アッシュは魔力封じの枷で拘束され、口には猿轡まで噛まされて玉座の間に引きずり出された。感情任せに拘束具を破壊しようとするも、魔法が上手く発動出来ず、ただアッシュの身の回りの温度がやや下がったくらいであった。
王の姿は無い。左右に兵士達が控え、その中にアーサー達の姿もあった。三人共、他人の如くアッシュと目を合わせようとしていない。
裏切り者。何のつもりだ。説明しろ。
そう叫んだつもりであったが、固く縛られた猿轡のせいで、言葉にならない唸り声だけが響いていた。それでも構わず叫び続けていると、徐に兵士が一人歩み出て、
「うるせぇな」
と言ってアッシュの脇腹に強い蹴りを入れた。足先が深々と腹にめり込み、思わず息が詰まる。拘束させされていなければこんな奴、一瞬で氷漬けにしてやれるのに。アッシュは殺意を込めて兵士を睨み付けるが、いつかの鉄格子の向こうから睨んだ時と同様、牙のない猛獣に怖さはまるでない。
「おー、怖い怖い。おっかないな~」
兵士はヘラヘラと笑いながら定位置に戻り、隣の同僚に話しかけてまた嘲笑っていた。その間、アーサー達は止めるどころか、彼を見ようともしていなかった。
たっぷり一時間以上は待たされてから、ようやく国王が姿を現した。顔を赤らめ、覚束ない足取り。かなり飲んでいるようだ。
国王が玉座に身を投げ出すと、兵士がアッシュの猿轡を雑に外した。
「氷の魔術師、アッシュ・デトワール。申し開きがあるならば聞こう」
国王の言葉に、アッシュ怒りが頂点に達する。まずは冷静に話をしようなどという考えは塵の如く吹き飛んでしまった。
「ふ、ふざけるなッ! 聞きたいのはこっちの方だ国王! 何故僕を捕らえる……! 何故僕の家族を殺したぁッ!? 答えろ!」
「貴様のせいだ」
「何……だと?」
アッシュと国王――いや、アッシュとそれ以外の者達との温度差が激しい。
「貴様の家族は、裏切り者の責任を取らされたのだ。全ての責は貴様にあるのだアッシュ。逆恨みをして怒りを撒き散らすな、見苦しい。勇者族とあらば、どんな時でも気高く誇り高き存在であれ」
「……は? その言葉、そっくりお前に返してやるよ」
「口を慎め! 国王様であろうぞ!」
国王の顔色がより一層赤くなるが、次の言葉を発する直前、前に進み出たアーサーがアッシュの顔面を蹴り飛ばした。
一瞬、アーサーと目が合った。とても悲しげな瞳をしていた。もう余計な事は喋るな、とでも言いたいのだろうか。最早誰が何を考えているのか、何がしたいのかも何も分からなかった。ただ誰かに脳をグチャグチャに混ぜられている、そんな感覚だ。
そんな中でアーサーだけは、以前のままの、仲間思いの強いリーダーであると信じたかった。
「……僕は、裏切ってなどいない。寧ろ何か月もの苦労を乗り越え、一人で歩いてここまで帰って来ました。使命にも忠誠にも、以前と変わりはありません。その結果が……その結果が僕の家族を殺すという、下劣な仕打ちですか!」
「仮に貴様が裏切っていないとしよう。だが、余に疑いを抱かせた事、それ事態が罪なのだ」
「なんだと……? 自分は微塵の危険も犯さず、命を下すだけ。そして自分の気分を害したとあらば、敵を無抵抗な状態にした上で、尚も安全な位置から力を振りかざす事しか出来ないか。情けない男め」
「ならば聞くが、何カ月もの苦労などせずとも、死ねばすぐに王都に戻る事が出来ただろう。何故それをしなかった」
恐ろしく気軽に言ってくれるものだ、アッシュは心の中で舌打ちした。
蘇生出来るとはいっても、死が恐ろしくない訳ではない。蘇生され時には死に応じた苦痛も待っているから。焼死したのであれば全身を焼かれる熱さと息苦しさ、首を斬られたのであれば首に相応の激痛が走る。生き返った瞬間に、死にたくなる様な苦痛と恐怖があるのだ。
こればかりは何度繰り返しても慣れる事はない。寧ろ死と組成に対する恐怖感は増す一方。それを気楽に「死ねばいい」などと言われるのは不快でしかない。
「自害した場合、神の祝福が適用されるか不明ですので」
歴代の勇者族達も、病死や老衰では蘇生する事は不可能。仮にそれが可能ならば、世界は不老不死の勇者族だらけで埋まってしまう。自害で復活出来るのかどうかは、やはり微妙な所であった。
歴代の勇者族でも試した話や記録が残っていないのがまた恐怖を煽る。もしもこの危険な賭けに敗れて本当の死を迎えた場合、次に勇者パーティの魔術師として魔王討伐に駆り出されるのは、間違いなく十歳にもならぬ妹となる。
それだけは絶対に許すわけにはいかなかった。今となっては全てが無駄となってしまったが。
「ふん、臆病者の言い訳だな」
「ならば答えていただきたい、自害しても蘇生が出来るという根拠を」
国王はアッシュのその質問を無視し、不敵な笑みを浮かべるのみであった。
「屁理屈は良い。今重要なのは、貴様が何故敵から解放されたか、という事だ。魔王軍にしてみれば、貴様を殺さず捕らえておく事が最大の防衛であろう。そう易々と手放すとは思えぬ。さあ答えてみよ、貴様の大好きな屁理屈でな」
「それは……」
答えられない。いや、答えられるはずもない。何故いきなり解放されたのか、アッシュにも分かっていないのだ。
魔人ラシェッドが情をかけてくれた、というのも恐らく違うだろう。アッシュが王都に戻り仲間と合流すれば、また戦いになるのは必至。敵戦力を削ぎつつ、遺跡仲間としての関係を続けていくならば、あの地下牢に捕らえたままにしておくのがベストであった筈だ
「……分かりません」
「フフフ、言えぬか、まぁそうであろうな。ここにこうして今いる事、それが貴様が裏切った何よりの証拠だ。奴らにどんな有益な情報を流した? 何の為に戻ってきた? スパイとして余を殺せとでも命じられたか!?」
得意気な顔をする国王。その表情には国のトップであるという気品や威厳など皆無なんと醜悪な面だろうか。彼の頭の中で、己が配下の裏切りを見抜き、国を守った偉大な王という妄想に入り浸っているのに違いない。そんな立場に酔うのが国王という男。
アッシュは反論する気力を失った。勿論言いたい事は腐るほどにあるが、どれだけ言葉を重ねても、こんな近くにいる目の前の国王には、一つも届く事はない。
国王は堕落した英雄に興味を失い、まだ残されている英雄達に眼差しを向けた。仲間の不始末を余が収めてやったぞ、とでも言いたいのだろう。それかこの茶番自体が、そもそも己の格を今一度見せつけたいという浅はかな狙いがあったのかもしれない。
「連れて行け」
汚い埃を払うかの様に手を振って、王はまた覚束ない足取りで玉座の間を後にした。