目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報
第4話 宅配便

 明穂は母親に大智からの手紙の朗読を願い出た。3年前の手紙にはアパートが決まらず困っている、その日暮らしで辛いなど如何にも後先考えずに渡航した泣き言がつづられていた。


「それはそうよね」


 ただ2年目には住居も定まり生活に余裕が出来たらしく勉強し直していると書かれていた。


「お母さん、勉強し直すってなに」

「まさか算数ドリルじゃ無いわよね」

「流石に大智でもそれは無いよね」

「アメリカで算数ドリル?」

「意味あるの?」

「さぁ」


 大智も吉高と同じ遺伝子でていを成している。地頭じあたまは良かったのだろう。便箋には試験を受けて合格した。今度面接を受けるとあった。


「面接ってハンバーガーショップとか」

「なんでハンバーガーなの」

「アメリカだから」

「あぁ、アメリカだものね」


 2社落ちたが3社目で採用された。


「あぁ、採用良かった」

「これで食べ物には困らないわね」

「なんで」

まかないとか無いの?」

「ハンバーガー、ぶくぶく太っていそうね」

「残念なイケメンね」


 奪いに行く、待ってろ。


「奪う?待つ?なにが」

「主語述語が無い辺りが大智くんらしいわね」

語彙力ごいりょくがね」

「残念なイケメンだったわよね」


 次の封筒を開いた母親の顔が赤く色付いた。


「なに、なんて書いてあるの?」

「読んでも差し支えないかしら」

「差し支えもなにも、吉高さんは読んだんでしょう?」

「そうね、そうね、明穂、驚かないで頂戴ね」

「なによ大袈裟な」


 明穂、愛している。


 母親は便箋を持ったまま床に突っ伏して笑いを堪えている様子だった。明穂の顔も赤く色付き心臓は飛び跳ねた。


「お、お母さんこれって不倫になるの」

「なる訳ないでしょう!手も握っていないのに!」

「じゃ、浮気?」

「知らないわよ!」


 そして最後の封筒を開けた母親は明穂の顔を凝視し、カレンダーを二度見した。


「明穂」

「なに」

「明後日帰って来るって」

「誰が」

「大智くん」

「はぁー?大智が!」


 明穂の窮地に算数ドリルで勉強をし直しハンバーガーショップに採用された大智が日本に帰って来る。

 母親は仙石の家に大智が戻ったら知らせると言い残し玄関の扉を閉めた


(大智が帰ってくる!)


 この状況で両家の内情を知っている大智の帰国は心強かった。これで仙石の義父母や実家の両親に穏便に離婚の原因を性の不一致などと無難な理由を付けて協議離婚の席に着く事が出来る。


(私が我慢すれば全て丸く収まる)


 そうすれば医師である吉高の名誉を傷付ける事なく、幼い頃から弱視の自分を実の娘のように可愛がってくれた仙石家と田辺家はこれまでと同じ様に付き合いを続ける事が出来るだろう。


(悔しいけれどね)


 明穂は青い油性マジックで丸を書き込んだSDカードをカメラ本体に差し込み起動させた。そこには3年前の大智の後ろ姿が写っていた。液晶画面を指でなぞると熱い涙がはたはたとこぼれ落ちた。


ピンポーーン


「あれ、お母さん忘れ物かな?」


 明穂が玄関の扉を開けるとそこには青と白の横縞模様の服を着た人物が立っていた。見慣れた柄に明穂がサンダルを突っ掛けて手を伸ばすと両手で持てるサイズの段ボール箱を手渡された。


「宅配便です、仙石明穂さんにお荷物です」

「はい」

「印鑑は不要です」

「ありがとうございます」


 鳩時計は16:00、4回鳴いて巣箱の中に戻って行った。宅配便はいつもの配達時間より遅く、配達員も小柄で意図的に低く装った声色をしていた。


(軽い)


 荷物は段ボール箱の大きさの割に軽かった。明穂は恐る恐るガムテープを捲ると封を開けた。中にはビニール製の梱包材が詰められそれを避けるとふわふわした手触りの塊が入っていた。


(耳、それに長い、尻尾?)


 それは力無くだらりと垂れ、胴体には切り込みがあった。


「きゃっ!」


 思わず放り投げようとしたがそれは生温かい内臓ではなく小粒の発泡素材のビーズで指先や手のひらに静電気を伴って貼り付いた。安堵の溜め息が漏れた。


「ぬ、ぬいぐるみ」


 腰が抜けた明穂はそれを掴むと段ボール箱の中に押し込み封をした。「これは吉高に見られてはならない」そんな気がして物置の奥深くに仕舞うと周囲に散らばったクッションビーズを掃除機で吸い込み始めた。


ガチャ


「ただいま」


 いつもより随分早く帰宅した吉高からはいつもの様に薔薇の匂いがした。先週は紗央里が生理だったようで7日間面白くない顔をしていた。


「明穂どうしたの」

「なにが、あ、おかえりなさい」

「ただいま、この惨状はなに?」

「あぁ、クッションが破れちゃって掃除してたの」

「僕に貸してごらん。ほら、明穂にも付いてる。ガムテープで取るからそこに座って」

「うん」


 こんな時は今までと何ら変わらず優しい。けれど2年間、いや20年以上自分は吉高の本質を見抜けなかった。


「どうしたの、悲しそうな顔をして」

「お気に入りのクッションだったの」

「また買えば良いさ、今度買いに行こうよ」

「そうね」


(私が貯めたお金で買うのね)


 明穂は大智の手紙について言及しようかと口を開きかけたがその言葉を飲み込んだ。「今じゃない、今は言う時じゃない」そうもうひとりの明穂が囁いた。

 段ボール箱を物置に押し込むと明穂は手洗いを済ませて階段を上った。見遣ると寝室の扉の隙間から白い明かりが漏れそれは不規則に点滅した。


(LINEメッセージ、よくそんなに話す事があるわね)


 明穂は意図的に寝室に向かう廊下で足音を立てた。慌てふためいた雰囲気に紛れて明かりは消え、吉高は何事も無かったかの様に明穂に背中を向け寝た振りをした。


(馬鹿にしてる)


 いくら妻の目が不自由であっても夫の変化に気付かない訳がない。そんな事すら推し量れない程に紗央里に夢中なのだろうか。高学歴であろうと大学病院の医師であろうと今の吉高は一個の人間として最低、最悪だ。


(ーーーー)


 紗央里が玄関先に現れる迄は吉高の地位や体裁に傷を付けるまいと思っていた。然し乍らいざ現実となると沸々と怒りが込み上げて来た。


(吉高は許さない、紗央里も許さない)


 ただ吉高の不倫相手が紗央里という名前で小柄である事以外なにも分からない。興信所に依頼しようにもキャッシュカードは吉高が管理し月々の小遣いなど高が知れていた。


(どうしよう)


 やはり頼みの綱は大智。明穂は帰国の日を指折り数えた。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?