愛梨はSランクダンジョンで待っているという。
なら、急いで向かわなければならない。
どんな真実が待っているにしろ、どんな未来が待っているにしろ。
僕は愛梨と向き合う必要がある。
ダンジョンという大問題を引き起こしたというのは本当なのか。
本当だとして、僕を英雄にするためというのはどういう意味なのか。
これまで僕は、愛梨を守るためだけに戦ってきた。
その姿を見て、笑っていたのだろうか。
僕がやるべきことは、ダンジョンを終わらせること。
だけど、全部愛梨のためだったのに。結局、僕は踊っていただけなのだろうか。
考えをまとめたいけれど、どうすれば良いのか分からない。
今まで信じていたものが、全て壊れたような感覚だから。
愛梨は、僕を英雄にしてどうしたかったんだろう。
Sランクダンジョンで待っているのは、どれくらいの期間なのだろうか。
そもそも、愛梨は人間なのだろうか。
疑問ばかりが頭に浮かんで、まったく整理できない。
1日かけて考えて、1人では無理だと判断した。
それで、夏鈴さんに相談することに決めた。
加藤さんも候補ではあったんだけど、警察として動く気がしたから。
愛梨をどうにかしろと言われて、僕はどうするのか分からない。
それで、夏鈴さんが良いだろうと。
他に親しい人は居ないので、選択肢が少ないこともあるけれど。
僕が相談できる相手は、夏鈴さんと加藤さんくらいだ。
これまでは、愛梨に相談していたんだけどな。
夏鈴さんに連絡して、僕の家に来てもらう。
そして、悩み事を話していった。
「えっと、幼馴染がダンジョンを発生させたって分かったんだ。それで、どうしたら良いのかなって」
「それって、プレゼントを贈った人ですよね。その人が、黒幕だったってことですか? というか、なぜ分かったんですか?」
「うん。そういう話らしい。本当なのかも分かってないけれど、愛梨はSランクダンジョンで待ってるって書き置きを残していて」
「私にも、何が正しいのかなんて分かりません。優馬さんは、どうしたいんですか?」
僕がやりたいこと。愛梨ともういちど笑い合いたい。
だけど、ダンジョンの犠牲者や、真実を知った人が許すかどうか。
それに、これから先、僕はこれまでのように愛梨と話せるのか。
根本的な問題として、ダンジョンを攻略しても、愛梨は無事なのか。
とにかく何も分からなくて、心の整理がつかない。
分かっているんだ。愛梨を殺してでもダンジョンを終わらせるのが正しいって。
それが、今までの被害に対する責任の取り方だって。
でも、僕は愛梨と一緒にいる時間だけが幸せだったんだ。
それを失ってまで、生きる意味はあるのだろうか。
どうすれば良かったのだろう。愛梨ともっと話しておけば良かったのかな。
「本音では、愛梨ともういちど平和に過ごしたいよ。だけど、夏鈴さんだって、ダンジョンに両親を殺されている。だから、ワガママでしかないよね」
夏鈴さんは、穏やかな顔で首を横に振る。
その後、僕の手を取ってゆっくりと語りかけてきた。
「優馬さんは、もっとワガママになって良いんです。私のことを、命がけで助けてくれた。それだけで、あなたは幸せになる権利がある。幸福になってほしいんです」
「だけど、全部愛梨のせいで……」
「私は、優馬さんと出会えて良かった。だから、悪いことばかりじゃなかったんです。それに、真実は秘密にしておけば良いんですよっ」
確かに、夏鈴さんが信じてくれたのが不思議なくらいには、荒唐無稽な話ではある。
だから、隠しておけば誰にも気付かれはしないだろう。
でも、それでいいのだろうか。罪ではないのだろうか。
「ありがとう。まだ答えは出ないけれど、少しは気が楽になったよ」
「それなら良かった。ねえ、優馬さん。あなたがどんな選択をしたとしても、私だけは味方ですからねっ」
夏鈴さんの強い瞳を見ていると、本当のことだと思える。
僕がこれからどうするにしろ、味方で居てくれる人か。ありがたいな。
愛梨と僕がどうなったとしても、夏鈴さんにはお礼を言おう。
きっと、喜んでくれると思えるから。
「決めた。僕はこれからSランクダンジョンに向かうよ。どんな結果になるとしても、決着を付けてくるから」
「はい。応援していますっ。必ず、無事に帰ってきてくださいねっ」
僕が無事に帰ってくることを祈ってくれる人は、愛梨だけじゃない。
