹那は不快であったが、このまま流してしまうのも虫の居所が悪い。

嫌な話だから聞きたくない、というのは城主として許されぬ行為であり、愚劣な男と陰口を叩かれるのは、知性派の魔族というプライドを持つラシェッドには耐え難い事であった。


「……いいさ、続けてくれたまえ」

「食糧が少ないから大規模な計画が立てづらく、籠城されるとすぐに撤退を余儀なくされます。また、食糧がなくなれば同族で奪い合い、食い合います。敵を人間だけに絞りきれていないのです」


 お前ら内輪揉めばかりやっているから人間に勝てないんだよ、そう言われたも同然であった。悲しい事に、ラシェッドにも思い当たる事は多々ある。彼自身、多くの同胞を食って今の地位にあるのだ。


 魔族は当たり前に戦って奪う事を名誉としており、負けて命を落とすのであればそれはそれで仕方がない、という価値観を持っている。畑を耕していれば、戦いから逃げた臆病者というレッテルを張られるまで。

 ラシェッド城では厨房に関わる者が農耕をやっている程度で、幹部らの食事は賄えるが、下級兵達は普段から森に入って狩りをしたり木の実を食べていたりと、自給自足で生きるのが現状だ。


 ラシェッドもこのままではまずいと理解はしている。しかし、部下達に畑を耕せなどと命令すれば、一斉に離反しかねないのだ。まずは人間達に農耕をやらせて税を取り、食糧の安定供給の有用性を周知させてから、ゴブリンの様なそれなりの知能とそれなりの社会性を持つ種族に任せてもいいかもしれない。


「いいだろう。村をひとつ君に預けようじゃないか」

「ありがとうございます」

「ただし、駐屯している兵は皆殺しにしろ」

「……はい」



 アッシュは緊張した顔で頷いた。当然だろう、と納得とまではいかないが、理解はしていた。これはアッシュが戦力として使えるかどうかのテストであり、人間の敵にする事で、逃げ道を失くす為の処置だ。敵戦力の戦える者を残しておく意味もない。

 出発はいつか、どれだけ兵を付けるかを話し合い、アッシュが退室しようとすると、


「待て」


 と、ラシェッドは何かを思い出した様に呼び止めた。を鳴らすと、隣室で控えていたのか、ヴェロニカが音もたてずに入室した。

 どうぞ、と差し出されたのは漆黒のマントと、顔を覆い目だけが開いた、雪の如く真っ白な仮面であった。


「これは?」

「いきなり人間と殺し合うのも、思うところが色々とあるだろう。素性を隠していた方が何かとやりやすいのでは、と考えてね」


 ラシェッドの気遣いに、アッシュは胸の奥に熱さと痛みを覚えた。勇者パーティとして旅立つ日に、国王から渡された物は何だっただろうか。


(小銭と、ひのきの杖……だったか)


 思い出すと惨めになってきた。

 甘やかすと本人の為にならない、成長を促す為に敢えて心を鬼にしている、などともっともらしいことを言っていたが、警護の兵士よりもずっと劣る装備はどうなのだろう。装備が貧弱なせいで、命を落としたりした身としてはたまったものではない。

 国王は魔王討伐を任せたのではなく、責任を押し付けたのだ。自分達は華々しく送り出されたのではない、乞食のように追い払われたのだ。

 ラシェッドの優しさと、今までの惨めさに泣けてきそうで、涙を堪こらえるのが精一杯であった。


「因みに、そのマントはヴェロニカが縫ったのだよ」

「そうでしたか。ありがとうヴェロニカ、大事に使わせてもらうよ」


 マントと仮面を両手で持ったまま、ヴェロニカに頭を下げた。


「ご武運をお祈りしております」


 ヴェロニカも優雅に礼を返す。


 アッシュは踵を返し、背筋を伸ばして退室した。


 人と人とが殺し合う凄惨な戦いになるだろう。


 それでも、自ら望んだ戦いだ。

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