“神の祝福”――。
それは代々継承されてきた勇者族のみに降り注ぐ、神々の祝福。
だがそれを祝福と呼ぶか、はたまた呪いと呼ぶかはその者の心情によるだろうが、敵――彼ら“魔族”にとってはこの上なく邪魔な存在である事は間違いない。暗い空間。魔族特有の瘴気が充満するこの場で、冷たい石畳に倒れる勇者パーティ一行。そしてその四人を見下ろすのは人外の存在である魔人だ。
分厚い胸板に突き刺さった氷の槍を力任せに引き抜くと、人と異なる緑血が吹き出した。痛々しい傷口だが、直後に皮膚が蠢くとすぐに傷が塞がった。
もし貫いた位置が僅かにズレていたら――。
敵に魔力が残っていたら――。
そんな事がふと脳裏を過った“魔人・ラシェッド”は、静かに背に冷たい汗を流していた。直後、死した勇者パーティ一行の死体が霧の如く消滅。魔人ラシェッドは、その様子を忌々し気に見つめる。
(勇者族のみに起こる神の祝福……。 何度見ても気分が悪い)
神の祝福を受けている彼らは再び復活し、準備を整え修行を積み、また自分達の前に戻ってくるだろう。こちらが倒されるまで、何度でもだ。ふと気が付くと、勇者一行の中で一人だけ消えていない者がいた。勇者族、銀氷の末裔……名を“氷の魔術師アッシュ”。ラシェッドの胸に氷の槍を撃ち込んだ本人でもある。
頭を踏み潰してとどめを刺してやろうか。ラシェッドはそう思い右足を浮かせたが、数秒の沈黙の後、考え直して足を戻した。一武人として、意識の無い敵を痛めつけるのは、誇り高い魔族と言えるだろうか。それに最後の力を振り絞り、自らに一撃を加えた戦士というのは、敵と言えど尊敬に値する。厄介である事に変わりはないが、こうした男は嫌いではない。
「誰だ――」
暗い玉座の間が大声で震えるると、一匹のゴブリンが苦虫を嚙み潰したような表情を引っ提げて現れ、跪く。
戦闘に参加しなかったことを責められると思ったのか、醜悪な顔に卑屈な笑みを浮かべて、主人の言葉を待った。
元よりラシェッドは、その程度で責めるつもりは毛頭無い。勇者パーティとの激戦に、力のない中途半端な者が援護したとて邪魔なだけだ。
「こやつを捕らえ、地下牢に幽閉しておけ」
アッシュに向けてクイと顎を動かしながら言うと、ゴブリンは呆けた表情で首を傾げた。
「この人間を……ですか?」
「ああ。コイツらは殺してもまた生き返る。ならば試しに捕らえておけ。今までと違う使い道が見つかるかもしれぬ」
ゴブリンは数秒の間を置いてから。
「おお、成程! 流石はラシェッド様!」
と、真面目かわざとか、大袈裟に喜びながら仲間を呼び、アッシュを運んで行った。
一人残されたラシェッド。玉座の間に静寂が戻る。破壊された壁や柱、血痕や血の匂いがなければ、つい数分前まで勇者共と戦っていた事が信じられないくらいだ。
玉座に座り、疲労と安堵の溜息を吐く。
ただ撃退するだけでは解決にならない。魔族が滅ぼされるまで続くであろう勇者族との殺し合い。この連鎖はどこかで断ち切らねばならない。
あの人間の魔術師が“何か”のきっかけになり得ないだろうか。漠然とした思いを抱くばかりで、これといった手段ははまだ何も見えていない。
普段は心地よい筈の玉座の間の薄暗さが、今ばかりは不安を掻き立てている。
**
頭痛と倦怠感を感じ、アッシュが目を覚ます。
訳が分からない――。
死ぬのは初めてではない。毎度のパターンであれば、死んでも勇者族の自分達は王都にて復活。そこから魔王討伐失敗の説教を、口うるさい国王から直々に何時間も受けるのがお決まり。
だがどうやら今回は違うらしい。濡れた石畳、目の前には鉄格子。地下牢だろうか。上手く体が動かず、ようやく自分の手足に枷が付けられている事に気が付いた。状況はよく掴めないが、愉快な事態ではない様だ。
淡い光と足音が段々とこちらに近づいて来た。鉄格子の向こうで、松明を持ったゴブリンが首を傾げる。
「お、目が覚めたか」
そう言葉を発し、不気味な笑い声を上げた。何が笑えるのか不明だが、どう見ても笑っている様にしか見えない。
