マナの欠乏によって苦痛にあえぐ刻哉。
彼の背中を撫で、大丈夫かとしきりに声をかけるリコッタ。
彼女は刻哉の言葉がわからない。
だが、リコッタは刻哉から目が離せなかった。
――この人は、どうしてこんなに強い目をしているのだろう。今にも死にそうなほど苦しんでいるのに。
まるで焚き火を求める放浪者のように、リコッタは強く強く刻哉に惹かれていた。
彼女の視界の端に、光の蝶――精霊フィステラの姿が入ってくる。
その瞬間、リコッタは冷水をかけられたように我に返った。刻哉の背中から手を離し、一歩、二歩と距離を取った。
精霊が彼に何を話しているのか、リコッタにはわからない。「トキヤサン」という単語がこの青年の名前ではないかと、おぼろげながら推測ができる程度だ。
リコッタは面白くなかった。
強く興味を持った相手が、憎むべき精霊から
「その人から離れて」
我知らず、リコッタは剣呑な声で告げてしまう。
精霊フィステラは、ハッと顔を上げた。
獣人少女は彼女を睨む。
精霊少女はしばらく、何事かを考え込む様子を見せた。それから
「私は精霊フィステラ。そしてこの方は
「外界人……」
「あなたは
フィステラはリコッタにも通じる言葉で話す。精霊の周囲に舞う蝶が、赤く強く光ったり、青く頼りなげに瞬いたりしていた。
リコッタは、腰に吊り下げていた最後のナイフ
外界人。
こちら側。
チーターを生み出す奴らと、同じ言い方だ。
獣人少女は低い声で言う。
「お前、その人をチーターにするつもりか」
「違う!!」
予想外に大きな叫びが返ってきた。
リコッタの獣耳が一瞬、叱られた子犬のようにぺたりと折れる。
彼女の中で、嫌な記憶が蘇る。
故郷。反逆の罪で放逐されるとき。支配者の精霊から吐き捨てられた非情な言葉。威圧。
ざわついた。どうしようもなくざわついた。手にしたナイフ擬きがカタカタと震える。
嫌だ、とリコッタは思った。大切な妹も、仲間も喪った。いや殺された。それなのに、その元凶たる精霊に対して、いまだに恐怖している自分が嫌だった。
精霊の言葉なんて聞きたくない。信用したくない。顔も見たくない。
「お願いします」
精霊フィステラが言った。今度はとても弱々しい声だった。
「私にはトキヤさんを救う手立てがない。でも、この人はこのまま息絶えてよい人ではないのです」
「……」
「救いたいのです。私は、この人を。でなければ、私はまた、同じ過ちを……!」
げほっ、げほっと派手に咳き込む音。外界人――刻哉だった。
彼はうずくまった姿勢のまま、隣にいるフィステラの膝を軽く叩く。そして何かをつぶやいた。
リコッタにその内容はわからない。
だがフィステラは青年の言葉に大きく目を見開き、それから泣きそうな顔をしながら苦笑した。
リコッタはその様子を見て、「悔しい」と思った。なぜここまで悔しがってしまうのか、自分でもよくわからなかった。
「ひとつ、教えて」
リコッタは精霊にたずねた。
「今、わたしが持っている武器。ドラゴンを一撃で倒すことができたもの。……その人が使った武器も、きっと同じもの」
フィステラがみたび目を見開く。リコッタは呼吸を整える。
「この武器について、あなたたちは何を知ってるの?」
「……それをお伝えすれば、協力してくれますか?」
「精霊の言うことなんて信じられない」
フィステラの蝶が動揺したように
自分でも筋が通らない話をしているのはわかる。
それでも。
「この武器はわたしを助けてくれた。救ってくれた。わたしはこの武器を創ったひとに会いたい。教えてくれたら、協力する」
「そう、なんですね」
フィステラの言葉に違和感を覚え、リコッタは眉をひそめる。
精霊は刻哉に何事かささやいた。青年がうなずいたのを確認し、フィステラは口を開く。
「その武器は、ここにいるトキヤさんが創ったものです」
「え?」
「本当です。先の龍よりももっと巨大で凶悪な個体すら、一撃で
フィステラがナイフ擬きを指差す。
「チーターたちによって奪われたとばかり思っていました。ですが、その武器があなたを助け、そして私たちをも助けたのは、運命めいたものを感じます」
「運命……」
「はい。私はこの方……トキヤという青年が、この武器で、この力で、世界を救ってくれるものと信じているのです」
今、改めて確信しました――と精霊フィステラは言った。
リコッタはいっとき、言葉を失った。
精霊の言葉は信じない。信じたくない。
だけど、今のこの状況は――。
尻尾がまたぶわりと膨れ上がる。今度は威嚇ではなく、興奮のためだった。
まさかこれほど早く、ナイフ擬きの製作者に出逢えるなんて。
しかもその人物が、世界でただひとつの力の持ち主だったなんて。
獣人少女は追放されてから初めて、神のご加護がまだ残っていたことに感謝した。
――この人がいれば、もう自分のような境遇の者を作らずに済むかもしれない。
リコッタはナイフ擬きを降ろした。
「わかった。協力する」
「ああ……! ありがとうございます!」
涙を浮かべながら礼を言うフィステラ。精霊少女は刻哉の背中を撫で、また何かを語りかけていた。
リコッタの尻尾が、いつもの見た目に戻る。
急に
「あの、どこへ」
「……わたし、行商人。荷物、向こうに置いたまま」
言葉少なに答える。
「持ってくるから。そこで待ってて」
「は、はい。あの」
「今度はなに?」
「その。あなたのお名前は?」
振り返る。
蝶をまとう美しい精霊少女が、ホッと安堵の表情を浮かべている。それが無性に腹立たしくて、獣人少女はぞんざいに言った。
「リコッタ。精霊に何もかも奪われた、ただのリコッタだよ。
言葉の刺々しさに衝撃を受けるフィステラ。その顔を見て、リコッタは少しだけ胸がスッとした。
そんな自分に嫌気が差して、彼女は足早に荷物を置いた場所まで走っていった。