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第8話 芯に至る凍え

 樹くんと初めて手をつないだのは、いつのことだっただろう。

 本当に、とても幼い頃からの付き合いだったから。当たり前のことだった可能性はある。

 だけど、わたしの心の中に強く残っている思い出があるんだ。


 それは、確か小学生の頃だったはず。

 樹くんが走り回るのを追いかけて、わたしが転んで。

 それで、樹くんに追いつけない悔しさと、転んでしまった痛みとで泣いてしまったわたし。

 だけど、樹くんは立ち止まって、振り返って、わたしを助け起こしてくれた。


「このか、大丈夫か? 悪かったよ。お前を置き去りにして」


 そう言う樹くんは、とても優しい顔をしていたような気がする。

 一番記憶に残っているのは、助け起こしてくれた時に握られた手の感触。

 暖かくて、柔らかくて、樹くんがわたしを思う心のようで。

 だから、安心して手を預けられたんだ。


「ありがとう。樹くんは、いつもわたしを待っていてくれるね」


「いや、悪かったよ。このかが追いつけなかったんだからな」


 それからは、ふたりで手をつないで歩いていた。

 樹くんが反省していたのが伝わるのが、わたしに合わせて、ゆっくりと歩いてくれていたこと。

 直前に追いつけなかったからこそ、配慮が強く感じられたんだ。

 その頃には痛みなんて忘れるくらいには、嬉しかったんだよね。


 ああ、わたしと一緒に歩いてくれる人なんだって、心から思えた日のひとつ。

 当時から今まで、ずっと大切にしてきた思い出なんだ。


 樹くんは、何度でもわたしを気にかけてくれた。隣に居させてくれた。

 だから、ずっとずっと、どんな未来でも一緒に居るんだって、疑うことなく生きてきたんだ。


 追いつけなくても、足を引っ張っても、守られるだけでも、大丈夫なんだって。

 何があったとしても、わたしを助けてくれるんだって。

 どんな人が敵に回ったとしても、味方で居てくれる人なんだって。


 わたしは、樹くんに依存していると言っても間違いではなかったと思う。

 樹くんから離れると不安になるし、つい泣いてしまう日もあったくらい。

 だけど、少しでも悲しい時には、駆け寄って慰めてくれる人だったんだ。

 その行動があったから、また次の日にも一緒だって、そう信じることができたんだよ。


 いま思えば、それが樹くんを縛り付けていた。

 わたしの弱さを知っていた樹くんは、守るという考えを強く意識するようになった。

 その流れのせいで、樹くんはゲドーユニオンに立ち向かってしまったんだよ。

 つまり、樹くんが傷ついたのはわたしの罪。分かっていたんだけど、目をそらしていた事実。


 だって、わたしが頼れる人だったのなら、安心して戦いを見守られていたはずだもん。

 そうじゃなかったから、樹くんはゲドーユニオンに挑んでしまった。

 挙句の果てには、左手を折る大ケガまでして。わたしのせいなのに、樹くんを責めてしまった。

 結局は、全部わたしが悪いんだよね。守らなきゃって思わせてしまったわたしが。


 次の日、わたしは樹くんのお見舞いに行った。

 謝りたいという気持ちもあったけれど、樹くんの顔を見て、考えが飛んでしまった。

 まるで気力の抜けたような、抜け殻のような表情をしていたから。

 わたしが、追い打ちをかけてしまったからなのかな。そんな考えが浮かんで、胸が締め付けられるようで。


「樹くん、大丈夫? いや、聞くまでもないよね。ごめんね。わたしが弱かったせいで」


 左手が吊るされていて、とても痛そうだ。わたしの力で、治せなかった傷。

 もっと早くゲドーイエローを倒せていれば、それで良かった。

 そして、もうひとつの道として、癒やしの力で治療できていれば。

 どちらを達成できなかったのも、わたしの力が足りなかったから。弱かったから。

 わたしが弱いせいというセリフに、ウソはないんだよ、樹くん。


「お前のせいじゃない。俺が無謀なことをしたからだ。自業自得だよ」


 本当に沈んだ顔をしていて、自分を責めているのがよく分かってしまう。

 樹くんが元気でいてくれさえすれば、それだけでいいのに。

 わたしの望みは、樹くんの幸せなのに。心が通じていない感覚があるんだ。


「もっとわたしが強かったら、心配しなくて済んだよね。だから、わたしのせいなんだ」


 樹くんは、わたしの言葉を聞いた上でつらそうな顔をしてしまう。

 きっと、強く自分を責めているんだと思う。だけど、そんな顔をするくらいなら、わたしを責めてくれて良いのに。

 どうして俺を守れなかったんだって。なんて、樹くんが言うはずないけどね。

 だからこそ、樹くんが好きになったんだから。悲しいことに。


「自分を責めないでくれ。お前を泣かせたくなかっただけなのにな。俺は間違えてばかりだ」


 樹くんからは、消え去ってしまいそうな気配を感じる。