それだけで、わずかに心が軽くなった。
これからつらい現実に立ち向かうための勇気をもらえた。
Sランクダンジョンへの門をくぐると、火狩町に似た景色があった。
アスファルトの地面、見覚えのある建物、空気。
僕と愛梨の全てに答えを出すための場所として、ふさわしいよね。
まあいい。これからも、モンスターが襲いかかってくるはず。
剣を構えながら、一歩一歩進んでいく。
スライムが現れたり、ゴブリンが出てきたり、ゾンビがやってきたり。
とにかく、これまでの敵の総決算のようであった。
知っているはずの光景が、まるで違うものに思える。
当たり前ではあるんだけどね。同じ景色だとしても、ダンジョンの中と外だ。
こうして戦っていると、初めてのスタンピードを思い出すな。
愛梨がスライムを発見して、僕は愛梨を守るために戦った。
黒幕が愛梨だという前提だと、僕を戦わせるために用意されたのだろう。
それでも、あのスタンピードでは大勢の犠牲が出た。
ただ僕を戦いに挑ませるためだけに、沢山の人を殺す。
愛梨がやったことは許せないという思いはある。
それでも、ダンジョンを終わらせるために愛梨を殺せるのかというと、難しいだろう。
愛梨を守るために武器をとって、愛梨を止めるために武器を振る。
いま感じているものは、なんとも言葉にしがたい。
結局のところ、僕はピエロでしかなかったのだろうか。
愛梨を好きだという感情を、ただ利用されていただけなのだろうか。
諦めている僕と、今でも信じたい僕がいる。
モンスター達を倒しながら進んでいくと、よく知っている場所にたどり着いた。
僕と愛梨が、犬に襲われた所。懐かしさを感じていると、結界に囲まれる。
そして、景色が切り替わっていった。
真っ白な空間に、ひとつだけ大きな試験管のようなものがある。
その中に、真っ赤な塊が入っていた。なんだろうか。
考え事をしていると、後ろから声が聞こえる。
「ねえ、優馬君。さっきの景色、よく覚えているよ。あなたが私を助けてくれたところだよね」
覚えてくれているという嬉しさがある。
そういえば、あの日から愛梨と仲良くなった記憶があるんだよね。
当時の愛梨は、何を考えていたのだろう。
生まれ変わったとして、記憶を持っていたのだろうか。
そうだとして、僕をどう見ていたのだろう。助けたことを、どう思っていたのだろう。
いったいいつから、ダンジョンを発生させることを計画していたのだろう。
疑問ばかりが頭に浮かんで、だけど言葉が出てこない。
愛梨は僕に何を望んでいるのだろうか。知りたいような、怖いような。
英雄というのは、いったいなにを指すのだろう。
「優馬君が、私を犬からかばってくれた。自分だって怖いのに。だから、私はあなたを好きになったんだ」
それで、好きな相手を英雄にするために、ダンジョンを生み出す。
狂っているとしか言いようがない。僕は好きな相手に絶対に同じことをしない。
どれだけの犠牲が出たと思っているのだろう。どれだけ僕が苦しんだと考えているのだろう。
絶対におかしいとしか思えないのに、それでも愛梨を嫌いになれない。バカだな、僕は。
だって、好きと言われて嬉しいと感じてしまうのだから。
その言葉を出す時の笑顔に、見とれてしまっていたのだから。
「ねえ、優馬君。ダンジョンを終わらせる方法、教えてあげようか。私を殺せば良いんだよ」
泣きそうな顔で愛梨は告げる。
今の表情は、どこまで本当なのだろうか。そんな疑いがある。
だって、初めてのスタンピードの時、愛梨はモンスターに怯えた顔をしていた。
愛梨がダンジョンを発生させたのなら、恐れる理由なんてないはずなのに。
これまでの愛梨のセリフは、敵と考えるには十分なもの。
そのはずなのに、まだ殺す勇気が出てこない。
全部ウソだったって愛梨が笑って、これまでの日々が戻ってくるという希望を捨てられない。
そもそも、人を殺したくなんてないんだ。
愛梨が悪だったとしても、知らない人だったとしても。
かつて刀也が殺しにかかってきても、僕は殺せなかった。
そんな僕に、最愛の人である愛梨を殺せるはずがない。
だけど、ダンジョンという災害では犠牲者が出ている。
これからもダンジョンが残ったままなら、危険だって消えない。
僕の役目は、ダンジョンを終わらせること。
