有罪宣告 紗央里
島崎はノートパソコン一台を抱えてタクシーを降りた。
「はぁ、東京じゃ考えられない広さだな」
赤松が枝を伸ばす門構えは
(これは!)
年老いた女性は手伝いの者だと言ったがその年齢では玄関先から門まで5分掛かってもおかしくはない距離だった。
(広すぎるだろう)
粒の揃った砂利を踏み締め左右を見渡すと見事な
(見事な日本庭園、手入れも行き届いている)
建て付けの良い檜の格子戸を開けると目に飛び込んで来たのは樹齢100年はあろうかという年輪の置物だった。
(なんて事だ)
「旦那さま、お客さまがお待ちです」
「分かった」
深く落ち着いた声の男性が鶴の絵が描かれた
「あなたが弁護士の」
「はい、島崎と申します」
島崎の名刺を受け取った紗央里の父親はその顔と名刺を交互に見た。
「で、東京の弁護士さんがうちの娘になんのご用かね」
「金沢に住む同僚に依頼されてこちらに伺いました」
「その弁護士さんのお名前は」
島崎は大智の名刺を座敷机に置いた。
「ふむ、仙石大智、これはなんと読むのかね」
「だいちです」
「仙石、何処かで聞いた事があるな」
紗央里の顔色が一瞬で変わった。
「大学病院外科医の仙石吉高氏ではありませんか」
「あぁ、そうだ仙石くん」
「はい」
「仙石くんのご兄弟か」
「はい、
「それで島崎さんのご用件は一体どのような」
島崎はパソコンを起動させると紗央里の父親に液晶モニターを向けた。そこには点滴パックの段ボール箱が映し出された。
「ご覧ください」
「これが、これがどうしましたか」
父親は画面に顔を近付けると訝しげな顔をした。
「佐藤教授、これは大学病院で使用されている点滴パックの段ボール箱でお間違いないでしょうか?」
父親は一瞬考えたが首を縦に振った。
「間違いない。ただこの点滴は隣の国立病院でも使っている。」
「そうですか」
「そうだ」
次に島崎は腹を引き裂かれた猫のぬいぐるみを指差した。その不気味さに父親は顔を
「悪趣味な悪戯だな」
大写しにしたぬいぐるみの中に黒い物が見えた。「これはなんだね」と指を差すと島崎は胸のポケットから小分けのジップロックに入れた黒いカードを目の前に差し出した。それには金のボールペンで
「なんだこれは」
父親が手を伸ばすと島崎はそれを素早くポケットに仕舞い「これは重要な証拠となりますのでお渡しする事は出来ません」と一蹴した。
「なんの証拠だ」
「
「脅迫罪、脅迫罪だと?」
「はい、この段ボール箱を受け取った被害者の方は精神的苦痛を強いられました」
「そ、それがうちの娘となんの関係があるんだ」
島崎は仙石吉高宅の玄関先に設置した防犯カメラの動画を見せ、犯行に使用されたレンタカーのナンバーを示した。防犯カメラには宅配便ドライバーが先程の段ボール箱をその家の住民に手渡し玄関先に停車してあった軽自動車に乗り込む場面が鮮明に映っていた。
「宅配便業者じゃないか」
「宅配便業者がレンタカーを使用するとは考えられません」
「確かに、そうだが!」
座敷机には紗央里の免許証の写しとレンタル受付書類のコピーが置かれ、紗央里はそれを中腰で覗き見ると両手で口を覆った。
「これは金沢駅東口のレンタカー会社を紗央里さんが利用した履歴になります。使用した車種、色、ナンバープレート、レンタルされた日付は先程の段ボール箱を配達した時間帯と合致しました」
父親の形相が変わった。
「どう言う事だ!」
「我々は紗央里さんが宅配業者を装いレンタカーを利用し被害者宅にこの段ボール箱を持ち込んだのではないかと考えています」
「まさか!」
「証拠は揃っています」
「紗央里が人様にその様な悪戯をする理由がない!」
「悪戯ではありません。脅迫です」
父親が背後を振り向くと紗央里は微動だにせず畳の
「なんの理由があってーーー!」
「佐藤教授、落ち着いて下さい、もう2、3お伝えしなければならない事があります」
島崎は先程とは異なるファイルフォルダをクリックした。液晶モニターに映し出されたのはデジタルカメラで撮影されたと思しき画像だった。1枚目は白杖を突いたベージュのスニーカーの爪先、次は横断歩道、レンガ路の教会、児童公園の風景、笑顔の子どもたちがブランコに乗っていた。
「こ、これは」
画面はやや傾いているが樹の下のベンチに
「さ、紗央里」
「この画像に写っている女性は佐藤教授のお嬢さん、紗央里さんでお間違いありませんか?」
「間違いーーー無い」
父親は画像を食い入るように見た。
「だが、この画像はおかしいじゃないか!何故動かない!これは
島崎は1枚目の画像を指差した。
「これは白杖、ご存じの通り目が不自由な方が使われる棒です」
「そ、そうだが」
「この方は女性で毎朝同じ時間帯に同じ経路を白杖を頼りに散歩されます」
「そうか」
「趣味はデジタルカメラで風景を撮影する事です」
「
その言葉に島崎は怒りを覚えた。
「はい、ご自身が通られた経路を家族に見せる為だとお伺いしました」