 かつて感じていた自信は消えてしまって、らしくないとすら思えちゃう。

 わたしに守られるのは、そんなに嫌だったのかな。だったら、わたしの行動の意味は。


「そんなことないよ。樹くんは、何度もわたしを助けてくれた。それだけは、本当のことだから」


 例え、ゲドーイエローとの戦いで間違ったって、消えはしない真実だよ。

 樹くんは、わたしに何度も幸せをくれたんだから。ずっと、温かい心で見守っていてくれたから。


「だからこそ、余計な世話を焼いてしまったんだ。反省すべきだよな」


 樹くんが邪魔だったことは否定できないけれど。それでも、いま目の前にいる樹くんは見ていたくない。

 元気づけるためなら、なんだってしたいと思う程度には。どうしてなんだろう。こんなにも近くにいるのに、手を伸ばしても届かない気がする。


「わたしは、樹くんが元気でいてくれれば、それだけでいいんだ。一緒に居てくれれば、それが幸せなんだ」


 わたしの望みは、こんなにも単純なのに。どうして遠いのかな。叶わないのかな。

 ゲドーユニオンを滅ぼしたって、以前の樹くんは帰ってこない気がする。

 今だって大好きではあるけれど、見ていてつらいよ。樹くんの悲しみは、わたしの悲しみだから。


「ありがとう。お前の幸せを尊重しなかった俺は、バカなことだ」


 樹くんは、完全に自分を責めてしまっているんだ。

 違うよ。わたしが悪いんだよ。でも、そう言ったところで、否定で返ってくるだけだと思う。

 むしろ、余計に自分を責めちゃうんじゃないかって、そんな予感があるんだ。

 樹くんの責任感には、何度も助けられた。だから、好きなところではあったんだけど。

 今では少し困ってしまう。そして、悲しくなってしまう。樹くんが追い詰められているようで。


「気にしなくて良いよ。これまで、ずっと幸せにしてくれたから」


「だからといって、いま苦しめていたら何の意味もない。よく分かっているんだ」


 確かに、わたしは苦しんでいるけれど。樹くんが苦しいのが、わたしも苦しいだけ。

 だから、元気になってくれればそれでいいのに。でも、言葉で言っても無駄なんだろうな。

 樹くんは、ただの慰めで納得する人じゃない。よく分かっているよ。だって、ちゃんとわたしを助けることに、価値を感じる人だから。


「でも、これからは安全なところに居てくれるでしょ? それだけで十分だよ」


 わたしが残りのゲドーユニオンを倒せさえすれば、樹くんとゆっくり過ごせる。

 それだけを楽しみに、全力で戦うんだ。きっと、ゲドーユニオンがいなくなれば、樹くんが悩む原因だって消えるから。

 だって、わたしだけが戦うことに、無力感を覚えているはずだから。

 ただの人間が相手なら、きっと今までみたいにカッコよかったんだろうけど。相手が悪かったよ。


 だから、それで納得してほしいな。自分のせいじゃないって考えてほしいよ。

 わたしは、樹くんが幸せなのが嬉しいんだから。きっと、樹くんだって同じはず。

 お互いの想いは同じなのに、どうしてもすれ違ってしまう。悲しいね。


「分かった。お前に全部任せるよ。情けないけどな」


 樹くんは本当に弱ってしまっている。よほど悔しいのだろう。

 でも、樹くんは生きているだけで価値があるんだよ。分かってもらえないだろうけれど。

 心が通じないと理解できてしまうことが、とても苦しいよ。

 これまでなら、どんな時でも通じ合っていたのに。


「そんなことないよ。樹くんがそばに居てくれるから、わたしは頑張れるんだ」


「ありがとう。絶対に、ケガなんかしないでくれよ。多分、今のお前と同じような気持ちになるから」


 樹くんがケガをしたら泣きたくなるように、わたしがケガをしたら樹くんが悲しい。

 でも、だからといって樹くんには何もできない。それが、つらいんだろうな。

 これ以上に追い詰めないためにも、全力でゲドーユニオンを葬るんだ。


「うん、分かっているよ。絶対に、負けたりなんかしない。どんな敵が相手でもね」


 わたしと樹くんの未来を邪魔する敵だって分かったから、何も遠慮なんてしないよ。

 どんな手を使ったとしても、消し去ってあげるから。たとえ、樹くん以外の何を犠牲にしたとしても。

 わたしの幸せは、樹くんだけなんだから。他のものは、別にいらないよ。


「このかなら、勝てるのだろうな。俺と違って」


 そんな事は、言わないでほしいよ。樹くんは、わたしのヒーローなんだから。

 悲しい顔なんて似合わないよ。いつだって不敵なくらいでも、とっても素敵なのに。


「当たり前だよ。樹くんを思うだけで、力が湧いてくるんだ」


 樹くんは少し考えたような顔をして、それから悲しそうな顔に変わる。

 そして首を横に振って、こちらに向き直ったんだ。


「そういえば、リーベはどうしているんだ?」


 どうして、話を変えるのかな。

 わたしの想いは、邪魔だったのかな。それとも、リーベがいないと間が持たないと思ったから?