だって、加藤さんに託されたから。僕だけが、Sランクダンジョンまでたどり着けたから。
分かっているのに、どうしても武器を構えることができない。
そんな僕に、愛梨は微笑んでくる。
「優馬君は、私を殺したくないと思っているんだね。嬉しいな。そんなあなただから、英雄にふさわしいと考えたんだよ」
「僕は英雄になんてなりたくなかった! ただ愛梨と一緒に過ごせていれば、それで良かったんだ!」
「私だって、本当の気持ちは同じだったよ。でも、もう戻れないんだ。私が一歩、踏み出してしまったから」
だとすると、愛梨を殺さなければダンジョンは消えない。
そんな事があってたまるか。なんのために、僕はこれまで戦ってきたんだ。
愛梨を殺すため? そんなの、残酷すぎるじゃないか。
どうすれば良いのか、分からない。なにも動けないでいる僕に、声が届いた。
「優馬さん、あなたの選択はふたつにひとつ。ダンジョンが存在することを受け入れるか、そこのコアに繋がっている愛梨を殺すか。どちらを選んでも、責めはしません」
声の方を向くと、ディアフィレアの姿があった。
つまり、愛梨の言葉は本当なのだろう。
ダンジョンが存在するままなら、夏鈴さんの両親のような犠牲者が出る。
愛梨を殺せば、僕は大好きな人を永遠に失う。
こんなのってないよ。どちらを選んでも、何かを諦めるしかないなんて。
いや、待って。そこのコアってのは、大きな試験管の中にある、赤いものだよね。
だったら、コアを壊せば、愛梨は死ななくて済むかもしれない。
わずかな希望でしかないけれど、せめてあがくことができたなら。
愛梨も死んでしまうかもしれない。ダンジョンだって、壊れないかもしれない。
それでも、どちらも救える可能性は、いま思いついた可能性だけだろう。
なら、他の選択肢なんて無いのと同じだ。何もつかめないのだとしても、理想に向かって進みたいから。
僕は剣を構えて、試験管へと駆けていく。
「よくぞ、その選択をしてくれました」
女神の声が聞こえる。なら、間違っていないのかもしれない。そんな勇気が出た。
そして、全力で剣を叩きつけた。もし間違っていたとしても、この選択を後悔しない。
せめてもの、僕の希望だから。自分で考えた結果だから。
コアは切り裂いただけなのに、粉々に砕け散っていった。
そして、試験管ごと消え去っていく。
愛梨はどうだろうか。そちらを見ると、胸を押さえて苦しんでいる様子だった。
思わず駆け寄っていく。そして、愛梨の顔を覗き込む。
「あはは……優馬君は、私を殺せなかったんだね。でも、結果は同じ。私はダンジョンと命運をともにする。だから、せめて。キスしてくれないかな。そうすれば、私は満足して行けるから」
迷いはしなかった。愛梨の望むままに、キスをする。
涙であまり顔が見えなかったけれど、愛梨は笑ったような気がした。
「ありがとう。そして、サヨナラだね。優馬君と出会えて、私は幸せだったよ」
その言葉を最後に、愛梨はモンスターのように消えていく。
カランと音がして、そこには僕が贈ったハート型のロケットが残っていた。
ああ、本当に大事にしてくれていたんだな。そう思えたけれど、悲しいだけだった。
「優馬さん、こちらに来てくれませんか……?」
そう言われて振り向くと、ディアフィレアの姿も薄れていた。
どういうことだ。女神だって、僕の選択を喜んでいたのに。
ディアフィレアの元に向かうと、彼女は柔らかく微笑んだ。
「優馬さんなら、きっと最後まであがくと思っていました。あのコアは、私の力の根源。だから、私の力で生まれたダンジョンも愛梨も、そして私も消える」
「なら、どうして止めなかったんですか!」
「これが罰だからです。私は愛梨に力を与えたことで、多くの不幸を招いた。その責任を取っただけです」
「それで、この世界はどうなるんですか?」
「あなたは優しい子。巻き込まれる人を心配しているのですね。大丈夫。神がおらずとも、世界は回ります」
そんな事を言いながら、ディアフィレアは僕の頭を撫でていく。
全く嬉しくない。結局は、僕は全てに踊らされていただけ。
そして、愛梨とディアフィレアを殺してしまっただけ。
どうしてみんな、僕を選んだりなんてしたんだ。そうじゃなきゃ、もっと良い未来だったかもしれないのに。
「優馬さん、生きてください。あなたが覚えてくれているのなら、愛梨も私も報われる」
