大浴場を出て、用意された新しい衣服を身に着けると、地下牢時代に見知ったメイドが迎えてくれた。

「ラシェッド様がお待ちです。こちらへ」

　相手が人間でも元囚人でも、変わらぬ態度のヴェロニカ。

　また会えて嬉しいよ、とでも洒落て言いたかったのだが、仲間も家族もプライドも全て失って転がり込んで来た身。良いと思える要素が皆無だ。

　結局「あ、どうも……」とよそよそしい態度のみ。恥ずかし情けない。

　女性と話す事が得意な方ではないが、そこを差し引いても酷い有り様。何か話題はないかと悩む内に、あれよと食堂へ辿り着いた。

　ヴェロニカが扉を開けると、白く眩い光が、薄暗い廊下に射し込まれた。

　豪華なシャンデリア。大理石の壁と床。中央に円卓が置かれ、その奥に城の主がどっしりと構えていた。

「お帰り、アッシュ。待っていたよ――」

　厳つい顔面に優しい笑み。久方の魔人、ラシェッドである。

（お帰り、か）

　アッシュの帰るべき本来の居場所はここなのだ、とそういう意味で言ったのだろう。こちらもそのつもりで来たのだから構わないが、王都に自分の居場所はもうないと思えば寂しさもある。

　そんな未練がましさも、いつか時間が解決してくれるのだろうか。

「どうも、あちこちで生き恥を晒しております」

　なんとも言えぬ感情を抱きながら頭を垂れるアッシュに、ラシェッドは着席する様に促した。ヴェロニカが引いてくれた、銀の装飾が美しい椅子に座ると、そこへいい匂いのする熱いスープが運ばれてきた。

　何故ここまで優遇してもらえるのか、とアッシュは今更ながら不気味に感じていたが、ラシェッド側からすれば当然とも言えた。

　この世で唯一魔王に対抗し得る存在、勇者族。人類側の英雄を引き抜けるかどうか、という状況である。このぐらいの接待は当然。不自然な事は何もない。

　アッシュはスープの皿を見つめたまま、手を付けようとしなかった。

「どうした、毒など入れていないぞ」

　ラシェッドの冗談には答えず、アッシュは意を決して顔を上げた。

「……食事の前に一つ、お聞きしたい事が」

「それは聞かなければ友人にはなれないかな？」

「はい。恐れながら、僕が解放された時、ラシェッド様は僕の家族が処刑されるという事をご存知でしたでしょうか――」

「ふむ……」

　ラシェッドは大きな人差し指でテーブルをトントン、と鳴らしながら暫し考え込む。

「“そう”じゃないだろう」

「え？」

「君が“本当”に聞きたいのは、お前が裏で糸を引いて家族を処刑させたんじゃあないか――という事ではないかね？」

「……はい。食事に招かれておきながら、非礼を重ねる行為と承知しております。しかし、これだけは何としてでもお聞きしなければなりません」

　ラシェッドの声は震え、表情は強張っていた。立場が悪くなってもいい、最悪殺されでも。この場で戦うならば受けて立つ。ゴリンと仲良くなったとか、ヴェロニカと再開出来て嬉しいとか、そうした浮かれ気分は全て吹き飛び、覚悟を持って魔人・ラシェッドを見据えていた。

　だが、アッシュの態度にラシェッドは、気分を害したりはしなかった。寧ろこうした信念を持った男は筋さえ通っていれば、最も頼もしい味方となる挙句、もう裏切りはしないものだ、と。

「私がアードラーから聞いたのは、国王が君達を疎ましく思っている、という事だけだ」

「そう、ですか……」

　疎ましいからこそ、あんな扱いをしたのだろう。今更といえば当然な話でもあるが、第三者の口から改めて語られると、それはそれでまたショックが大きい。

　国、民、国王の為に必死に戦ってきた。また、国王にしても勇者族がいなければ、魔族に対抗出来ないという事は理解していた筈。

「君は正面から見ると賢いが、後ろから見ると賢くない。欲求というものは、君が思っている以上に危険な一面を持っているんだ」

「それはつまり……どういう事でしょうか」

「ふむ、これは仮の話だが、君達勇者一行が我ら四天王全員を倒し、更に魔王様を討ち果たしたとしよう。すると君ら人間は平和といものを作り上げる」

　ラシェッドは世界を救うとは言わなかった。魔王を倒して確立されるのは、人間の為の平和な世界だ。人間に従う一部の魔物だけは生かしてもらえるかもしれないが、それを平等と呼ぶ程、アッシュは傲慢ではなかった。