 はたまた、リーベに力を求めたかったのだろうか。どれだとしても、嫌な予感がする。

 だけど、リーベとの会話を妨害したら、きっと気付かれてしまう。どうするのが正解なんだろうね。

 結局、本当のことを告げるしか、思い浮かばなかったんだけど。


「一応、呼べば来るとは思うけど。なんで?」


「いや、気になったからな。仮にも、魔法少女の力については中心だろう?」


 樹くんは、命を捧げるとか言い出したりしないだろうか。そんな不安が襲いかかってくるよ。

 わたしの人生は、樹くんでできているんだよ。だから、樹くんの命はわたしの命と同じなのに。

 でも、そんなことを伝えてしまえば、重い女だって思われないかな。

 醜い女だよ。命がかかっているのに、嫌われる恐怖に勝てないんだから。


「分かった。じゃあ、呼んでみるよ」


 リーベと魔法少女は、いつでもテレパシーのようなもので通信できる。

 だから、樹くんとの時間では外してもらっていた。邪魔者になってほしくなかったから。

 それでも、結局は間に入ってきちゃうんだね。樹くんが望んだこととはいえ。


 リーベを呼び出すと、すぐにやってきた。

 本音のところでは、来てほしくはなかったんだけど。仕方ないよね。妨害はできないんだから。


「樹、何の用だい?」


「いや、特に用と言うほどではないのだがな。このかが危険そうなら、どうにか逃がしてもらえないか」


 樹くんは、わたしが危ない局面でどうするのだろう。その考えがある限り、きっと逃げたりしないだろうね。

 だって、樹くんを守ることだけが、わたしが戦う理由なんだから。

 樹くんを置き去りにして逃げて、そんなことをして拾った命には、なんの意味もないよ。


「ダメだよ! わたしが負けるような状況なら、この街にいる樹くんも危ないんだから!」


「実際のところ、特別な力で逃がすことはできないよ。このか自身の力でどうにかするしかない」


 逃げられたところで、樹くんの安全が確保できないのなら、実行する気はない。

 まあ、考えることが減る分、楽なだけだよね。全力で敵を倒せばいいだけ。

 樹くんの命を守れるのなら、どんな道筋でも同じなんだから。


「例えば、魔法少女の力が増える条件があったりしないのか?」


 即座に、樹くんが命を捧げるビジョンが浮かんでしまった。

 樹くんの命を対価にした力で敵を倒して、樹くんのいない未来を生きる。

 想像でしかないのに、震えてしまいそうなくらい怖い。だって、どんな空虚な人生になるか分かるんだから。

 いっそ、死んでしまったほうがマシだと思うよ。それくらいには、苦しい未来だよ。


「命を捧げるのは、絶対にダメだからね! 樹くんが生きてくれなきゃ、何のために戦っているのか分からないよ!」


「当たり前だ。俺だって死にたいわけじゃない。ゲドーユニオンと戦ったのだって、死ぬと思ってなかったからだからな。バカなことだが」


 バカなのは否定できないかな。それでも、樹くんの心は尊いものだよ。わたしを助けようとしてくれたことは。

 だから、自分を追い詰めすぎないでほしいよ。わたしは、樹くんを苦しめたくなんてないよ。

 それでも、もう二度とケガしてほしくはない。だから、戦いは止めるけれど。

 樹くんが傷つくことは、わたしが傷つく以上に痛いんだよ。分かってよ。


「樹くんが無事なのは、奇跡なんだからね。絶対、もう危ないことはしないでね」


「同感だね。ゲドーユニオンの脅威は、思い知っただろう? 無茶な真似はしないことだよ」


 同じ意見なのに、リーベから言われると腹が立ってしまう。

 樹くんの何を知っているのだろうか。心からわたしを心配してくれた人なのに。

 ただでさえ追い込まれている樹くんに、余計なことを言わないでよ。