愛梨と同じように、ディアフィレアも消えていく。
そして、地震のような揺れが起こりだした。
きっと、ダンジョンが消えていくのだろう。僕も脱出しないと。
僕の手に残ったロケットを握りしめながら、全力で走っていく。
そして脱出し終えた頃に、門が消えていった。
その姿を見ていた門番と、少しだけ会話をして。
門番がどこかへ報告するのを見てから、家へと帰る。
そこでは夏鈴さんが待ってくれており、僕の顔を見て悲しそうにしていた。
きっと、愛梨と一緒に帰ってこなかったことで、状況が理解できたのだろう。
「優馬さん、お疲れ様でした。ゆっくりと、休んでください。あなたは私のヒーローなんですよっ」
慰めてくれているのだと思う。だけど、あまり反応する元気が出てこなかった。
「また、会いにきますねっ。悲しいでしょうけど、私はあなたの前から消えません。それだけは約束しますっ」
「ありがとう。夏鈴さんが居てくれたおかげで、だいぶ気分が楽になったよ」
「それは嬉しいですっ。優馬さんがもっと楽になれるように、頑張りますねっ」
夏鈴さんと出会えたことは、せめてもの救いだったな。
ただダンジョンを攻略していただけだったら、僕は失っていただけだった。
それでも抑えきれない悲しみとともに、夏鈴さんが去った後は、涙を流しながら眠っていった。
次の日には、ダンジョンが消えたとニュースになっていた。
とある高校生によって攻略されたと解説されていて、名前が出なくて良かったと安心するばかり。
愛梨を失ったばかりの僕は、周りが騒がしくなるなんてゴメンだったから。
ただ、加藤さんはささやかな祝いの席を用意してくれるらしい。
僕の知り合いを誘って良いから、少しくらいはねぎらいたいのだと。
それで、夏鈴さんと向かうことにした。
僕達三人だけで集まって、ダンジョンについて話していく会。
変に持ち上げられもせず、騒がれもしない。心地よい空間ではあった。
「優馬君の活躍を祝して、乾杯だ」
グラスを上げて、ゆっくりとジュースを飲み干していく。
悲しみが消えたわけじゃないけれど、生きている実感は得られる。
愛梨は居なくなったけれど、僕は生きていくことができる。そう思えた。
「優馬さんは、本当に頑張ってくれましたっ。誰がなんと言おうとも、最高のヒーローですよっ」
「今のところは、私達だけが知っている事実だな。優馬君とて騒がれたくないだろうから、配慮させてもらったよ」
「ありがとうございます。騒ぎになっていたら、うんざりだったでしょうね」
「それでも、君には名声を得る権利がある。望みさえすれば、いつでも真実を明かそう」
「いえ、大丈夫です。僕は、ただひとりの人として生きていく。それでいい」
実際、僕の悲しみを知らない人に持ち上げられても、嬉しくはないだろう。
加藤さんは、知り合いだから例外ではあるけれど。
愛梨は行方不明ということになっているし、今のところは葬式も行われていない。
だから、僕の心を理解してくれる可能性があるのは、夏鈴さんだけだ。
「なら、生活に困ったら、いつでも言ってくれ。それくらいは、私の権限でどうにでもなる。知られざる英雄が飢えるなんて、望むところではないからな」
「分かりました。ゆっくりと考えます。あまり頼りすぎると、堕落してしまいそうですから」
「君はえらいな。君に後を託したことは、確かに正解だったよ」
「ありがとうございます。これからも、たまには会いましょう」
「そうだな。夏鈴さんと言ったか。君も、よろしく頼むよ」
「はいっ。優馬さんは、私が支えますからっ」
祝いの席は、少しだけ心を上向きにさせてくれた。
しばらくして解散した後も、夏鈴さんは僕についてくる。
そして、僕の家で話をしていた。
「ねえ、優馬さん。愛梨さんに手を合わせませんか? 私達だけでも、祈ってあげましょうっ」
「そうだね。本当のことを知っているのは、もう僕達だけだから」
僕の写真が入っていたロケットを握って、愛梨に向けて祈る。
ねえ、愛梨。僕はこれからも生きていくよ。愛梨との思い出を抱えながらね。
夏鈴さんも、加藤さんも、きっと僕を支えてくれる。
だから、愛梨の分まで幸せになってみせるよ。
それが、せめてもの弔いになると信じているからね。
僕を大好きだって言ってくれた愛梨への。
さよなら、愛梨。これから先も、ずっと忘れないから。