ベローガ拠点に辿り着いた翌日。
エレン達は緊急編成された戦線部隊の一員として荒野へと向かっている最中。大きな岩や崖のある北の荒野目掛けてユナダス軍が進行していると一報が入った為だ。
諜報員の情報によれば、ユナダス軍との兵数はほぼ互角。
このまま進めば明日の昼間には敵軍と遭遇するとの事。
(ユナダス軍は強気だ……。まぁ勝つ気があるから進撃してきたんだよな)
鋭い傾斜の崖に囲まれた道を進むリューティス軍。
ここを抜ければ比較的見晴らしの良い荒野へと出られる。
快晴の空。
エレン達が進む横では綺麗な川が静かに流れ、時折聞こえる鳥のさえずりは、何でもない平穏な日常を演出している。
(とてもこれから戦争に行くとは思えない)
余りに長閑な空気感に、エレンは一瞬自分の置かれている状況を忘れそうになる。
「ん……?」
直後、リューティス軍の進行が止まった。
「どうしたんだろう。急に止まって」
「嫌な気配だな」
首を傾げたエレンの横で、アッシュが呟く。
すると、隊の先頭で何やら団員達の動きが騒がしくなった。
「馬鹿な……ッ!」
「どうしてここに!?」
「“敵軍”だあああ――ッ!!」
場に轟いた声に、エレンは背筋が凍った。
「前方に敵軍確認! ユナダス軍だッ!」
隊の先頭にいたダッジ団長が大声で叫ぶ。
一気に全員に緊張が走った。
(嘘でしょ……!? 何でこんなに早く……!)
事前に聞いた情報によれば接触は明日の昼間。
予定よりも異常な速さでの衝突となってしまった。
「あれは“ノーバード”ですね」
「ラグナの練成術か」
ノーバードは首と足の長い鳥類系の魔物。鳥類だが空は飛べず、代わりにその屈強な脚で馬以上の速度を出す。嘴も刃物の如く鋭く、大きい体格の為、背中に大人2人は優に乗る事が出来る。
異常な速さの接触となったのは間違いなくノーバードの影響だ。
「やっぱりアイツらの進撃の要は、ラグナの練成術で出した魔物なんだ……!」
「総員、行くぞぉぉ!」
「「うおおおおおッ!」」
ダッジ団長の鼓舞を合図に、リューティス軍も一斉に敵軍目掛けて動き出す。全員が手にする武器を勢いよく掲げた。
馬に乗るエレンは背負った箙から弓矢を1本取り出し、投擲のモーションに入る。
(逃げるな――)
エレンの体から淡い光が立ち込めると、エメラルドグリーンの瞳が輝きを発した。
(生きる為に……前へ……!)
数百メートル先にいるユナダス軍目掛け、エレンは弓を投擲する。
――ヒュン。
まるで弓の名手が矢を射たかの如く、エレンの放った矢は瞬く間に自軍の団員達を抜き去り、次の瞬間ユナダス軍の1人の兵の胸に勢いよく突き刺さったのだった。
(……生きたいのなら。死にたくないのなら。失いたくないのなら……戦え!)
実に1年半振りにリューティス軍とユナダス軍が衝突。
互いに万を超える兵隊が再び戦争の狼煙を上げた。
「「うおおおおおッ!!」」
戦場と化した場。
エレンの脳裏に4年以上も前の記憶が鮮明にフラッシュバックする。
(負けるな。ここでビビッて目を閉じたら終わり。戦場では一瞬の弱さが生死を分けるんだから……!)
臆する事なく、エレンは再度箙から矢を取り出して投擲した。
――シュバン。
「ぐあッ!?」
「あの敵兵、目が光ったぞ!」
「もしや魔導師か!?」
――シュバン。シュバン。
僅かな隙を突かれたユナダス軍の兵達が次々にエレンの弓の餌食となる。
――シュバン。シュバン。
今ので何回投擲をしただろう。箙に入っていた10本近い矢がいつの間にか無くなっていた。
「ふう……。まだまだ使いこなすのは難しいけど、前よりだいぶ楽になった」
連続で投擲を繰り出したエレンは早くも少し疲れが見えていた。
しかし、自分の力を再認識し、強くなるという覚悟を決めたエレンは、ローゼン総帥にお願いして投擲の力をコントロールする特訓もしていた。
勿論力を完璧に使いこなせるようになった訳ではない。
寧ろ思い描いていたものよりずっとお粗末なものだ。
しかし、日々のエドとの剣術特訓とローゼン総帥との投擲特訓により、本当に微々たるものだが、エレンは着実に肉体や精神が鍛えられ強くなっていた。
これだけ投擲を使って意識を失わないのなら上出来。
体はどっと疲労感を感じているが、まだまだ動く事は出来るようだ。
「よし。まだまだ……!」
「焦りは禁物ですよエレン君」
興奮状態となっていたエレンを落ち着かせるように、エドが優しく声を掛けた。
「強くなったからといって、暴走してしまえば元も子もありませんよ。こういう時にこそ1歩引いて周りを見る事が大事です」
エドの言葉にふと我に返る。
(おっと、そうだった……)
怖がらずに前を見る事は大事。
でもそれで自分を見失っではいけない。
「エドさん、アッシュは?」
「あちらで戦っていますよ」
エレンがするべきは恐怖やユナダス軍と戦う事ではない。
大切なもの――アッシュを守る事だ。
エレンとエドの先ではアッシュが交戦している。
周りと違う甲冑を装っているところをみると、敵兵の中でも幾らか位の高い者だと分かる。
「貴方は1人ではありません。私がサポートします」
――シュバン。
そう言ったエドは、エレンに襲い掛かって来た敵兵を斬り倒した。
「アッシュを生かせるのはエレン君だけ。頼みましたよ。後ろは私が請け負います。だから貴方は前だけに集中して下さい」
「……はい!」
力強く返事をしたエレンは一直線にアッシュの元へ向かって走り出す。
アッシュが戦っている相手は実力者。
だが、アッシュは余裕の動きで敵兵の攻撃を躱すと、甲冑の無い関節部分を狙って剣を振るった。
ザシュン。
舞う血飛沫と共に、敵兵の顔が歪む。
そこへすかさずアッシュが敵兵の首を刎ね、命を狩った。
「ッ!? アッシュ……!」
刹那、敵兵を倒したアッシュの死角から別の敵兵が彼に忍び寄っていた。
しかしアッシュは気付いていない。
(やばいッ。間に合って……!)
いち早く気が付いていたエレンは決死に走る。
アッシュの背後では既に敵兵が槍を突き刺そうとしていた。
「アッシュゥゥ!!」
「エレッ……『――ザシュン』
アッシュがエレンに気付く。
エレンがアッシュ目掛けて飛び込む。
敵兵がアッシュに槍を突き刺す。
それらの全てがほぼ同時に起こった――。
「ゔぐッ……!」
「エレンッ!?」
「ちっ、殺し損ねたか」
敵兵の槍には血。
攻撃を食らったのはエレンだ。
間一髪の所でアッシュを突き飛ばしたエレンであったが、敵兵の槍が彼女の脇腹を抉った。
「馬鹿ッ! 何してんだよお前!」
バランスを崩して地面に倒れたエレンは痛みで起き上がれない。
すぐにアッシュがエレンの傷口を確認するが、またしても背後で敵兵が槍を構えていた。
「死ねええッ!」
「……テメェがな」
ザシュン。
電光石火の一撃。
何事もなかったかのように敵兵の首を斬ったアッシュはすぐにエレンの無事を確かめ、丁度死角となる岩の裏へとエレンを隠した。