「ああ、分かっている。自分の限界は、もうわきまえたつもりだ」


 樹くんは弱々しい雰囲気になってしまっている。

 わたしは、ただ樹くんに安全なところに居てほしいだけなのに。

 きっと、自分が情けないって感じているんだよね。

 大丈夫なのに。ただ生きているだけで、わたしの力になってくれるんだから。


「本当に、樹くんが無事で良かった。ゲドーイエローに攻撃された時は、頭が真っ白になったから」


 その後は、とても強い怒りに支配されていた。よく覚えているよ。

 あの時から、完全に殺すことに抵抗が無くなった気がする。

 もし樹くんを傷つける人がいるのなら、死なせても構わない。そんな感情が生まれたんだ。


「話を戻すけれど、魔法少女の力を増すために必要なのは、感情だ。樹。キミは、どうやってこのかの感情に触れる?」


 リーベの言葉に、樹くんは考え込んでいる様子。

 もしかして、告白とかしてくれちゃったりするかな。なんて期待しちゃったりもして。

 わたしが樹くんのことが好きなのは、流石に気づかれていると思うから。

 下手したら、キスなんかされちゃったりして。もちろん、受け入れるよ。


「このか、手をつながないか?」


 そう言われた時、樹くんも手をつないだ記憶を大事にしてくれているのかなって感じた。

 もし違ったとしても、嬉しいことには変わりないんだけどね。

 わたしの心の中には、樹くんの手の感触が残っている。それは、大切に抱えた思い出だから。

 樹くんからしたら、いつも通りにわたしを助けてくれただけかもしれないけれど。

 それでも、思い出すたびに胸が暖かくなるようなエピソードだから。


「うん、嬉しいよ。だけど、どうして? なんてね。話は聞こえているんだから」


 冗談めかして笑ったら、樹くんはしばらくこちらを眺めた後、ゆっくりと手を伸ばしてきた。

 もちろん、手をつなぐよ。左手もつなげたら、もっと良かったんだけどね。

 わたしが弱かったばっかりに、折れちゃった樹くんの左手。罪の証ではあるけれど、今は手の感触で頭がいっぱい。


 ごつごつしてて、暖かくて、大きくて、力強い。

 何度もわたしを助けてくれた手なんだよね。いつも引っ張ってくれて、支えてくれて。

 だから、本人以上に大切なものかもしれない。ずっとずっと、大事にしていきたいものだよ。


 樹くんの暖かさを感じていたら、もっと芯まで味わいたくなったんだ。

 だから頬まで、樹くんの右手を持っていく。包み込まれるような温度が伝わって、胸の奥がじんわりと暖かくなった。

 やっぱり、樹くんは何度でもわたしを幸せにしてくれるね。


 ただの体温だけでも、頭がビリビリするくらいの幸福を味わえる。

 いずれ結ばれることになったら、どんな未来でだって思い出せる記憶になるだろうな。

 きっと、あらゆる感触、匂い、音。何もかもが大切な思い出になるはずだよ。


「樹くんの手、あったかいね。また、こんな時間を作りたいな」


「いつでも、何度でも、構わない。お前が望む限りは、絶対に」


 なら、これから先だってずっと幸せで居られるはず。

 ゲドーユニオンを根絶さえしてしまえば、樹くんとは何だってできるんだから。

 手をつなぐだけで、素敵な気持ちでいっぱいになったんだから。

 告白したその先はきっと、輝いているなんてものじゃないよね。


「約束だよ。ウソだったら、わたしはおかしくなっちゃうかも」


 本当の気持ちだ。樹くんから遠ざけられる苦しみは、きっとどんな不幸よりも深い。

 わたしの幸せは、樹くんだけ。ただそれだけなんだから。

 奪う人は、誰であったとしても許さない。樹くんだとしても。

 ねえ、わたしを裏切ったりしないでよね?