そしてそのままどこかへ行ってしまう事、三分程度。ゴブリンは徐に皿のようなものを持って来た。
「食っていいぞ」
薄暗い鉄格子の向こうに置かれ、松明に照らされた皿を覗き込む。するとそこにはドブ水みたいな液体の中で蠢く虫が何匹も入っていた。あり得ない絵面と臭いに、反射的に顔を背けたアッシュ。
「食えるか、こんなの」
「は? 食べないのか?」
直後、再び笑ったゴブリンは皿を掴むと、手を突っ込んで液体を滴らせながら、ぐちゃぐちゃと音を立てて虫を食らい始めた。本当に美味しそうに食べているから驚きだ。
丁寧に残った液体まで全て飲み干し、満足げに「うめぇ」と息を吐いたゴブリン。とても表現出来ない、これでもかと言う口臭が漂う。
「もらっちまって悪いな。美味かったぜ」
「……そうか。お前とは一生食の好みが合わないな」
拒否しても食わされようものなら、速攻で氷漬けにしてやろうかと魔力を練っていたが、どうやら事を荒げずに済んだ様だ。
「ところで、聞きたい事が……」
「ひゃひゃひゃ、はいはい分かった。俺の口からは何にも言えないんだ。待ってろ」
そう言うと、ゴブリンは去っていった。後に残されたのは薄暗さと静寂。そして湿っぽい空気のみである。アッシュは思い体を起こし、壁にもたれ掛かって考え込んだ。どうやら自分は魔人ラシェッドとの戦いで生き残り、囚われてしまった様だ。他の三人は無事に死に、神の祝福で肉体と魂が王都へ帰還したのだ。無事に死ぬ、という表現も可笑しな響きではあるが。いっそ自害すれば自分も帰還する事が出来るだろうか。氷の刃で貫けばいいだけの話。この手足の枷には魔力を制御する効果がある様だが、その程度なら可能だ。
だが一つだけ疑問が残る。神の祝福は「魔族と勇敢に戦った成果として与えられる」ものだと再三聞いてきた。自害した場合はこれが適用されるかどうか定かではない。
(となると、自害は本当に最後の手段だな……)
いざ自害と言えど、やはり自分で自分を殺すというのは怖いものだ。
さっきのゴブリンが去ってから、どれだけの時間が経っただろうか。一日か、一週間か、はたまた数時間も経っていないのか。静寂と暗闇のせいで、時間の感覚が麻痺していた。疲れているが、眠る事もままならない。頭痛と倦怠感が増々酷くなった。不安だけがただ広がっていく。敵に囚われるのはこういう気持ちなのかと、妙な納得もしていた。
複数の足音に、アッシュは素早く反応した。数秒後には殺されるかもしれないが、今の状況が変わるならば、最早なんでもいいという気分。
やって来たゴブリンは三体に増え、後ろにもう一人、筋骨隆々の大男がいた。この城の主にして“魔王四天王”の一人、魔人ラシェッドだ――。
「調子はどうだ、とでも言うべきか?」
「お陰様で、とでも返しておきましょうか」
その答えが気に入ったか、ラシェッドは口角を上げながら何度も頷いた。
「それで、僕をどうするつもりです?」
「さて、どうしたものか」
ふざけた態度にアッシュが睨みつけるも、鉄格子の中からでは迫力が皆無。
「ふざけている訳ではない。本当に何も決まっていないのだ。殺しても君達はまた復活するだけだろう。生かして捕らえてみたものの、使い道はまだも思い浮かんでいない。だからとりあえず話でも、とね」
勇者一行の戦力を削ぐ、という意味ではもう十分な効果。無理に他の手段を考える必要はあまり無いだろう。
それでも話をするのは、ダメ元で何か有益な情報を引き出せれば儲けものといったところか。だがそれはアッシュからしても同様。如何にこちらの手の内を見せず、相手の手札を探るかの心理戦だ。
「そうですか。ならばまずは何の話をしましょう」
互いに瞳の奥で警戒しているのが分かる。お前の弱点がどうのこうの聞いて、答える筈がない。まずは軽い探り合いからだ。ラシェッドも悩む素振りを見せていた。
「そうだなぁ……。では外の世界の話を聞かせてくれないかね。私自身が城の外に出る機会があまりなくてね、君達の旅の話でも聞けるなら面白い」
「それぐらいでしたら……」
