目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第31話 みんな一緒なら


「リコッタさん、どうして泣いているのですか」


 フィステラが声をかけながら、獣人少女の肩に手を置く。するとリコッタは激しく抵抗した。

 勢いよくフィステラの手を振り払うと、人形を抱きしめたまま部屋の隅に跳躍したのだ。まるで傷ついた我が子を護る獣のように。


 フィステラは払いのけられた自らの手を悲しそうに見つめていた。周囲を舞う彼女の蝶は鈍重な動きになる。悲しみが表れているのだ。

 刻哉は尋ねた。


「フィステラさん。リコッタは何て?」

「……すみません。聞けませんでした」


 リコッタは歯を剥き出しにして威嚇していた。興奮状態である。


 フィステラは獣人少女と目を合わせられない。彼女の状態をまともに見られない。

 だが刻哉は違った。

 彼はリコッタの違和感に気づいた。微妙に視線が合わない。彼女は刻哉たちを見ているようで、別の何かを透かし見ている。


「フィステラさん。何か聞こえたら翻訳お願い。ここにいていいから」

「トキヤさん!?」


 ゴミ山をかき分け、リコッタのもとへ。


 ここはかつて、リコッタたちの仲間が作った拠点だという。彼女が引っ張り出した箱は、チーターたちがここをゴミ溜めにする前からあったものだろう。

 だとしたら、あの人形はリコッタの過去に深く関わるもの――。


 あと一歩のところまで近づく。リコッタは怯えた猫のように威嚇を続けている。まだ、刻哉の姿をきちんと捉えていない。


 刻哉はじっとリコッタを見た。それからゆっくりと手を差し伸べる。

 引っかかれる――どころか、問答無用で攻撃されることも覚悟していた。たとえまた腕一本持って行かれたとしても、とりあえず死ななければ今はいい。


 刻哉は、純粋にしていた。


「リコッタはすごいな。自分の過去に、こんなにも強く心を動かされるなんて」


 他人が聞けば眉をひそめたくなるような台詞。

 刻哉の言語はリコッタに通じない。

 ただ、刻哉が敵意も恐怖も一切出さず、純粋な気持ちで接しようとしていることには気づいてくれたようだ。

 唸り声を上げるリコッタの頭を一度、二度と刻哉が撫でると、彼女は一気に我に返った。耳と尻尾が驚きでピンと立つ。

 刻哉はいつもの無表情で言った。


「気がついた? さ、戻ろう。その人形も一緒に」

「――ッ!!」


 リコッタが抱きついてきた。刻哉の胸元に顔を埋め、ぐりぐりと何度もこすりつけてくる。

 すっかり馴染みになった、刻哉の匂いを吸い込む仕草を繰り返し、ようやく彼女は落ち着きを取り戻す。


 ゴミ山の上から降りてきた刻哉に、フィステラがぽつりと言った。


「『ごめんなさい』……だ、そうです」

「そう。翻訳ありがとう」

「トキヤさん。どうしてあなたにはそんなことができるのですか?」


 フィステラが尋ねる。訴えかけるように。

 刻哉は、ただいつもの表情で首を傾げるだけだ。


「私は……今すごく落ち込んでいます。どうしてか、わかりますか?」


 子どもが駄々をこねるような、ねた表情。

 もちろん、刻哉はきっぱり言う。「どうして?」と。

 フィステラは肩の力を抜く。予想通りの答えで、逆に安心したからだ。


「私は無力なんです。言葉はわかるのに、リコッタさんとろくに意思疎通ができない。彼女の気持ちに寄り添えない。なのにトキヤさんはあっさりと私にできないことをする。私は自分が情けないです」

「情けない、か」

「はい。そしてトキヤさんはずるいです。何ですか、意思疎通能力が壊滅的だと言っておいて、この鮮やかな説得ぶりは」

「ずるい、か」


 刻哉は天を仰いだ。

 それから心に浮かんだ言葉を、そのまま素直に口にする。


「皆、考えてたことは全然違うんだなあ」

「あなたという人は……」

「いや。新鮮というか――面白いな、と思って」


 言ってから、刻哉は自分で驚いた。

 まさか、自分が人付き合いを『面白い』と感じるなんて。


 ひとり小さく感動する刻哉の姿に、フィステラは頬を緩めた。感情を表す蝶は、綺麗な輝きを取り戻している。


「とりあえず、ここを片付けましょう。このままでは落ち着けません」

「うん。賛成」


 ――その後。

 ゴミ山を整理している間に夜が来た。


 作業完了と言うにはほど遠い状況だが、それでも寝床になるスペースだけは確保する。

 埃や汚れは気になるものの、テントを失った今、風雨がしのげるだけでも万々歳ばんばんざいだった。


 片付けの最中、リコッタが食料保管用の箱を見つけ出した。中には保存が利く乾燥食料が詰め込まれている。いざというときのための拠点として使う予定だったのだろう。


 ここを訪れたチーターは保存食には興味が無かったようだ。ほとんど手つかずだった。

 一方でキッチンを荒らしていたところを見ると、彼らは画面映えする料理を求めたのかもしれない。


 食事中、リコッタの定位置は刻哉の膝の上だった。

 保存食をカジカジする獣人少女を見守る穏やかな時間が、しばらく続く。

 このメンバーの中でリコッタだけは、飢えと乾きが生死に関わる。

 わずかばかり腹を満たし、ようやく人心地付いた。


 意を決したフィステラが、改めてリコッタに尋ねる。「なぜ泣いてしまったのか」と。

 獣人少女の口は重かったが、刻哉の膝の上で頭を撫でられていると、ぽつぽつと語り出した。


 それによると、あの人形は今は亡き妹と一緒に作ったものだという。

 かつて、リコッタと彼女の妹は、他の同志たちとともに拠点への物資運搬を手伝っていた。

 人形はその作業の合間を見て、荷の中に忍ばせたものらしい。

 いずれ精霊に反旗をひるがえすそのとき、離れ離れになっても心細くならないように――と。

 そして今、人形を見て、幸せだった時間とその後の辛い時間の両方を一気に思い出してしまったのだ。

 リコッタが取り乱していたあのとき。彼女が見ていたのは、過去の幻だった。襲い来るチーターや、精霊たちに洗脳された人々の幻影だったのだ。


 翻訳し終えたフィステラが、遠慮がちにリコッタを見る。獣人少女もまた、気まずそうにフィステラの方を見ていた。

 ひとこと、ふたこと、言葉を交わす彼女たち。刻哉にはその内容はわからない。

 けれど、不思議と悪い気分ではなかった。


「さ、休もうか」


 刻哉は言った。そしてふと思いついて、付け加える。


「みんな一緒なら、安心だからさ」


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?