「それは嫌だな。このかが苦しむ姿は、もう見たくない」


 樹くんは、本気でわたしのことを大切にしてくれている。それは伝わるよ。

 だけど、わたしが苦しむ理由は、いつだって樹くんなんだよ。

 いや、樹くんのせいでは無いんだけどね。ただ、樹くんが居ないと、わたしはどうにかなっちゃうだけで。

 樹くんを失う恐怖は、きっと本人にだって分からない。それくらい、大好きなんだ。


「わたしだって、樹くんがケガする姿なんて、二度と見たくないよ」


「ああ、気をつけるよ。これから、ちゃんと身の程をわきまえるから」


 樹くんがダメだなんて、わたしは思っていないけれど。

 だから、自分を悪く言う樹くんは、あまり見たくないんだ。

 わたしにとっては、やっぱりヒーローだよ。だから、ゲドーユニオンが居なくなった後の未来では、自信を取り戻してほしいな。

 だって、わたしを幸せにできるのは、樹くんただひとりなんだからね。


「樹くんが無事なら、何でも良いんだけどね」


「ボクとしては、このかは分かりやすいね。樹の安全が、何より大切らしい」


 当たっているけれど、リーベに言われたらなんとなく腹が立つんだよね。

 まあ、原因には心当たりがあるけれど。ハッキリ言ってしまえば、樹くんが苦しむきっかけを作ったから。

 わたしは、樹くんと幸せに過ごせればそれで良かったんだから。

 根本的な原因はゲドーユニオンだって、分かってはいるんだけどね。感情というのは難しいよ。


「それなら、ちゃんと安全なところにいる。それで、いいだろう?」


 樹くんが安全な場所で待っていてくれるのなら、どれだけだって頑張れる。

 わたしのモチベーションは、すべて樹くんなんだから。

 ただ、樹くんと穏やかな時間を過ごすこと。それができるのなら、他のなにもいらないよ。


「うん。樹くん、ずっと一緒にいようね」


 樹くんは、当たり前のように受け入れてくれるよ。

 だから、樹くんが無事でさえあれば、私の幸せは確定したのと同じなんだ。

 どんな未来でも、樹くんが隣にいる。ただそれだけでいいよ。


 それから帰って少しして。

 樹くんはずっと元気がなかったなって気づいた。

 わたしは手をつなげて幸せだったけれど、樹くんは違うのかなって。

 仕方のないことだとは思うよ。初めての挫折なんだろうし。

 でも、樹くんを悲しませてまで戦う理由ってなんなのかなって、ふと思ったんだ。


 結局のところ、わたしが戦わなきゃ、樹くんだって危ない。それだけの話ではあるけれど。

 でも、戦いの果てに樹くんが遠ざかるのなら、何のために戦っているのか分からない。

 私の望む未来は、樹くんと幸せに過ごす未来だけだから。


 だから、樹くんは絶対に手放さない。

 それでも、彼の方から近づいてきてほしいよ。逃げるなんてことは、許さないけどね。

 わたしのそばにずっといた責任は、取ってもらうからね。


 新しい決意を固めて、その次の日。

 樹くんの通っている病院にガベージが襲いかかったってリーベに言われた。

 すぐに、頭が沸騰したような感覚があったよ。

 樹くんが傷つく可能性があるのなら、絶対に許さない。

 どんな手を使っても、何を犠牲にしても、殺し尽くしてやる。そう決めていた。


 全力で病院に向かって、すぐに戦いの準備を終える。


「前を向いて生きようとする人々の邪魔をすることは、このブロッサムドロップが許しません!」


 なんて言いながら、頭の中には樹くんのことしか無かったんだよね。

 人々の存在なんてどうでも良くて、ただ樹くんを傷つけようとする存在が許せなかっただけ。

 こんな感情が知られたら、樹くんには嫌われちゃうかもね。だから、頑張って隠すよ。


 あたりにうろつくガベージ達を素早く始末して、様子を見る。

 どうせ、四天王とやらが出てくるだろうからね。今までの流れで、簡単に想像できる。

 何者が相手だろうと、さっさと片付けるだけ。それだけでいいんだよ。


 それから現れたのは、緑色の怪人。もう見慣れたものだよね。

 正直、どんな能力をしてようが知ったことではないよ。すぐに殺すから。


「オイラはゲドーグリーン。この病院は、ゲドーユニオンが破壊するよー!」


 つまり、樹くんのいる場所に被害を出すってこと。