少し予想がであったが、掴みの糸口としてはこんなもの。だがアッシュには懸念があった。
「しかし、良いのですか?」
「何がかね?」
「僕達の旅とは――つまり貴方達“魔族討伐”の話になりますが……」
アッシュの発言に、手下のゴブリン三匹が鋭く睨み付ける。一方のラシェッドは一瞬きょとんとした表情を浮かたが、直後に笑い出した。
「フハハハ、問題ない。君達の目的など当然理解しているからね」
「四天王の一人、魔人ベルゴンを僕達が倒した、と言ってもでしょうか……」
何故かバツが悪いように思ってしまった。話し相手の仲間を殺したのだから、気まずいのも無理はない。だがラシェッドは再び笑い飛ばした。
「それも問題ない。前から私はアイツが嫌いだったからね。嫌いだった、と過去形で語れる事が喜ばしいよ」
「今さらっと凄い事言いましたけど。魔王軍の連携が取れていない話なんてしてしまっていいのですか。使い方によっては有益な情報ですよ」
「いやいや、奴が嫌われているのは魔王軍界隈で有名な話だ。それにもう死んでしまったのだから、有益な情報になどなる訳がない」
有名な話、しかしアッシュ達は当然知らない情報だ。もしかして国王だけは、その情報を掴んでいたという可能性は大いにある。情報の秘匿こそ力になる。そう考える国王は、本当に必要な情報でさえ自分だけに留めている様な人間だからだ。
だがアッシュは直ぐにその考えを打ち消した。不遇な状況であるか、変に疑い深くなっている。仲間同士、ましてや国王を疑うなど言語道断だろう。
その後もラシェッドは「もう用済みだが」と前置きをし、アッシュに情報を流した。こちらを油断させる為か、それともただ本当の事を話しているだけか。
どちらにせよ、話を聞いていたアッシュは自然とラシェッドに真摯に向き合おうとしていた。
ここまで話されたからには、こちらからも相応にはなさなければ、という謎の義務感が生まれていたのだ。
「では僕からも、ベルゴン討伐までの話させてもらいます」
前置きをしてから語り始めた。
旅立ちの日から始まり、仲間の事、危険に遭遇した時の事。これは話しても大丈夫だろうかというラインで時々口が止まるが、ラシェッドは無理に聞こうとはせず、笑って頷くばかりであった。
ラシェッドはとても聞き上手であった。笑みを浮かべて頷き、時に話の腰を折らぬ様に適度な質問を入れ、答えにくい話には、それ以上突っ込んだりする事はない。落ち着いて誰かと語り合うなど何年振りだろうか。旅を始めてからなかった様に思う。仲間達と仲が悪い訳ではない。笑い合うし冗談も言う。ただ、話の中心はいつも魔王軍の事ばかりであった。
会話する事、小一時間程度。また新たな足音が聞こえた。頭部には魔族によく見る角が生え、薄青い肌のメイド服を着た少女だ。人間とはかけ離れているせいだろうか、彼女はどこか神秘的な美しさを感じた。
メイド服は胸元が大きく開いたデザインであり、アッシュは無意識に目だけが追っていた。
「ラシェッド様、お食事の用意が出来ました」
「今とても良い所なんだ。悪いがここに運んでもらう訳にはいかないかね?」
「シェフが腕によりをかけて作ったお料理です。お言葉ですが、このような汚い場所でお召し上がるつもりで?」
どうやらラシェッドと言えど、厨房にまでは権力が及ばぬ模様。メイドに睨まれ何か言い返そうとするも、その台詞は思い付かなかったらしい。
「そういう訳だ、アッシュ。続きはまた明日、と言ったら可笑しいかな」
「お待ちしております、と言ったら滑稽ですかね」
「確かに、それは滑稽かもしれないね。 なにせ勇者族の人間が、私(魔人)に会えなくて寂しいと聞こえるものだから」
互いに苦笑いを浮かべ、ラシェッドは去って行った。美しいメイドも、野蛮なゴブリン達も居なくなり、アッシュは再び薄暗く湿った牢に一人残された。聞こえるのは水滴の垂れる音のみ。ラシェッドに語った事は冗談なのか本気だったのか、自分でもよく分からない。
気を遣ってくれたのか、後に用意された食事はパンと水など、普通に人間が食べられるものに変えてくれていた――。