「それが紗央里となんの関係があるんだ!」
父親の語気が強くなり島崎を見据えた。
「この公園には4組の親子連れが遊んでいました。その誰もがお嬢さんが白杖を手にした女性を突き飛ばしたと証言しています」
「ーーーまさか」
「その女性は意識を取り戻しましたが大学病院に入院中です」
「ーーーまさか」
島崎は父親の顔を睨みつけるとその罪状を口にした。
「傷害罪になります」
「しょ、傷害罪」
「今のところ警察は動いてはいませんが最悪、罪に問われます」
「まさか、傷害罪などうちの娘に限って!それは
「目撃者がいます」
「そ、それに紗央里が脅迫や傷害などする必要が何処にある!」
「ーーー此処にあります」
次のファイルフォルダを開く瞬間、紗央里はパソコンから目を背けた。島崎にも幼い娘が居る。親心だろう、佐藤教授がそれで納得するのであれば最悪のカードは伏せておこうと思った。先ずは紗央里が吉高の自宅に入る瞬間、吉高がそれを笑顔で招き入れる画像だった。
「これは誰の家だ」
「仙石吉高氏のご自宅です」
「これは紗央里だが、夕食にでも招かれたのか?」
「吉高氏と奥さまは只今別居中です」
「どういう意味だ」
「この家には仙石吉高氏とお嬢さま、2人きりです」
父親は紗央里に振り返った。
「どう言う意味かお分かり頂けるでしょうか」
「上司と部下が食事を一緒にする事だってあるだろう!」
次に何度も家を訪ねる画像、朝帰りと思しき画像も提示した。
「これは、他の看護師も居たんじゃないか?」
父親は自分に言い聞かせる様に島崎が提示するカードを次々と否定した。
(ーーー困った人だな)
島崎は玄関から出て来た2人の動画を再生した。そこには高級車に乗り込む娘が仙石吉高と重なり合う姿が映った。
「こんな逆光じゃ分からん!言い掛かりだ!」
「佐藤教授」
「なにも見えん!」
(ーーー最悪だ)
腕組みをして全てを否定する父親を気の毒だと思った島崎はパソコンの液晶モニターを自分に向け吉高の寝室での情事を
「別居中なんだろう!」
「はい」
「大人の付き合いだ、恋愛は自由だ!」
「これが真っ当な大人のお付き合いだと仰るんですか?」
「そうだ!」
島崎は大きくため息を吐いた。
「ではご覧下さい。職場内での行為は真っ当な大人のする事でしょうか」
「しょ、職場」
「外科のナースセンターでは仙石医師とお嬢さまのお付き合いは以前から噂されていたとの報告があります」
「そんな事は聞いた事は無いぞ!」
「ご本人や関係者に面と向かって言う人間など居ませんよ」
島崎は最悪のカードを父親に突き付けた。パソコンの液晶モニターを父親に向けると動画の再生ボタンをクリックした。薄暗い部屋がカルテ保管庫である事はすぐに分かった。カメラレンズの角度が横に移動すると淫らに絡み合う男女の姿があった。父親は老眼鏡を取り出しその顔を見た。
(仙石だ)
喘ぐ女の顔は紛れもなく娘だった。職場での淫行、心臓が強く掴まれ息苦しさが父親を襲った。
さお、紗央里、中に出して良いのか
あっ
赤ん坊が出来たんだろう
後頭部が殴られた様な気がした。質の悪いアダルトビデオに出演している俳優は部下と娘、吐き気を覚えた。そして気が付いた。
「赤ん坊!紗央里、赤ん坊が出来たのか!」
「お、お父さん」
「なにをやっているんだ!」
ところが父親は娘を叱咤する事も頬を叩く事もなく島崎へ振り返るとパソコンを両手で掴み大きく背を仰け反らせた。それには島崎も度肝を抜かれたがあくまで平静を装った。
「そのパソコンを破壊してもデータは他のパソコンに保管されています。無駄な足掻きはお止めになった方が宜しいかと」
「ぐぐぐ」
「不貞行為、傷害罪、脅迫罪に佐藤教授の器物損壊も含まれる事になりますがそれでも宜しければお好きにどうぞ」
父親はパソコンを座敷机に置くと力無く座り込んだ。
「お嬢さまが段ボール箱を送りつけたお相手も、公園で突き飛ばしたお相手も同一人物で仙石吉高氏の奥さまです」
「ーーーそうか」
「奥さまは警察には訴えず示談でと仰っています」
「示談」
父親の視線は虚だった。
「不貞行為に拠る精神的苦痛に対しての慰謝料は300万円、傷害罪示談金は80万円、脅迫罪示談金は10万円、お支払いお願い致します」
「390万円」
「はい」
「金額に不服があれば家庭裁判所で争う事になります」
「390万円」
「お受けいただける様でしたら公証役場で公正証書の作成をお願い致します」
「390万円、分かった」
紗央里の顔は真っ白で血の気が引いていた。
「佐藤紗央里さま」
「は、はい」
「職場での淫行、不貞行為は罪に問われる可能性があります」
「罪、ですか」
「最悪の場合懲戒解雇かと思われます」
「ちょ、懲戒解雇、クビですか!」
「万が一、解雇を免れたとして今後も大学病院で働き続ける勇気がお有りでしたら頑張って下さい」
「ど、どう言う事?」
「ナースセンターや医局の皆さんもご存じですよ」
「そんな」
島崎はパソコンを静かに閉じた。