 そこまで考えがおよんだ時、ゲドーイエローに傷つけられた樹くんの姿が思い浮かんだ。

 あの時と同じようにしようだなんて、死んでも許されない罪だ。

 わたしの中で、強い怒りが吹き上がってくる。殺意だけで心が埋まりそうなくらい。


「そんな事、許しません!」


 ゲドーイエローの時と同じ力が使えると、心で理解できたよ。

 そして、すぐに黒くなったリボンを敵に放つ。

 ゲドーグリーンを包み込んだ後、全力で痛めつけていったんだ。

 全身がボロボロになっていたけれど、当然の報いだよね。

 樹くんを傷つけるなんて罪、どんな地獄を感じようとも許されないよ。


 なんだか悲鳴も聞こえた気がしたけど、どうでもいいかな。

 樹くんは、わたしを心配そうに見ているけれど。

 その気持ちは嬉しいけれど、でも気にしてないんだよね。

 ただ、私が他人をどうでもいいと思っている事実が、樹くんに知られちゃったら。

 もし嫌われたら耐えられないし、不信感を抱かれるだけでもつらいよ。


 樹くんに、人の命をなんとも思ってない人だって見られたら、耐えられない。

 だって、いつでも素敵な存在だと思ってほしいから。

 頼りにならないって思われるのは、仕方なくはあるけれど。

 可愛くないって思われたら、もうおしまいだよ。


「ブラック様、ごめん。ブロッサムドロップには、勝てなかったよ……」


 残りは、ゲドーブラックだけなのだろうね。四天王をすべて倒したんだから。

 何が何でも皆殺しにして、樹くんと穏やかな日々を過ごす。それだけでいい。

 ゲドーユニオンなんて、1人だってこの世に残っていなくて良いんだよ。

 何者かだって、どんな目的があるのかだって興味なんて無い。

 とにかく、わたし達が幸せになるのに邪魔なんだ。それだけで、万死に値するんだよ。


「ゲドーユニオンの悪逆は、私が打ち砕きます」


 生きている事自体が、悪なんだよね。わたしが樹くんとの時間を奪われるんだから。

 だから、必ず葬り去ってあげるね。樹くんとわたしの幸福のために。

 わたし達が結びつくための土台になれるんだから、光栄に思ってほしいな。


 なんだか、樹くんが心配そうな目で見てきている。

 やっぱり、わたしは頼りないのかな。それとも、恐れられちゃったのだろうか。

 どちらにせよ、樹くんの心が離れるのなら、わたしはすべてを失ってしまう。

 その恐怖は、背筋に氷を当てられた時以上の寒気を運んできたんだ。


 結局、樹くんが検査の結果を受け取るのにはついていかず、ひとりで帰ることにした。

 それから、ひとりで今日を振り返っていると、ある考えが思い浮かんだんだ。

 内容は、これから先の未来で樹くんと元の関係に戻れるのかなってこと。

 ふと浮かんだだけなのに、今日感じた強い寒気を、はるかに上回る凍えがやってきた。

 日本から出たことはないけれど、北極や南極はこんな感じなのかなって。


 とにかく怖くて、逃げ出せる場所があるのなら逃げていたよ。

 樹くんと、これから先の関係が結べない。そんな可能性は想像だってしたくないのに。

 だけど、具体的なイメージが浮かんでしまった。

 ちょっとギクシャクしたまま、だんだん遠ざかってしまうような光景が。


 ふと気づくと手のひらに水のような感触があって。

 涙を流したのだと、後から理解できたんだ。

 当たり前のことではあるよね。樹くんを失う可能性が思い浮かんだら、泣いてしまうなんてことは。


 でも、これ以上考えたらダメだ。ゲドーブラックを倒すために、立ち上がれなくなってしまうよ。

 だから、今はこの気持ちにフタをしよう。これからの日々に、希望があると信じて。

 樹くんと結ばれるために、その先の未来を幸せに過ごすために。

 それだけが、わたしの力になってくれるから。


 ねえ、樹くん。お願いだよ。

 たとえふたりの関係が変わったとしても、ずっと好きでいてよ。

 そうじゃないと、わたしは生きていられないんだ。

 わたしが感じる幸せは、ぜんぶ樹くんでできているんだから。


 いま、隣に樹くんがいてくれたのならな。きっと、涙だってこらえられたのに。

 ずっとそばに居てよ。温めてよ。それだけで、生きていけるから。どれだけでも強くなれるから。

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