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四方を包囲していたモンスターの群れは、少なくとも視界に映る限り、全滅した。
高い位置という地形的有利を確保できたこと、出現モンスターがいずれも鈍重だったこと、そして、いち早くトレントの枝を大量に確保できたことが功を奏したのだ。
刻哉のスキルが最大の効果を発揮できた故の勝利。
「やった……」
フィステラが呆けた声を出す。
周囲に浮かぶマナの蝶が、彼女の感情を顔よりも如実に表した。キラキラと金色に輝き出す。
「やった、やりましたよ! トキヤさん、すごいです!」
腕を掴んで揺すってくる。
だが、当の刻哉は渋い表情のままだった。
投擲により空いた無数の小穴を見下ろす。
彼は、少し後悔していた。
これまで刻哉は、武器と言えば刀剣状のもので、いかにそれらしい刀を地粘材から打つかということばかり考えていた。
だが、武器は何も直接斬り付けるものだけではない。
遠距離攻撃ができる武器。その発想が最初から抜けていたと気づいたのだ。
槍などの長柄武器。弓などの射撃武器。もっと単純に何かを投げつけるだけでも、その何かは立派な武器になり得る。
今し方、刻哉がトレントの枝で実践したように。
究極の逸品を目指すのであれば、遠距離武器も考慮しなければならない。
「視野が狭かったな」
「トキヤさん……?」
「ますます足りない。材料も、道具も」
ひとり考え込む刻哉。
無視されたフィステラは、小さくため息をついた。
それからふと、刻哉の隣に並ぶ獣人少女を見る。
リコッタもまた、難しい表情を浮かべていた。
彼女の視線をフィステラはたどる。川の中ほど、せせらぎに洗われている荷物が目に入った。リコッタが背負っていて、戦闘開始と共に背中から降ろしたリュックだ。
悲惨な状況であった。
川に降りた刻哉たちは、水の中から荷物を引き上げる。しかし、リュックはもはや原形を留めないほど破れていた。
殲滅戦の余波を、まともに受けたのだ。
中身もほとんどがダメになっている。特に、瓶詰めの回復薬の類は全滅である。そのほかの野営に使う道具類も、破壊されるか川に流されてしまっていた。
わずかに保存食のいくつかが、何とか食べられるぐらいである。
フィステラはいい。刻哉もまだ何とかなる。
だが、あくまで現地人に過ぎないリコッタは彼らほど生命力が高くない。傷を受けても治療手段がなければそれは緩やかな死だし、飲み食いできなければ間違いなく死ぬ。
身体を休める手段を失ったことも、地味にでかい。
モンスターを退け、ひとときの安全を得た代償だった。
リコッタの耳と尻尾は、先ほどからずっと緊張状態である。
彼女はフィールドでの生活が長い。今の状況でどんな未来が待っているか、じわりじわりと、リアルに想像できてしまうのだろう。
フィステラは、獣人少女がどうしてここまで思い詰めるのかピンと来ていない。
一方の刻哉は違った。リコッタの不安、懸念、恐怖、そして後悔をよく理解した。
彼女が
だから彼は、リコッタの背中を軽く叩いて我に返らせると、率先して使えそうなものを探し始める。刻哉の継ぎ接ぎリュックは一応無事だ。少しなら容量に余裕がある。
泣き言を言う暇も、弁解をする暇も惜しい。
慌てず、そして急がねばならない。
――いせスト動画の視聴者であれば、先ほどの戦闘はさぞ興奮できるものだっただろうと、刻哉は思う。
しかし、これはゲームではない。イベント終了と同時に場面が切り替わり、状況が好転した状態でリスタート――そんな都合のよいことは起こらないのだ。
敵が大勢潜む森の中。
目的地には、まだ到着できていない。
今はたまたまモンスターの姿が見えないだけ。
刻哉とリコッタの様子を見て、気を抜いている場合ではないと感じたのだろう。精霊少女は自らにできることとして、散乱したモンスターの亡骸からわずかばかりの地粘材を作りだしていた。トレントの枝も、持てる分、確保してくる。
その献身を、刻哉は「ありがたい」と思った。
「フィステラさん」
刻哉は声をかけた。精霊少女はどこか嬉しそうに応じる。
「はい、なんでしょう」
「ここの地形、覚えられそう? 後でまた取りに来ようと思うんだけど」
フィステラは辺りを見回し、うなずいた。アダマントドラゴンがいた洞窟の道順を正確に覚えていた彼女だ。頼もしい。
そう、フィステラもリコッタも、刻哉から見ればじゅうぶん頼もしいのだ。
彼女たちが、何を悲観することがあるだろうか。
――道具の回収もほどほどに、刻哉たちは再び川を遡り始めた。再びモンスターに襲撃される前に、この場所を離れなければならない。
これまで以上に警戒しつつ、これまでより速度を上げて移動する。
相変わらず森の中は薄暗い。森林浴などという暢気な雰囲気は皆無だ。悪臭もまだ、夏の湿気のようにまとわりついている。
森に入ったばかりの頃と比べて違うのは、お互いの距離感だった。
近い。
刻哉の腕には、ぴったりとリコッタがくっついている。
森の悪臭は相変わらずだが、それとは別に刻哉はリコッタの匂いを強く感じた。刻哉もリコッタも、お世辞にも清潔とは言い難い状態であるが、それでも森に充満する臭いよりかは百倍以上マシだった。
刻哉は、自分も悪臭の元だと考えている。だがリコッタはそう思っていないようで、獣人少女は時折刻哉の二の腕に顔を埋めると、クンクンと匂いを嗅ぐ仕草をしていた。そのたびにピコピコと耳を動かす。
その様子を見たフィステラが、意外そうにつぶやいた。
「リコッタさん、思ったよりも臆病――いえ、弱気になることがあるのですね。トキヤさんにぴったりくっついて、不安を紛らわせるなんて」
「こんなことで不安が紛れるなら」
刻哉は応えた。
フィステラはなおも獣人少女を見ていたが、ふと「本当に不安を紛らわせたいだけ……?」と怪訝そうにつぶやいた。
――それから彼らは、ひたすらモンスターを避けながら移動を続けた。
ここの敵は鈍重だとわかっている。しかし、こちらも荷物の多くを失った状態だ。
避けられる危険は、避けなければならない。
避けて、避けて、避け続けた末――。
ついにフィステラがつぶやく。
「……そんな」
逃げようのない状況で、刻哉たちは巨大なドラゴンと鉢合わせてしまったのである。