「ここで問題だ、民衆が讃えるのは王か英雄か、どちらだと思うかね？」

「それは……英雄を讃えるのではないかと」

「そうだ。国王の名は記録に残り、英雄の名は民衆の記憶に残る。そしてその熱気は必然的に全て英雄達へと向けられる。するとどうだろう、国王としては心中穏やかではいられなくなる」

　まだアッシュはいまいちピンと来なかった。

「国王は不安になるのだよ。魔王を倒し平和を勝ち取ったのは英雄、ならば“自分は何をした”、とね。勿論君達英雄を正しい方向へ導いたとか、民の為にあらゆる事に尽力したなど、後付けの理由は幾つでも作れる。

しかし、問題は民の熱量が君達英雄に持っていかれてしまっている事だ。ここで少しでも自分の行いに負い目や劣等感を抱く様な小心者の国王は、こう思うだろう。

“用のない自分は引きずり下ろされるのではないか”とね――」

「ま、待って下さい、僕らにそんな野心はありませんよ」

「君の本心がどうかは関係のない事だ。重要なのは、国王に疑念があるか否かだ。他人の心を覗く手段などないのだから、疑い出せばキリがない」

　確かにアッシュにも疑わしい部分はあった。それでも必死に王都へ戻って来たではないか。それが真実だ、それだけでは駄目なのか。

　ラシェッドの言葉が正しければ、アッシュ達は以前から疎まれており、捕えられた事は都合の良い口実になるに過ぎなかったという事か。

「私が小心者の国王であればハッキリさせたいな。自分と君達英雄の立場や上下関係というものを。君達は王の命令によって魔王討伐に出たのであり、全ての名誉は王に帰するものであると。民衆の支持と賛美が王に向けられたならば、剥奪される事もあるまい、とな」

「そんな事の為に、僕や家族はこんな思いをさせられたのですか」

「“そんな事”と思うのもまた人それぞれだろう。実際、一連の騒動によって国王は英雄を罰する事が出来ると知らしめた。

残された君の仲間達は、仲間内から裏切り者を出した事で自らの立場を危うくし、暫くは肩身の狭い思いをして国王にも逆らえなくなるだろうね。全てが奴の思い通り、という感じか。君が脱走したこと以外は」

　己の可愛さの為、家族は犠牲にされた。

　ラシェッドの口から紡ぎ出された言葉のパズルは、この上なく一つ一つが正確にハマっていく。そうして完成された絵は、欲に塗れただけの醜い光景だった。

「さて、私への疑いは晴れたかな？」

　冗談っぽく言うラシェッドに、アッシュは深々と頭を下げた。

「無礼な質問にもかかわらず、丁寧なお答えを頂きありがとうございます」

「構わないさ。では、そろそろ食事を始めよう」

「田舎者故、マナーに粗相があればお許し下さい」

「なに、私もこの通りの図体だ。丁寧な動きは苦手でね。スープはこうして飲むに限るよ」

　ラシェッドは笑いながら皿を両手で持ち上げた。アッシュもそれに倣う。少しぬるくなったスープを一気に飲むには、確かにこれが一番楽であった。

　こうしてアッシュはラシェッド軍の一員として認められた――。

　国王が愚劣な人間である事は確かだが、だからと言い、ラシェッドの言葉が全て真実であるとは限らない。

（こいつは、人たらしだな……）

　甘い言葉、こちらが望んでいる言葉を的確に出してくる。それだけに、どこかで思考を誘導されているのではないかと、お警戒していた。

（ま、いいさ。それでもいい）

　所詮、人と人とが利用し合う世の倣いだ。ならば奴隷として利用されるよりも、自分の価値を評価して取り込む為の努力を惜しまない。そんな相手に利用されたいものだ。

　それに、動揺で指先が震えているのを誤魔化す言い訳に付き合ってくれる様な男だ。

　嫌いにはなれない。