荘厳なパイプオルガンが仙石家と田辺家の人々を包み込み、マリアと百合の花に彩られたステンドグラスの光の中に明穂と吉高が向き合った。
「汝、仙石吉高は、この女、田辺明穂を妻とし、良き時も悪き時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分つまで、愛を誓い、妻を思い、妻のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」
「誓います」
「汝、田辺明穂は、この男、仙石吉高を夫とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分つまで、愛を誓い、夫を思い、夫のみに添うことを、神聖なる婚姻のもとに、誓いますか?」
「誓います」
明穂と吉高は指輪の交換を終え神の御前で軽く口付けを交わした。明穂は仙石明穂となった。
ーーーそして2年後
「
暗い寝室、それは健常者では聞き取れない微かな呟きだった。明穂が起き上がるとツインベットを遮るナイトテーブルで眩しい光が点滅した。
(紗央里、紗央里って誰?)
「う、ううん」
携帯電話の点滅に目を覚ました吉高がそれに手を伸ばした。明穂は慌てて布団に潜り込み眠った振りをした。
「ーーーーー!」
携帯電話の画面を確認した吉高は寝室の扉を閉めた。明穂の心臓は跳ねた。あれは、あの呟き、あの仕草はテレビドラマでよく
(まさか、うわ、浮気?)
明穂の握り拳に汗が滲んだ。
カツカツカツ
「せ、先生、待って!」
「待てない!」
「せんセッ!」
キィ バタン
吉高は外科の担当医だった。長時間に渡る手術の後は興奮状態に陥り抑えきれない高揚感に取り憑かれた。術後の手洗いを済ませると吉高は女性看護師の手首を掴み廊下を急いだ。
「あっ、あっ」
カルテの保管庫奥の閲覧机には
「紗央里、紗央里」
「吉高せん、せい」
廊下を行き交う同僚に気付かれぬ様、吉高はくぐもった声で愛人の名前を呼び腰を擦り合わせた。
「待って、先生」
「なに」
「待って」
「待てない」
吉高は手際よく避妊具を装着し、その場所に当てがった。
ぐちゃ
滑った音が更に興奮を掻き立て、
「先生、もっとゆっくり楽しんで」
「駄目、今日は無理」
「もう、先生ったら」
「ごめんね」
紗央里は諦めた顔で吉高の腰に脚を絡み付けた。
「んっ」
吉高は激しく腰を振り始めた。下腹が吸い付き、そして離れ、また吸い付く。腰を掴んでいた手のひらが紗央里の両丘を捏ね回した。その快感に紗央里の内壁は上下に
「せ、んせ」
「黙って」
吉高の性欲は激しい。そんな吉高は、夫婦の営みに前向きではない明穂では満足出来なかった。
「ーーーはぁ」
悶々とした日々。ところが結婚2年目を迎える頃に医局の異動があり1人の女性看護師と出会った。春の歓送迎会、3次会のカラオケルームへ移動する途中で吉高はその女性と手を繋ぎ夜の街へと姿を消した。
「あっ、あっ」
「紗央里、声が大きい」
吉高が腰を小刻みに揺らすと紗央里は足の指を大きく開いて絶頂を迎えた。
「紗央里、可愛い」
力なく揺さぶられる肢体を堪能するが吉高は果てる事を知らない。腰をより激しく前後すると紗央里は呻き声をあげてもう一度絶頂を迎え顎を反らせた。吉高の額に汗が滲み息遣いが荒く心臓が脈打った。
「さ、おっ」
「紗央里」
「先生」
明穂に結婚を申し込んだ理由は大智への一方的な競争心からだった。幼馴染の明穂を独占したい欲もあったがその思いは長くは続かなかった。実直で品行方正だった吉高の姿はない。吉高は愛欲の沼に溺れていた。
そして吉高は明穂の五感を軽んじていた。弱視という事で物の色や輪郭は判別出来たが人の表情は
そこで大胆不敵にもリビングで紗央里と
(また、紗央里さんね)
吉高が紗央里と情事に耽った日の表情は締まりが無かった。そして側を通り過ぎる瞬間に匂う薔薇の香。その後リビングで遣り取りするLINEスタンプは赤やピンクが多くそれはハートマークを連想させた。
「何処に行くの?」
「あ、ちょっと仕事の電話」
「そう」
吉高の微かな愛の言葉を明穂の聴覚は明瞭に聞き取った。
(・・・おり、そんな事言うなよ)
(ーーーーーー)
(あい・・・てるよ)
その甘ったるい声に気分が悪くなった明穂は2階へと駆け上がった。数分後、縁側の引き戸が閉まる音が聞こえた。
「おーい、明穂、寝たのか!」
愛人との通話がひと段落ついた吉高が階下から明穂の名前を呼んだ。
「は、はい」
「如何したの、具合でも悪いの!」
「頭痛がして、ごめんなさい」
「そうか、おやすみ!夕飯は温めて食べるよ!」
すると今度はポコン、ポコンとラインメッセージの遣り取りが始まった。
(如何したら良いの)
実家の母親に相談しようかとも考えたが田辺家と仙石家は明穂が生まれる前からの長い付き合いがある。明穂と吉高が住まうこの新居も両家が金銭を出し合って建てた様な物だ。その両家に
ぎしっ
そんな吉高との夫婦関係は決して円滑であるとは言い難かった。明穂は吉高と初めて肌を重ね合わせた瞬間に違和感を感じ、それは結婚して2年経った
「よ、吉高さん」
「怖くないよ」
「ーーーんっ」
普段とは全く異なる顔付きの吉高は明穂の中へと入って来た。息遣いが荒くなる。明穂はその行為が1分1秒でも早く終わって欲しいと願った。
「明穂、明穂」
吉高の眉間に皺が寄った。
「吉高さん、着けて!」
「良いじゃないたまには、夫婦なんだし」
「駄目!着けて着けて!」
「明穂」
「着けて!お願い!」
吉高は渋々、避妊具を取り出した。明穂は子どもを授かる事を願う反面、この弱視が遺伝するのではないかとそれが不安だった。明穂は母親に付き添われて病院を受診したが
「明穂、いつになったらなにも着けずに出来るんだ」
「それは」
「僕たち夫婦なんだろう?」
「そう、そうだけど」
「もう少し、なんて言えば良いかな、愉しもうよ」
吉高が紗央里という女性との浮気に走ってしまったのはこのぎこちない性生活が原因なのかもしれない。
(愉しむなんて無理、触られるのも嫌)
それは到底受け入れられる行為では無かった。