深い藍色の長髪、それが水中でたゆたうようにひとりでにゆっくりと、揺れている。
日本人ではあり得ない、金色の瞳。人間離れした美貌。
身につけている衣服が見えた。蝶をデザインした羽織袴姿。扇情的だった。脇腹や鎖骨が大胆に見えている。
年の頃は十六、七くらいの――現実離れした美少女。
なのに、刻哉の右目に血が入っているため、少女の半身はどろりとした赤で染まって見える。
逆にそれが強烈な現実感を刻哉に与えた。
少女の質問には答えず、刻哉は散乱した荷物からスマートフォンを探した。画面にヒビが入り、完全に機能停止している。右腕が自由に使えない中、苦労してポケットに入れた。
その後も彼は、負傷した身体と不自由な視界のまま荷物を整理し始める。コンパス、携行食、ペットボトル。
――たまらなくなって、少女が言った。
「あの!」
「……なに?」
「あなたは何をしているのですか? 怪我をしているのです。そんな小物類を拾い集めるより先に、一刻も早くここを抜けて治療を行うべきです」
刻哉は辺りを見回した。
彼らが放り出された場所は、それなりの広さがある洞窟の中だった。
不思議な灯りに包まれている。どうやら至る所に光る苔か、あるいは光る石があるらしい。
ここが日本じゃないことは確かだなと刻哉は思った。
散らかった物を拾い集めるにはちょうどよい環境である。
「また拾う! ですからあなたは!」
「君はナビゲーションピクシーか何か?」
「何を考えて――って、え? なび……? ぴく……?」
わかりやすく困った顔をする。意外に表情豊かな子だなと刻哉は思った。
ナビゲーションピクシーという単語が通じない。
日本人じゃない。人間ですらないかもしれない。
けれど問題なく日本語で意思疎通ができる。
刻哉は荷物整理の手を止めると、じっと正面から少女の目を見た。
――稀代刻哉は、元々名家の御曹司である。両親はどこに出ても恥ずかしくない容貌をしていた。
ロボットのような無表情を改め、真剣な目つきになれば、十分に魅力的な顔立ちと言える。
パッと視線を外した少女に、刻哉はたずねた。
「教えて欲しい。ここは、異世界ストリームの中なのか?」
「あなたが何を言っているのかわかりません」
少女は横目で刻哉を見た。
「けれど……あなたのように外の世界から大勢の人間が送ら――やってきているのは知っています」
「……いつから?」
「三ヶ月ほど前から」
いせストだ。やはりここはいせストの世界なのか。
少女が再び、刻哉の顔を正面から見る。
「あなたでも、そのような顔をするのですね。少し、楽しそうな表情です」
「楽しそう? 俺が? そう……そうかもな。ここに、この世界に俺は来たかった。ずっと」
「残念ですが、その感情は今すぐ捨ててください。ここは楽しい世界ではありません」
蝶をまとう少女は、刻哉の折れた右腕をそっと撫でた。
「特に――あなたたちにとっては。私は、結局何も出来なかった。今も、私は怖くて……あなたを理由にして、引き返してしまった」
刻哉は一瞬、言葉を失った。
少女の話した内容にショックを受けたから――では、ない。
少女の表情が、あまりにも見覚えがあるものだったからだ。
絶望。
そして、罪悪感。
自分の居場所に強い疑問を抱き続けた者特有の、暗い色。
刻哉が毎日のように、鏡で見てきた顔だ。刻哉自身が、ずっとそんな表情をしてきたのだ。
「俺は刻哉。稀代刻哉」
少女が顔を上げる。
「さっきは無視してすまなかった。君の名前を教えて欲しい」
「私……私は――」
蝶をまとう少女が口を開きかけたとき。
轟音とともに、風圧と砂埃が刻哉たちに襲いかかった。
何が起こったのかを確認しようにも、視界が極端に悪くなって状況がわからない。
「トキヤさん!」
蝶をまとう少女の声がした。
「そのまま、まっすぐ五歩進んでください。岩陰があります」
刻哉は従った。ちょうど指示通りの場所に身を隠せるところがあった。
すぐ隣に少女の姿。やはり人間離れした横顔である。刻哉はたずねた。
「すごい感覚だ。君は、精霊なのか?」
「トキヤさん。あなたは、空気が読めない人間だと言われませんか?」
また心底呆れた声で少女は言った。
そして、ちらりと刻哉の右腕を見る。
「負傷した右腕、痛みますか?」
「思ったほどじゃないよ。不思議なものだね」
「……私はあなたがわからない。
刻哉は蝶の少女を見た。言う。
「君にとって俺は、可哀想な被害者に見えるのかい? 被害者は被害者らしく、もっと騒いで、自分を頼れと?」
「え……。あ」
辛辣とも言える刻哉の台詞に、少女は言葉を詰まらせた。
「……ごめんなさい。今のは忘れてください」
砂埃が舞う突然の非常事態の中、蝶の少女はもどかしげな表情を浮かべていた。
轟音。
今度は鼓膜が割れるかと思うほどの激しさだ。
まるで、恐竜の吠え声を大音量で流したような。
砂埃が落ち着く。
刻哉は少女とともに、岩陰から様子をうかがった。
光る石に下から照らされて、侵入者の姿が浮かび上がる。
「あれは……アダマントドラゴン」
――数日前にいせスト動画で見た。
魔法金属の皮膚を持つ、超凶悪で強力なドラゴン。ビジュアルが格好良いと、各実況スレで話題になった。
アダマントドラゴンは、とある中堅パーティを返り討ちにしている。
装備も。
レベルも。
戦術的な連携も。
それなりに揃えたパーティを、このモンスターは
刻哉の手には、装備も、レベルも、戦術的な連携もない。
メタリックに輝く巨大ドラゴンが再び咆哮を上げた。
そのとき――。
大穴が空いた洞窟から、人影がひとつ、