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第24話 下の森の異変


 刻哉たちが目指した場所。

 そこはクィンクノーチの東に広がる、比較的小規模な森林地帯だった。少し離れた場所からなら、すっぽり全容を視界に収めることができるほど。

 この森には固有の名称がない。少なくとも、刻哉はそういう認識である。

 ゲームでいうところの、いわゆるチュートリアルステージ。初心者が最初に訪れる、腕試しの場所。いせストが登場してしばらくの間は、この森が動画にちょくちょく登場していた。

 いせスト誕生から三ヶ月の今。いせスト愛好者であった刻哉でも、この森は記憶から薄れていた。


 リコッタによると、あの森は『下の森』と呼ばれているらしい。異世界でもそこそこぞんざいな扱いのようだ。

 近所の裏山に名前がないようなものか――と刻哉は思う。


 下の森。

 こう呼ばれている理由は、一目でわかる。


 鬱蒼うっそうと広がる森の西側に、切り立った高い崖がある。クィンクノーチの街は、その崖の上のなだらかな平坦地に造られているのだ。

『上』の街に対して『下』の森というわけだ。

 刻哉たちが立つ場所からは街外れの建物が数戸、見える程度。後は崖の向こうに隠れてしまっている。

 崖に目をこらすと、表面に亀裂のような線がジグザグに走っているのがわかる。線は崖の上から下まで繋がっていた。


 刻哉は川原で小休止しながら、森の様子を観察する。この間、リコッタが近くまで偵察に出ていた。

 川は緩やかにうねりながら森の中に消えている。このまま川沿いに歩けば、リコッタの言う拠点近くまでたどり着けるらしい。


 リコッタが偵察から戻ってきた。刻哉がこれまでに創って渡した金色のナイフ擬きが、カチャカチャと音を立てる。


「――、――」


 リコッタが顔をしかめながら、『刻哉』に報告する。獣耳をペタンと下げ、尻尾を不安そうにばたつかせていた。

 刻哉は彼女の言葉がわからない。だが、言わんとしていることは想像がついた。


 フィステラを見る。精霊少女は、待っていました、とばかり口を開いた。


「森の様子が、以前訪れたときと大きく変わっているそうです。遠目にもいるのがわかると……それで、えっと」


 そこで、困ったように首を傾げるフィステラ。


「あの、トキヤさん。って、そんなにひどいですか?」

「うん」


 あっさりうなずくと、精霊少女は頬を引きつらせた。

 臭い――それが刻哉が事態を予想できた理由。

 リコッタの報告内容は理解できなくても、漂う臭気で異常事態なのはわかる。


 コミュ障男と獣人少女にじーっと見つめられ、フィステラは気まずそうに視線を下げる。

 刻哉は尋ねた。


「フィステラさんは――というか、精霊は匂いに鈍感なの?」

「う。この世界の人々や外界人とは、嗅覚の感じ方が異なっているのは認めざるを得ません……」

「そっか。途中の死体も気づいてたもんね」

「はい……仰る通りです。ただトキヤさんに言われると、もの凄く自分が鈍感に思えます」


 マナの蝶がしおしおと墜落する様を、刻哉は不思議そうに見つめた。


 フィステラは気を取り直す。


「それで、どんな『におい』が?」

「言葉にするのは難しいね。半分乾きかけた生ゴミの臭気、って感じかな。これだけ離れていても臭ってくるってことは、森の中は相当なものだろうね。ちょっと集中力を保つのは難しそうだ」

「うう……そんな平然と」

「リコッタが『うじゃうじゃ』って言ったのなら、臭いもそれが原因かなと思う」


 立ち上がる。岩陰まで歩き、森をうかがう。後ろからリコッタが近づいて、刻哉に寄り添いながら森を指差した。

 彼女の細い指の先。見通しが悪く、暗い。

 だがよく見ると、状況が理解できた。

 日陰と思っていた暗さは、全身がどす黒く染まったモンスターたちが彷徨さまよっているためだったのだ。

 サバイバル生活が半ば生きがいのようになっていた刻哉。元の世界ではそれなりに視力は良かった方だが、さすがに獣人少女にはかなわない。だからモンスターの種類までは判別できなかった。


「リコッタ、あそこにいるのはどういうモンスターかわかる?」

「――、――!」

「親指立ててから胸を叩くってことは、俺の言いたいことはぜんぜん伝わってないね」


 何気なく刻哉が言うと、「すみませんすみません!」と慌ててフィステラがやってきた。

 彼にはなぜ精霊少女が慌てるのかわからない。「通訳でしか役に立てない」というフィステラの懊悩は、刻哉には伝わらない。


「ここから見えるのはフォレストベアにフォレストウルフ、トレント……それと、自信はないけどたぶんスライムもいる――と、おっしゃっています」

「どれも初心者向けの雑魚モンスターだね。この世界だとどうかわからないけど」

「確かにドラゴンと比べると現地の人々でも対処できる相手だと思いますが……でも、そうなると『におい』が気になりますね。――リコッタさん?」


 リコッタが刻哉の服の裾を引き、何やら真剣な表情で首を横に振っている。


 フィステラによると――リコッタがクィンクノーチを離れた頃は、あんなモンスターはいなかったという。

 しかも、ここから見る限り、ただの雑魚モンスターではない。

 全身が、何らかの変異を起こしているように見える――とのことだ。


 刻哉はいせスト動画を思い出す。

 あの森が動画に登場していた頃は、フォレストベアもフォレストウルフもトレントもスライムもプレイヤーの討伐対象として出現していた。けれど『異臭を放つ変異』をしているようには見えなかった。これぞ序盤の雑魚という見た目と強さしか持っていなかった記憶がある。


 いせストは敢えてデフォルメされていた可能性もある。

 だが、真実はきっと違う。

 おそらくここ一、二ヶ月の間に何かが起こったのだ。あの小さな森の中で。


「――、――……」


 リコッタが商売用の大きな道具袋を撫でながら喋る。

 獣人少女のつぶやきを聞いたフィステラが、表情を陰らせた。


「森の危険度は桁違いに上がった。けれど、別の場所へ目的地を変えるほど蓄えは残っていない。選択は……ふたつ」


 ごくりと唾を飲み込みながら、フィステラが通訳する。


「ひとつは、拠点が無事であることを祈ってこのまま森へ突入する。もうひとつは、あの絶壁に造られた危険な道を通って、裏からクィンクノーチに潜入する……って、えぇ……」

「まあ、どっちもヤバいよね」


 刻哉がうなずいた。相変わらず何を考えているのかわかりづらい表情である。

 フィステラの蝶が青く明滅した。


「トキヤさん。どうされますか?」

「そうだね」


 森。

 絶壁。

 両方を見る。


「どうしようかな」


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